2018年11月08日
「スウェーデンの"国民的"画家」
損保ジャパン美術館のカール・ラーション展に行ってきた。ラーションは近代スウェーデンの国民的画家で,同国の画家としては最も有名な人物だろう。同時代ではお隣ノルウェーにムンクがいるが,それに比べると世界的な知名度は低い。ムンクの場合は象徴主義という世界史的な美術史の流れの上で評価されているが,ラーションの評価はまた別の軸になるためである。対比としてもう一人,同様にほぼ同時代のデンマークのハンマースホイの名前を出してもよいだろう。彼の場合は名前が埋もれていたが,発見されて急激に評価が高まった理由は,その静寂を感じさせる室内画の数々の独創性が高く面白かったからである。ムンクにせよハンマースホイにせよ,北欧には寒々しく陰鬱な絵画というイメージはどうしたってつきまとう。
そこへ行くと,ラーションの作品は完全に一線を画している。技術的にはただただ上手いというだけで,独創性は感じられない。確かに世界の美術史で特筆すべき特徴を備えているようには見えない。しかし,圧倒的に明るいご家庭の描写としては抜群に上手いのである。彼はその画力を生かして壁画などの大作を請け負う一方で,田舎に買った自宅を終生増改築し,妻とともに美しい家具やテキスタイルを作って揃え,多くの子供を生んで,自らの明るい家庭を繰り返し描いた。ラーションがそれらの画像を収めた画集は飛ぶように売れた。徹底したセルフプロデュースとプライバシーの切り売りと言えなくもないが,結果的にその家庭の眩しさは見るものを安堵させ,羨ましがらせた。魅力ある家庭を垣間見ることはこんなにも素直に喜ばしいものなのか,と人々に気づかせたのは間違いなくラーションの功績であろう。
そして,こうしたセルフプロデュースは当時のナショナリズムとは無関係でない。スウェーデンの伝統的な技法や柄を用いて手作りした家具に囲まれたラーションの家庭は,理想的なブルジョワジーの家庭として受容され,愛すべきスウェーデン社会という一回り大きなセルフプロデュースにも利用されていった点は無視できまい。ラーションが「国民的画家」と称される理由はまさにここにある。前世紀,ヴィクトリア女王の家族が中上流階級のイギリス家庭の模範とされたことと少し似ている。ただし,あちらと比べるとラーションの家庭は親近感があり,身近な手本としやすかった点は尚更国民的と称するにふさわしい地位をラーションに与えている。
ラーションがスウェーデン社会,というよりも北欧家具に与えた大きな影響はもう一点ある。これは私自身知らず,今回の展覧会で非常に勉強になった点であるが,実のところ手作りで揃えた家具の大半は妻のカーリンが製作したもので,「手作り感あふれる,デザインの優れた家具」という北欧家具のイメージは,ラーションの絵画を通じたカーリンに負うところが大きいそうだ。当のラーション本人は家具製作は絵画制作よりも一段下に見ていて,セルフプロデュースにおける補助的な役割を果たしているに過ぎないと考えていたそうだが,その家具イメージが最終的にIKEAを代表とする一大産業を発展させたことを思うと,むしろカーリンの方がスウェーデン史上重要な役割を果たしたとさえ言えるのかもしれない。この辺りの事情はジェンダー美術史学の発展が貢献したところだろうか。今回の展覧会はラーション夫妻愛用の家具の数々が展示されていて,この点でも見応えがあった。そして最後に「IKEAプロデュースの現代風ラーション家の居間」セットが設置されていたのは,単なる宣伝になっておらず,非常に示唆的である。
派手な宣伝はされていないが,今年見に行って損はない展覧会の一つ。
そこへ行くと,ラーションの作品は完全に一線を画している。技術的にはただただ上手いというだけで,独創性は感じられない。確かに世界の美術史で特筆すべき特徴を備えているようには見えない。しかし,圧倒的に明るいご家庭の描写としては抜群に上手いのである。彼はその画力を生かして壁画などの大作を請け負う一方で,田舎に買った自宅を終生増改築し,妻とともに美しい家具やテキスタイルを作って揃え,多くの子供を生んで,自らの明るい家庭を繰り返し描いた。ラーションがそれらの画像を収めた画集は飛ぶように売れた。徹底したセルフプロデュースとプライバシーの切り売りと言えなくもないが,結果的にその家庭の眩しさは見るものを安堵させ,羨ましがらせた。魅力ある家庭を垣間見ることはこんなにも素直に喜ばしいものなのか,と人々に気づかせたのは間違いなくラーションの功績であろう。
そして,こうしたセルフプロデュースは当時のナショナリズムとは無関係でない。スウェーデンの伝統的な技法や柄を用いて手作りした家具に囲まれたラーションの家庭は,理想的なブルジョワジーの家庭として受容され,愛すべきスウェーデン社会という一回り大きなセルフプロデュースにも利用されていった点は無視できまい。ラーションが「国民的画家」と称される理由はまさにここにある。前世紀,ヴィクトリア女王の家族が中上流階級のイギリス家庭の模範とされたことと少し似ている。ただし,あちらと比べるとラーションの家庭は親近感があり,身近な手本としやすかった点は尚更国民的と称するにふさわしい地位をラーションに与えている。
ラーションがスウェーデン社会,というよりも北欧家具に与えた大きな影響はもう一点ある。これは私自身知らず,今回の展覧会で非常に勉強になった点であるが,実のところ手作りで揃えた家具の大半は妻のカーリンが製作したもので,「手作り感あふれる,デザインの優れた家具」という北欧家具のイメージは,ラーションの絵画を通じたカーリンに負うところが大きいそうだ。当のラーション本人は家具製作は絵画制作よりも一段下に見ていて,セルフプロデュースにおける補助的な役割を果たしているに過ぎないと考えていたそうだが,その家具イメージが最終的にIKEAを代表とする一大産業を発展させたことを思うと,むしろカーリンの方がスウェーデン史上重要な役割を果たしたとさえ言えるのかもしれない。この辺りの事情はジェンダー美術史学の発展が貢献したところだろうか。今回の展覧会はラーション夫妻愛用の家具の数々が展示されていて,この点でも見応えがあった。そして最後に「IKEAプロデュースの現代風ラーション家の居間」セットが設置されていたのは,単なる宣伝になっておらず,非常に示唆的である。
派手な宣伝はされていないが,今年見に行って損はない展覧会の一つ。
Posted by dg_law at 23:06│Comments(0)