2018年11月21日
「受験世界史の音楽史がやばい」に寄せて
・受験世界史の音楽史がやばい(増補あり)(allezvous’s blog)
これの受験世界史側から見たあれこれを。
・そもそもこんなに覚えなくてもよい
私をして見たこと無い入試問題がめちゃくちゃ多い。これは私が00年代半ば以前だとさすがに私大は綿密に解いていないという事情があるので,半ば私の調査不足が原因である。とはいえ元のpdfに掲載されている入試問題の年度を見ていただけると,2001年や2003年の問題がけっこう含まれており,中京大や愛知淑徳大といった,あまり特別に大学別の対策をしないような大学の入試問題からも拾っている。このプリントの作者は,中堅以下の私大に限れば私よりも断然研究している。
逆に言ってしまうと,そこまでしないと音楽史の入試問題抜粋集なんて作れないのである。拙著でも何度か取り上げているが,高校世界史は明らかに文学偏重であって,扱いの重さは文学>美術・建築>その他である。西洋美術史の適当っぷりもなかなかだが,音楽史のこのつっこまれ具合を見てもわかる通り,音楽史に比べると教科書・用語集も入試問題も断然マシである(中国美術史は西洋音楽史並にひどい模様)。音楽はリスニングでも実装されない限り今の地位からは脱せないと思う。音楽史はとにかく入試で出ない。究極丸々全部捨てても,落としても小問1つの2・3点分にしかならず,合否には支障がない。そういうわけでこれだけ重点的に対策を立てる必要が無いし,ましてや範囲外の知識まで覚えるのは徒労に終わる可能性の方が圧倒的に高い。
・受験生の合否だけ考えたら,嘘を教えた方が合理的なことがある
私は例の企画を始めてから入試問題を信用しないことにしているので,問題文に見知らぬ情報が出てきたら疑うことにしているが,ほとんどの予備校講師は気にしない。というよりも意図的に気にしないことにしている人が多いと思われる。なぜなら,一度作題者の勘違いで出題された入試問題は,別の入試問題でも同じような勘違いのまま出題される可能性が高いからだ。これは同じ作題者が数年越しにもう一度出すということもあるし,他大の作題者がよく調べないまま参照してしまったりする,あるいはそもそも特定の界隈で流布してしまっている謎の勘違い(グレゴリオ聖歌はこの事例と思われる)ということもあるからだ。であれば,嘘かどうかは気にせず,過去にこういう出題があったと垂れ流してしまった方が,受験生の合格率だけを考えたら合理的な学習資料ということになる。解説まとめ部分にある間違いは,おそらくこのプリントの作者自身が独自に調べて勘違いして覚えている事項ではなく,載せきれなくなって消したか,90年代の出題でさすがに古くなったから消した入試問題の問題文がそう述べていたという可能性が極めて高い。
また,こういう塾・予備校の講師や高校の教員が独自に作るまとめプリントは,なるべく情報を圧縮して紙幅を削減するため,多少不正確だろうと可能な限り短い表現が用いられていることが多い。このプリントでいう「ブラームスがシューマンの弟子」なんかは典型的な例で,プリント作者自身はこれが誤りであることを知っていてこういう表現にしている可能性すらある。しかし,実際にはこれでも受験対策としてはほとんど困らない。ブラームスとシューマンの関係性を問う問題自体が超希少であるところ,その関係性が師弟であるか先輩後輩であるかというところで正誤判定は作らない。要するに受験生にはブラームスとシューマンの間に何らかの関係性があったことさえ示せればよく,それで入試問題には対応できてしまうし,できないような問題は真に超々難問であるから捨ててよいということになる。してみると,単純な学習効率から言えば「弟子」という表現は最適解とは言えずとも(「先輩後輩」だって2文字増えるだけなので),ベターな表記ということになってしまう。無論のことながら,こうした「嘘も方便」現象に私は賛同しない。そして,前述の通り,ブラームスとシューマンの関係性が問われる問題自体,10年に一度どこかの私大で出てるかどうかのレベルだから「そもそも触れない」のが真の最適解であると思う。
・私大専願組は塾・予備校も受験生も丸暗記に対して謎の完璧主義が発揮されることがある
これは過去にあまりにもひどい超難問・悪問が繰り返されてきたことで受験業界がパラノイアになってしまっているのが根本的な原因だと思う。そういう意味で,塾・予備校の側を批判したくはないということを先に述べておくとして。それにしても,私大専願組は極端である。増田塾は文系私大専門の塾である。このプリントはその特徴が完璧に詰まっていて,見た瞬間その完成度に対してある種の感動を覚えてしまった。
私大専願組というのは時間が余りがちである。なにせ英語・国語・社会科の3科目しかない。そして現代文は時間をかけても伸びる保証がなく,大学によっては古文の比重が低く,漢文に至っては出題されないことの方が多い。結果的にやればやっただけ伸びることが保証されている英単語と社会科に持てるリソースの大部分が注ぎ込まれていくことになる……というのは身に覚えのある読者の方もおられるのでは。というか私自身にも身に覚えがある。やればやったで楽しいのが困ったところで……。
私はその勉強法自体についてを批評する立場にないから,この論点はスルーさせてもらうが,それにしたって限度はあるということは指摘したい。用語集を丸暗記するのも制止したいところなのに,範囲外まで押さえなくていい。そんなのは捨て問でいいのである。しかし,それを乗り越えて高得点に至った時の快楽は,難易度の高すぎるクソゲーを徹夜して攻略した時の快感に似ており,ひどい場合には英語と国語を投げ捨ててまでその受験勉強にはまってしまう。受験生が求めるのだから,営利企業である塾・予備校だって,やる気と慈愛にあふれる高校の教員だって,求められるものを提供してしまう。もちろん,ただの押し付けがましいオタク教員・講師の犯行という可能性もあるが。
そうそう,塾・予備校にはこうした「過去問攻略において完璧なプリント」を作るのには,もう一つ営業戦略上の重要な理由がある。「このプリントを全部覚えれば,過去何十年間分の早慶上智の入試,範囲外からの出題も含めて全て攻略可能です!」というのは,売り文句として非常に強い。受験生はそれを全て覚えるのに必要な労力を計算しないし,計算しても前述の通り達成できるだけの時間があるからだ。また,冒頭で褒めたように,マイナーな入試問題まで調べ尽くしているという証拠にもなり,これだけ入試問題を研究している先生なのだから信頼できるのだろうという説得材料にもなる。しかし,拙著で何度も指摘している通り,難関私大は懲りない。そうしたプリントでさえ触れていない重箱の隅を探しては出題するのである。イタチごっこは続く。
今回偶然発見されたのは増田塾の世界史の音楽史のプリントだが,似たようなプリントはどこの塾・予備校にも,高校にも,日本史にも地理にも政経にも無数に存在する。ネットにアップされていない,高校の先生のお手製プリントが絶対数としては一番多いのではないか。まさに,氷山の一角という言葉がふさわしい。
・余談
こういう状況を考えるに,2千語という極端な制限や斬新すぎるチョイスという問題点はあったが,高大連携歴史教育研究会の提唱する改革の方向性はやはり正しいと思うし,今でも賛同している。少なくとも現状はあまりにも歪みが大きい。高校教育での重要語句数は制限されなければならない。そう思って,例のリストを改めて読んでみると,純粋な音楽史の用語がビートルズしかなかったので,allevousがセルフツッコミするまでもなく音楽史は高校世界史から滅びそう。……やっぱ極端すぎませんか,この削減案。
ついでながら,この削減案に対する拙文にて「諸子百家の大部分は漢文にアウトソーシングしても,世界史が怒られる筋合いはないと思う」と書いたところ,allevousさんから「漢文への丸投げがOKなら美術音楽への丸投げもOKなのかな 」というコメントがついたが,これは少し説明を加えておきたい。高校世界史上の諸子百家の要点は,農業技術の進展によって余剰農産物が生まれて社会に余裕ができたことと,富国強兵の風潮から多様な思想が開花したという点と,その中で儒家・道家・法家というその後の中国思想に強い影響を与える集団が誕生したという点にある。よって,儒家・道家・法家以外は思想内容に触れる必要がないし,何なら名前を覚える必要もそこまで強いとは思えない。現状でもすでに難関私大向け以外ではスルーされることの方が多く,消しても困るのは難関私大の入試担当者だけという状況に近い。加えて漢文でも触れる内容であるから,漢文にアウトソーシングしても世界史が怒られる筋合いはないという判断となった。同様の理屈が美術史・音楽史全般では成り立たないことは,説明不要だろう。
これの受験世界史側から見たあれこれを。
・そもそもこんなに覚えなくてもよい
私をして見たこと無い入試問題がめちゃくちゃ多い。これは私が00年代半ば以前だとさすがに私大は綿密に解いていないという事情があるので,半ば私の調査不足が原因である。とはいえ元のpdfに掲載されている入試問題の年度を見ていただけると,2001年や2003年の問題がけっこう含まれており,中京大や愛知淑徳大といった,あまり特別に大学別の対策をしないような大学の入試問題からも拾っている。このプリントの作者は,中堅以下の私大に限れば私よりも断然研究している。
逆に言ってしまうと,そこまでしないと音楽史の入試問題抜粋集なんて作れないのである。拙著でも何度か取り上げているが,高校世界史は明らかに文学偏重であって,扱いの重さは文学>美術・建築>その他である。西洋美術史の適当っぷりもなかなかだが,音楽史のこのつっこまれ具合を見てもわかる通り,音楽史に比べると教科書・用語集も入試問題も断然マシである(中国美術史は西洋音楽史並にひどい模様)。音楽はリスニングでも実装されない限り今の地位からは脱せないと思う。音楽史はとにかく入試で出ない。究極丸々全部捨てても,落としても小問1つの2・3点分にしかならず,合否には支障がない。そういうわけでこれだけ重点的に対策を立てる必要が無いし,ましてや範囲外の知識まで覚えるのは徒労に終わる可能性の方が圧倒的に高い。
・受験生の合否だけ考えたら,嘘を教えた方が合理的なことがある
私は例の企画を始めてから入試問題を信用しないことにしているので,問題文に見知らぬ情報が出てきたら疑うことにしているが,ほとんどの予備校講師は気にしない。というよりも意図的に気にしないことにしている人が多いと思われる。なぜなら,一度作題者の勘違いで出題された入試問題は,別の入試問題でも同じような勘違いのまま出題される可能性が高いからだ。これは同じ作題者が数年越しにもう一度出すということもあるし,他大の作題者がよく調べないまま参照してしまったりする,あるいはそもそも特定の界隈で流布してしまっている謎の勘違い(グレゴリオ聖歌はこの事例と思われる)ということもあるからだ。であれば,嘘かどうかは気にせず,過去にこういう出題があったと垂れ流してしまった方が,受験生の合格率だけを考えたら合理的な学習資料ということになる。解説まとめ部分にある間違いは,おそらくこのプリントの作者自身が独自に調べて勘違いして覚えている事項ではなく,載せきれなくなって消したか,90年代の出題でさすがに古くなったから消した入試問題の問題文がそう述べていたという可能性が極めて高い。
また,こういう塾・予備校の講師や高校の教員が独自に作るまとめプリントは,なるべく情報を圧縮して紙幅を削減するため,多少不正確だろうと可能な限り短い表現が用いられていることが多い。このプリントでいう「ブラームスがシューマンの弟子」なんかは典型的な例で,プリント作者自身はこれが誤りであることを知っていてこういう表現にしている可能性すらある。しかし,実際にはこれでも受験対策としてはほとんど困らない。ブラームスとシューマンの関係性を問う問題自体が超希少であるところ,その関係性が師弟であるか先輩後輩であるかというところで正誤判定は作らない。要するに受験生にはブラームスとシューマンの間に何らかの関係性があったことさえ示せればよく,それで入試問題には対応できてしまうし,できないような問題は真に超々難問であるから捨ててよいということになる。してみると,単純な学習効率から言えば「弟子」という表現は最適解とは言えずとも(「先輩後輩」だって2文字増えるだけなので),ベターな表記ということになってしまう。無論のことながら,こうした「嘘も方便」現象に私は賛同しない。そして,前述の通り,ブラームスとシューマンの関係性が問われる問題自体,10年に一度どこかの私大で出てるかどうかのレベルだから「そもそも触れない」のが真の最適解であると思う。
・私大専願組は塾・予備校も受験生も丸暗記に対して謎の完璧主義が発揮されることがある
これは過去にあまりにもひどい超難問・悪問が繰り返されてきたことで受験業界がパラノイアになってしまっているのが根本的な原因だと思う。そういう意味で,塾・予備校の側を批判したくはないということを先に述べておくとして。それにしても,私大専願組は極端である。増田塾は文系私大専門の塾である。このプリントはその特徴が完璧に詰まっていて,見た瞬間その完成度に対してある種の感動を覚えてしまった。
私大専願組というのは時間が余りがちである。なにせ英語・国語・社会科の3科目しかない。そして現代文は時間をかけても伸びる保証がなく,大学によっては古文の比重が低く,漢文に至っては出題されないことの方が多い。結果的にやればやっただけ伸びることが保証されている英単語と社会科に持てるリソースの大部分が注ぎ込まれていくことになる……というのは身に覚えのある読者の方もおられるのでは。というか私自身にも身に覚えがある。やればやったで楽しいのが困ったところで……。
私はその勉強法自体についてを批評する立場にないから,この論点はスルーさせてもらうが,それにしたって限度はあるということは指摘したい。用語集を丸暗記するのも制止したいところなのに,範囲外まで押さえなくていい。そんなのは捨て問でいいのである。しかし,それを乗り越えて高得点に至った時の快楽は,難易度の高すぎるクソゲーを徹夜して攻略した時の快感に似ており,ひどい場合には英語と国語を投げ捨ててまでその受験勉強にはまってしまう。受験生が求めるのだから,営利企業である塾・予備校だって,やる気と慈愛にあふれる高校の教員だって,求められるものを提供してしまう。もちろん,ただの押し付けがましいオタク教員・講師の犯行という可能性もあるが。
そうそう,塾・予備校にはこうした「過去問攻略において完璧なプリント」を作るのには,もう一つ営業戦略上の重要な理由がある。「このプリントを全部覚えれば,過去何十年間分の早慶上智の入試,範囲外からの出題も含めて全て攻略可能です!」というのは,売り文句として非常に強い。受験生はそれを全て覚えるのに必要な労力を計算しないし,計算しても前述の通り達成できるだけの時間があるからだ。また,冒頭で褒めたように,マイナーな入試問題まで調べ尽くしているという証拠にもなり,これだけ入試問題を研究している先生なのだから信頼できるのだろうという説得材料にもなる。しかし,拙著で何度も指摘している通り,難関私大は懲りない。そうしたプリントでさえ触れていない重箱の隅を探しては出題するのである。イタチごっこは続く。
今回偶然発見されたのは増田塾の世界史の音楽史のプリントだが,似たようなプリントはどこの塾・予備校にも,高校にも,日本史にも地理にも政経にも無数に存在する。ネットにアップされていない,高校の先生のお手製プリントが絶対数としては一番多いのではないか。まさに,氷山の一角という言葉がふさわしい。
・余談
こういう状況を考えるに,2千語という極端な制限や斬新すぎるチョイスという問題点はあったが,高大連携歴史教育研究会の提唱する改革の方向性はやはり正しいと思うし,今でも賛同している。少なくとも現状はあまりにも歪みが大きい。高校教育での重要語句数は制限されなければならない。そう思って,例のリストを改めて読んでみると,純粋な音楽史の用語がビートルズしかなかったので,allevousがセルフツッコミするまでもなく音楽史は高校世界史から滅びそう。……やっぱ極端すぎませんか,この削減案。
ついでながら,この削減案に対する拙文にて「諸子百家の大部分は漢文にアウトソーシングしても,世界史が怒られる筋合いはないと思う」と書いたところ,allevousさんから「漢文への丸投げがOKなら美術音楽への丸投げもOKなのかな 」というコメントがついたが,これは少し説明を加えておきたい。高校世界史上の諸子百家の要点は,農業技術の進展によって余剰農産物が生まれて社会に余裕ができたことと,富国強兵の風潮から多様な思想が開花したという点と,その中で儒家・道家・法家というその後の中国思想に強い影響を与える集団が誕生したという点にある。よって,儒家・道家・法家以外は思想内容に触れる必要がないし,何なら名前を覚える必要もそこまで強いとは思えない。現状でもすでに難関私大向け以外ではスルーされることの方が多く,消しても困るのは難関私大の入試担当者だけという状況に近い。加えて漢文でも触れる内容であるから,漢文にアウトソーシングしても世界史が怒られる筋合いはないという判断となった。同様の理屈が美術史・音楽史全般では成り立たないことは,説明不要だろう。
Posted by dg_law at 00:50│Comments(0)