2019年01月31日

私的フェルメール全点制覇への道も折り返し

フェルメール《取り持ち女》上野の森美術館のフェルメール展に行ってきた。フェルメール10点を含むオランダ黄金期の絵画49点の豪華な展覧会である。ただし,フェルメール10点のうち初来日は4点,そのうち2点は東京展のみの展示でしかも入れ替え,最後の1点は大阪会場のみの展示ということをやらかしてくれているので,新作4点を全て見るためには3回足を運ぶ必要がある。しかも入場料は一般的な設定よりもかなり高い2500円なのだから,わざとやっているなら相当アコギである。一応,料金は音声ガイドを強制配布しているのでこの料金も含まれていると思われるが,全部聞いた結果で言えば別に要らなかった。要らんから500円下げてほしい。それでも二回行ってしまったので私の負けである。

入場は2時間おきで,完全入れ替え制ではなく,一度入ったら追い出されることはない。しかし,47点しか展示がなく,音声ガイドを聞き終わったら移動という流れで動いている人が多いこともあって,各人の滞在時間は長くても90分ほどと思われ,会場内はそれほど混んでいなかった。この工夫はすばらしく,絶対に死ぬほど混雑すると予想されたフェルメール展をこれほど快適に鑑賞できる環境にしたのは賞賛されていい。他の死ぬほど混む展覧会でも真似されてほしい。

展示について。すばらしかったのはフェルメール以外も手抜きが無かったことで,点数は少ないがその39点もオランダ黄金期を見事に体現する数々であった。フランス・ハルス,テル・ブリュッヘン,ヤン・ステーン,ヤン・デ・ヘーム,ヘラルト・ダウ,ピーテル・デ・ホーホとおなじみの面々が並ぶ。ちょっとおもしろかったのは女性画家が二人含まれていたこと。欲を言えばやはり点数の少なさはどうしようもなく,特にヴァニタスが1点だけ,静物画全部で3点しかないというのはかなり苦しい。

肝心のフェルメールについて。《マルタとマリアの家のキリスト》,《牛乳を注ぐ女》,《手紙を書く婦人と召使い》,《手紙を書く女》,《リュートを調弦する女(窓辺でリュートを弾く女)》,《真珠の首飾りの女》はすでに見ている。この中では《牛乳を注ぐ女》は前に見た環境がひどかったので,このたびじっくり見られてよかった(今考えてもあのときのオランダ風俗画展はひどかった)。《手紙を書く婦人と召使い》は2008年のフェルメール展の際のアイルランド国立美術館のファインプレーを思い出す。こうして振り返るとフェルメールにまつわる記憶もましてきた。

日本初来日の3点,まず,唯一期間フルに展示されていた《ワイングラス(紳士とワインを飲む女)》について。明らかに男が女を口説いているシーンだが,男の出方が慎重で,画面に緊張感がある。窓のステンドグラスは手綱を持つ女性で「節制」の擬人像だそうだ。浮ついた色恋を戒めているそうだが,画面の緊張感のおかげで浮ついた恋には見えない。それ自体もフェルメールのねらいであろう。次に《赤い帽子の女》について。画集で見たときからこれはフェルメールの真作に見えなかったのだけど,本物を見ても違和感を拭えなかった。これがフェルメールなら《聖プラクセディス》も真作でいいと思う。最後に,《取り持ち女》について(今回の画像)。フェルメールの風俗画にしては胸を揉まれる女性が登場するなど非常に俗っぽい。フェルメールが歴史画家から風俗画家に転向する契機になった作品だそうだが,とすると初手はまだ迷走していたということか。これは娼館の光景で,タイトルの取り持ち女は左から二番目,画面の最も奥にいる。これで取り持ち女というタイトルになるのはよくわからないが,本作の白眉は画面右端のグラスとデルフト焼の美しさであろう。


さて,これでとうとうフェルメール全点制覇への道も22点に到達し,残りは15点となった(《聖プラクセディス》と《フルートを持つ女》をカウントしないなら21点で,残りは15点)。しかし,ここからが難しそうである。

(追記)
大阪市立美術館に行き,大阪会場限定の《恋文》を鑑賞。