2019年04月06日
『奇想の系譜』から49年
都美術館の「奇想の系譜」展に行ってきた。ご存じの方も多い通り『奇想の系譜』は1970年に美術史家の辻惟雄氏が著した本であり,現在ではかなり定着している江戸絵画のまとめ方である。同書で挙げられた8人の画家の主要な作品を展示したのが本展になる。『奇想の系譜』出版49年という微妙なタイミングであるが,まあ約50周年ということで。
この8人での出世魚というと伊藤若冲になり,本展もトップバッターが伊藤若冲であったが,本展のみどころであったかと言われると疑問である。もちろん良い作品が展示されてはいたが,別に「動植綵絵」が出ていたわけでもないので,3年前の伊藤若冲展に比べるとどうしたって見劣りはする。しかし,あれも3年前か。印象が強すぎてせいぜい一昨年くらいの印象だった。結果的に,本展で注目すべきは他の画家ということになる。
二番手で登場し,奇想の系譜的に言えば伊藤若冲と同時代,経歴も似ていて両雄並び立つ感じで扱われることも多い曾我蕭白。ちょいちょい東博の常設展なんかで見るものの,これだけの量の作品をじっくり眺めたのは多分10年ぶりくらいだったので新鮮であった。カラフルと言えばいいのかさすがに補色がきついと言えばいいのか,展覧会ホームページの「けばけばしい着色を施したサイケデリックな画面」という表現が一番正しいかも。病質的な細かい表現も,伊藤若冲はそのまま受け取ることができるが,曾我蕭白の場合は着色のけばさとあいまってますます病的に見える。やはり江戸絵画の中では異端中の異端だろう。三番手,長沢芦雪は少し遅れて登場,円山応挙に師事しただけあって,前二者に比べて落ち着いた表現で,これはこれで。奇想の系譜に並べるか,普通に円山派として評価するかの境界線上にいるのは絶妙なバランス感覚と言える。
一気に時代が戻って岩佐又兵衛。『へうげもの』の印象がどうしたって強いが,『へうげもの』で描かれた時代は又兵衛にとっての修行時代であり,あの漫画は面白い補完であったと思う。それも含めて,戦国武将を出自に割と悲劇的な前半生を送り,京都で伝統を学び,江戸時代に絵師として伝統を活かした作品を描いて活躍するというのはできすぎているくらいの主人公設定である。伝統を引き継ぎつつ,戦国の遺風も感じさせつつ,新時代に即した清新な文化を打ち立てたのは,確かに小堀遠州あたりとポジションが重なり,『へうげもの』でもそういう扱いであった。最終盤に古田織部とたもとを分かつのはなかなかの名シーン。本展の展示物としてはやはり「山中常盤物語絵巻」(今回の画像)で,『奇想の系譜』で「又兵衛の母性への憧憬を感じさせる」と語られていたのが印象的なシーン。鮮血が撒き散らされたグロテスクなシーンであるのに,どこか色っぽい常盤御前がお見事。なお,この作品のキャプションに「グロ注意」とやんわり書いてあった。配慮である。
さらに続いて狩野山雪。『本朝画史』もあって高校日本史でも出てくる奇想の系譜では珍しい人で,実際まあ狩野派であると思うが,「梅花遊禽図襖」の幾何学的な梅の曲がり方は確かに奇想の系譜に並べたくなる。それこそ近年は狩野派も堅苦しい絵ばかり描いていたわけではないと指摘されているところで,思われているほど狩野派と在野の距離は遠くないのかもしれない。
白隠慧鶴は個人的にはあまり興味がわかず。ただ,こういう禅画あるよね,というイメージソースにはなっていて,日本社会に与えた影響は大きいと思う。鈴木其一は大好きだが,本展では今更という感じ。ここで語ることもあまりない。最後の歌川国芳もあまり興味が無かったが,確かにこの色使いは曾我蕭白あたりを彷彿とさせ,このラインナップにいるのは理解できた。
会期が今日明日しか残っていないが,総花的な展覧会としてはかなり面白いのでお勧め。
この8人での出世魚というと伊藤若冲になり,本展もトップバッターが伊藤若冲であったが,本展のみどころであったかと言われると疑問である。もちろん良い作品が展示されてはいたが,別に「動植綵絵」が出ていたわけでもないので,3年前の伊藤若冲展に比べるとどうしたって見劣りはする。しかし,あれも3年前か。印象が強すぎてせいぜい一昨年くらいの印象だった。結果的に,本展で注目すべきは他の画家ということになる。
二番手で登場し,奇想の系譜的に言えば伊藤若冲と同時代,経歴も似ていて両雄並び立つ感じで扱われることも多い曾我蕭白。ちょいちょい東博の常設展なんかで見るものの,これだけの量の作品をじっくり眺めたのは多分10年ぶりくらいだったので新鮮であった。カラフルと言えばいいのかさすがに補色がきついと言えばいいのか,展覧会ホームページの「けばけばしい着色を施したサイケデリックな画面」という表現が一番正しいかも。病質的な細かい表現も,伊藤若冲はそのまま受け取ることができるが,曾我蕭白の場合は着色のけばさとあいまってますます病的に見える。やはり江戸絵画の中では異端中の異端だろう。三番手,長沢芦雪は少し遅れて登場,円山応挙に師事しただけあって,前二者に比べて落ち着いた表現で,これはこれで。奇想の系譜に並べるか,普通に円山派として評価するかの境界線上にいるのは絶妙なバランス感覚と言える。
一気に時代が戻って岩佐又兵衛。『へうげもの』の印象がどうしたって強いが,『へうげもの』で描かれた時代は又兵衛にとっての修行時代であり,あの漫画は面白い補完であったと思う。それも含めて,戦国武将を出自に割と悲劇的な前半生を送り,京都で伝統を学び,江戸時代に絵師として伝統を活かした作品を描いて活躍するというのはできすぎているくらいの主人公設定である。伝統を引き継ぎつつ,戦国の遺風も感じさせつつ,新時代に即した清新な文化を打ち立てたのは,確かに小堀遠州あたりとポジションが重なり,『へうげもの』でもそういう扱いであった。最終盤に古田織部とたもとを分かつのはなかなかの名シーン。本展の展示物としてはやはり「山中常盤物語絵巻」(今回の画像)で,『奇想の系譜』で「又兵衛の母性への憧憬を感じさせる」と語られていたのが印象的なシーン。鮮血が撒き散らされたグロテスクなシーンであるのに,どこか色っぽい常盤御前がお見事。なお,この作品のキャプションに「グロ注意」とやんわり書いてあった。配慮である。
さらに続いて狩野山雪。『本朝画史』もあって高校日本史でも出てくる奇想の系譜では珍しい人で,実際まあ狩野派であると思うが,「梅花遊禽図襖」の幾何学的な梅の曲がり方は確かに奇想の系譜に並べたくなる。それこそ近年は狩野派も堅苦しい絵ばかり描いていたわけではないと指摘されているところで,思われているほど狩野派と在野の距離は遠くないのかもしれない。
白隠慧鶴は個人的にはあまり興味がわかず。ただ,こういう禅画あるよね,というイメージソースにはなっていて,日本社会に与えた影響は大きいと思う。鈴木其一は大好きだが,本展では今更という感じ。ここで語ることもあまりない。最後の歌川国芳もあまり興味が無かったが,確かにこの色使いは曾我蕭白あたりを彷彿とさせ,このラインナップにいるのは理解できた。
会期が今日明日しか残っていないが,総花的な展覧会としてはかなり面白いのでお勧め。
Posted by dg_law at 12:37│Comments(0)