2019年09月02日
最近読んだもの・買ったもの
・『プリニウス』8巻。プリニウス一行はアレクサンドリアからクノッソス,そしてロドス島へ。ローマでは皇后ポッパエアが死去。
→ ここから休刊になった『新潮45』から『新潮』に移籍した連載分。
→ アレクサンドリアの大図書館で,書物を没収されて写本を返される風習,帝政ローマの頃にはすでに大図書館の衰退が始まっていた説もあって実在が疑わしかった気も。まあ,ここはプリニウスがその風習に乗っかったほうが面白いので採用されたか。ファロスの大灯台をちゃんと大写しで出したのは流石。プリニウスの「アルキメデスやエウクレイデスに劣らぬ優秀な女性科学者が誕生するかも」というセリフは非常に本作らしい。
→ クレタではしれっとアンティキティラ島の機械が出てきて笑った。クノッソスの迷宮では青銅製のミノタウロスが登場するし,やりたい放題である。当然のようにロドス島の巨像もぶっ壊れた状態で出てくるし。実際に前226年の地震で倒壊した後はそのままだったらしい。
→ ポッパエアが死んだのは西暦65年であるので,1巻からやっと3年進んだ。8巻が出るまで約5年かかっている。ゴールがプリニウスが死ぬ79年とすると,まだネロの死という山場も残っているし,このペースで進むとあと30巻は軽くかかり,連載期間は約20年必要になる。実際にはネロが死んだ後はペースアップするだろうが,本作は意外なことに非常な長期連載になるかも。歴史漫画,連載していくうちに描くべきことが増えていってどんどんゴールが遠のいていく印象。ヤマザキマリは大丈夫だろうが,とり・みきがもう60過ぎなので,がんばって完結させてほしいところ。
・『火ノ丸相撲』25巻。鬼丸・金鎧山戦の続き,火ノ丸勝利者インタビューでプロポーズ,鬼丸・草薙戦。
→ 火ノ丸は前の大般若戦と今回で一皮むけて,「火ノ丸相撲」は小兵技や奇手を使う総力戦に姿を変えた。それでも大相撲が楽しいからこれにしがみつきたいというのは,「相撲は楽しい」と謳ってきた本作らしい転換である。身体が劣っても火ノ丸が相撲を捨てられなかったのは,相撲が楽しかったからだ。一方で,彼は真っ向勝負の精神で心を鍛えて,誰にも負けない心を育ててきた。それをプロになってから作り変えるのは非常な困難で,その困難が22巻から長々と描かれてきた。必要な長さであったと思う。しかし,純粋に少年漫画として見るとちと長すぎたきらいはあり,ここまでテンポよく進んできた『火ノ丸相撲』という作品の勢いごと落ちてしまった感は否めない。一人の力士の人生を描く完成度を取るか,漫画としての面白さを残すか,難しい。
→ その長い葛藤を知らないとどう見えるか,という視点を作中では草薙に与えたのは絶妙な配役で,彼自身も父の後追いから抜け出せずに燻っているという重なりもあって,やはりこの二人の決戦は特別感が強くて面白かった。火ノ丸がイップスを完治させるのは確かにこの場面しかない。
→ じゃあこれで鬼丸・童子切はどうすんの? もう盛り上がるポイント無くない? というところで思わぬ展開となった次巻へ。
・『乙女戦争』12巻(完結)。和平交渉とターボル・オレープ派の交渉離脱,リパニの戦いとその後。
→ 全体のまとめはまた別の機会として(そう言いつつまだ『へうげもの』すら書けていないのだが)。締め方としては,シャールカがフニャディ・ヤーノシュと恋仲になった時点で予想していたものでほぼ完璧に当たっていた。個人的には予想が当たって嬉しいが,フニャディ・ヤーノシュについて多少なりとも知っている人なら割と予想しやすかったのではないかと思われる。
→ フス戦争は最終的に聖杯派の一人勝ちになり,三十年戦争まではフス派の貴族が強い権力を持つことになる。聖杯派をきちんとフス派の一派とみなし,フス戦争を早すぎた市民革命とは見なさないのが近年のフス戦争研究の潮流だという話は以前に受験世界史悪問集でもしたが(2015年の早慶21番),本作はちゃんとそれを踏まえて描いてくれていて,むしろまだ少年のイジーが「フス派は聖職者の蓄財を否定したけど戦争を通じて教会財産の大半は貴族の懐に入った」「その財産を安堵すると皇帝が内約したことで聖杯派も急進派の貴族や騎士たちも同胞を見捨てたんだ」と,フス戦争は聖杯派の勝利と見なされている理由を述べてくれている。このイジーが後にフス派貴族に推戴されてボヘミア王となるのだから,実はかなり感慨深いシーンである。
→ もう一つ感慨深いシーンを挙げるならば,やはり黒騎士ヴィルヘルムの「15年もの間殺し合ってきた我々の間には深い遺恨がある。だがそれを乗り越えて平和を実現することを皇帝陛下は望んでおられる」とシャールカに告げるシーン。そう,作者がやたら過酷な経験を積ませてきたこの二人の会話だからこそ,遺恨の克服は光る。これほど説得力のある和解を描いた本作はやはり名作と呼ぶほかないだろう。
→ ここから休刊になった『新潮45』から『新潮』に移籍した連載分。
→ アレクサンドリアの大図書館で,書物を没収されて写本を返される風習,帝政ローマの頃にはすでに大図書館の衰退が始まっていた説もあって実在が疑わしかった気も。まあ,ここはプリニウスがその風習に乗っかったほうが面白いので採用されたか。ファロスの大灯台をちゃんと大写しで出したのは流石。プリニウスの「アルキメデスやエウクレイデスに劣らぬ優秀な女性科学者が誕生するかも」というセリフは非常に本作らしい。
→ クレタではしれっとアンティキティラ島の機械が出てきて笑った。クノッソスの迷宮では青銅製のミノタウロスが登場するし,やりたい放題である。当然のようにロドス島の巨像もぶっ壊れた状態で出てくるし。実際に前226年の地震で倒壊した後はそのままだったらしい。
→ ポッパエアが死んだのは西暦65年であるので,1巻からやっと3年進んだ。8巻が出るまで約5年かかっている。ゴールがプリニウスが死ぬ79年とすると,まだネロの死という山場も残っているし,このペースで進むとあと30巻は軽くかかり,連載期間は約20年必要になる。実際にはネロが死んだ後はペースアップするだろうが,本作は意外なことに非常な長期連載になるかも。歴史漫画,連載していくうちに描くべきことが増えていってどんどんゴールが遠のいていく印象。ヤマザキマリは大丈夫だろうが,とり・みきがもう60過ぎなので,がんばって完結させてほしいところ。
・『火ノ丸相撲』25巻。鬼丸・金鎧山戦の続き,火ノ丸勝利者インタビューでプロポーズ,鬼丸・草薙戦。
→ 火ノ丸は前の大般若戦と今回で一皮むけて,「火ノ丸相撲」は小兵技や奇手を使う総力戦に姿を変えた。それでも大相撲が楽しいからこれにしがみつきたいというのは,「相撲は楽しい」と謳ってきた本作らしい転換である。身体が劣っても火ノ丸が相撲を捨てられなかったのは,相撲が楽しかったからだ。一方で,彼は真っ向勝負の精神で心を鍛えて,誰にも負けない心を育ててきた。それをプロになってから作り変えるのは非常な困難で,その困難が22巻から長々と描かれてきた。必要な長さであったと思う。しかし,純粋に少年漫画として見るとちと長すぎたきらいはあり,ここまでテンポよく進んできた『火ノ丸相撲』という作品の勢いごと落ちてしまった感は否めない。一人の力士の人生を描く完成度を取るか,漫画としての面白さを残すか,難しい。
→ その長い葛藤を知らないとどう見えるか,という視点を作中では草薙に与えたのは絶妙な配役で,彼自身も父の後追いから抜け出せずに燻っているという重なりもあって,やはりこの二人の決戦は特別感が強くて面白かった。火ノ丸がイップスを完治させるのは確かにこの場面しかない。
→ じゃあこれで鬼丸・童子切はどうすんの? もう盛り上がるポイント無くない? というところで思わぬ展開となった次巻へ。
・『乙女戦争』12巻(完結)。和平交渉とターボル・オレープ派の交渉離脱,リパニの戦いとその後。
→ 全体のまとめはまた別の機会として(そう言いつつまだ『へうげもの』すら書けていないのだが)。締め方としては,シャールカがフニャディ・ヤーノシュと恋仲になった時点で予想していたものでほぼ完璧に当たっていた。個人的には予想が当たって嬉しいが,フニャディ・ヤーノシュについて多少なりとも知っている人なら割と予想しやすかったのではないかと思われる。
→ フス戦争は最終的に聖杯派の一人勝ちになり,三十年戦争まではフス派の貴族が強い権力を持つことになる。聖杯派をきちんとフス派の一派とみなし,フス戦争を早すぎた市民革命とは見なさないのが近年のフス戦争研究の潮流だという話は以前に受験世界史悪問集でもしたが(2015年の早慶21番),本作はちゃんとそれを踏まえて描いてくれていて,むしろまだ少年のイジーが「フス派は聖職者の蓄財を否定したけど戦争を通じて教会財産の大半は貴族の懐に入った」「その財産を安堵すると皇帝が内約したことで聖杯派も急進派の貴族や騎士たちも同胞を見捨てたんだ」と,フス戦争は聖杯派の勝利と見なされている理由を述べてくれている。このイジーが後にフス派貴族に推戴されてボヘミア王となるのだから,実はかなり感慨深いシーンである。
→ もう一つ感慨深いシーンを挙げるならば,やはり黒騎士ヴィルヘルムの「15年もの間殺し合ってきた我々の間には深い遺恨がある。だがそれを乗り越えて平和を実現することを皇帝陛下は望んでおられる」とシャールカに告げるシーン。そう,作者がやたら過酷な経験を積ませてきたこの二人の会話だからこそ,遺恨の克服は光る。これほど説得力のある和解を描いた本作はやはり名作と呼ぶほかないだろう。
Posted by dg_law at 19:00│Comments(0)