2019年10月25日

近代ウィーンの都市史を駆け抜ける展覧会

クリムト《エミーリエ・フレーゲ》国立新美術館のウィーン・モダン展に行っていた。日墺国交樹立150周年記念展示のもう片方である(クリムト展の感想はこちら)。あちらはクリムト個人に焦点を当てていたが,こちらは18世紀後半〜20世紀初頭のウィーン,つまり近代都市ウィーンの成立から世紀末ウィーンまでを幅広く紹介する展示となっていた。2つの展覧会はどちらもかなり混んでいて,世紀末ウィーンってそんな人気のある題材だったかなと疑問だがったが,考えてみるとクリムトの黄金様式は確かに日本人受けしそうな気はする。ただし,新美は展示スペースが広く,また展示に衣服や調度品が含まれていたこともあって,人数の割に混雑感は薄かったように思う。

当然ながらクリムトを見に行くならもう片方を見に行ったほうがいいわけで,本展の目玉はクリムトやシーレの油彩画ながら,実際に見るべきは衣服や調度品,陶磁器ではあったかなと思う。展示は啓蒙専制時代,ウィーン体制期(ビーダーマイヤー期),19世紀後半,世紀末に大きくは分けられ,それぞれの流行が簡潔に追えるようになっていた。細かいことは抜きにしても「こんな椅子(ティーポット)がほしい」とか言いながらだらだら見るだけでも結構楽しい。展示品数は驚きの約300点で,だらだらと見ていってもかなりの時間がかかるはずである。また,ちょっと珍しいものとしてはシューベルトが愛用していたメガネや(シューベルトの有名な肖像画もある),1873年のウィーン万博に出展された日本館と日本庭園の写真など。

一つ気にかかったのは,カール・ルエーガーについて。ウィーンの近代化の総仕上げとして世紀末に登場したのがウィーン市長カール・ルエーガーであるが,この人は功罪ある人で,罪の部分とは反ユダヤ主義者であった点である。なにせ言動が差別的すぎて,選挙当選後に皇帝から拒否権を発動されている(最終的に民意に負けて皇帝が折れた)。本展ではカール・ルエーガーの功の部分だけが紹介されていたのは,世紀末芸術のパトロンはユダヤ人資本家が少なくなかったことも踏まえても,片手落ちではないかなと。

そうして近代都市ウィーンが洗練されていった一つの到達点として,世紀末美術が生まれる。展示の構成も一通り都市史を語り終えたところでクリムトらの分離派が登場するというものになっている。クリムトの展示も前半部がそういう感じなので,自然とファッションデザイナーでクリムトの恋人であったエミーリエ・フレーゲや,分離派による建築物に焦点を当てた展示が多かったように思う。クリムトによるエミーリエ・フレーゲの肖像画のみ,本展では写真撮影OKとなっていた(今回の画像)。他のクリムトの大作というと《パラス・アテナ》くらい。その後にウィーン工房による攻撃品,エゴン・シーレ,オスカー・ココシュカの展示があって終わる。シーレとココシュカは私の趣味ではないことを差し引いても説明が少なく,そこまでに膨大な展示を見ていて披露していたこともあり,よくわからないまま終わった。周囲もそんな感じだったので,これ必要だったのかという疑問が無きにしもあらず。やるならもっとちゃんと展示してほしかったところ。

いろいろ文句は言ったが,見に行って損はないかなと。クリムト展はすでに終わってしまっているが,こちらはまだ大阪の国立国際美術館で12/8までやっているので,興味がある方はそちらで。