2020年01月09日

腰巻きビル再考とか

・腰巻きビルと向き合う(デイリーポータルZ)
→ 私は腰巻きビル肯定派で嫌いじゃないのだが,ダサいという人の意見も理解できる,デザインとして未熟と言われるとその通りかな,というようなことを3年半ほど前に書いていた。今でもこの意見は全く変わっていない。この記事でも触れられている通り,やり方は腰巻き以外にもあるはずで,商船三井ビルディングや東京駅,東京大学工学部2号館に関する感想は概ね本記事と同じである。こういう解答もあるはずだと思う。東京銀行協会ビルヂングの事例のように腰巻きにしておいて取り壊すという本末転倒だけはやっぱり避けてほしいし,神戸地裁の建物と神戸の朝日ビルディングの事例は確かにもうちょっと何かあったのではと思ってしまう。
→ その上で最近考えているのは,腰巻きビルはこのDPZの記事のように遠景で見るとダサく見えるのだが,実際に現地を歩いてみて足元から見ると,意外にも新旧が調和しているように見えるから,やっぱり嫌いにはなれないということだ。足元からだと継ぎ目が見えないのは大きいかもしれない。丸の内レベルで密集していると一体感すらある。その意味で丸ビル・新丸ビルが疑似腰巻きビルとして建てられたのは三菱地所の慧眼として評価せざるをえない。本記事の指摘通り,腰巻きビルはもはや様式化しているのだ。


・勉強が出来る子と苦手な子の比較に「分かる!」の声や「出来る子はそう考えていたのか…」の声→それ以外のパターンの子も集まる「勉強とか超越した子」(Togetter)
→ これは小中学校の段階で勉強に行き詰まった子に会うとよく見る事例で,大人になってからというよりも自分の小中学校時代の級友を振り返るに多くの事例を思い出す。試験で重要なのは答えを出すことだが,勉強の段階ではプロセスの方が重要であるという違いを理解しておらず,勉強は全部試験だと思ってしまっている。
→ さらに分類するなら,良くない教育を受けてきた結果それが勉強だと勘違いしてしまった子か(誤答した子を叱責するのは最悪のやり方である),勉強に興味が無さすぎて1秒でも早くこの場から抜け出したいタイプの子である。前者については粘り強くほどいていくことになろうが,割とあるのがそもそも勉強の目的を理解していないパターンで,「今の段階で君がやるべきは答えを出すことではなくて,思考のプロセスを鍛えること」がであることを明確に子供に言ってあげるべきだと私は思う。当てずっぽうでもいいから答えを出せば大人が喜ぶと思っている子に,思考のプロセスを問うても「わかりません」としか返ってこないのは当然の帰結である。一方,後者はもう勉強そのものから解放してあげた方がその子の最終的なQOLが上がるような気も。


・「FF6」の新たなバグを発売25年後に見つけたテスト技術者の腕前 (日経 xTECH)
→ FF6の有名プレイヤーのエディさんがインタビューを受けていた。顔出ししていたのが意外。めちゃくちゃ若かったのも意外だが,本職については納得感しかないというギャップ。
→ なお,現在のFF6の低歩数記録はエディさん自身が「有用バグが多すぎて確定できず,確定できないからプレイできない」というとんでもない状況で止まっている。これだけ時間が空いてバグが多数発見されるゲームも珍しい。