2020年01月31日
豪栄道引退に寄せて
豪栄道は大阪の寝屋川市出身だが,巨人ファンだそうで,どうしてそうなったのかはちょっと気になる。稀勢の里と同い年だが,稀勢の里が中卒で入門してはやばやと出世していったのに対し,豪栄道は埼玉栄高校に進学,高校横綱になるなど,アマチュア時代から名を馳せていた。全日本相撲選手権大会が3位であったから,あと少しで史上初の「高卒幕下付出」であったし,現在の制度であれば余裕の三段目付出であった。そのため本名の「澤井」も早くから注目していた人たちの間では通りが良く,四股名を得てからもしばらくは澤井と呼んでいた人も多かった。
2005年初場所で前相撲,2006年九州で新十両,2007年九月に新入幕でその場所11勝の敢闘賞,2008年九州で新小結であるから,出世はかなり早い。だが,そこから先が長かったのは稀勢の里と同じだった。エレベーターの状態を脱したのは2012年頃。その間に野球賭博問題により2010年の名古屋場所は出場停止となった。今思い返すにこの出場停止から相撲が改善されたので,本人としては思うところがあった転機だったのかもしれない。この足踏みもあり,2010年頃までは栃煌山や琴奨菊の方が評価が高かった。栃煌山はもろ差し,琴奨菊はがぶり寄りの技が確立されていたのに対して,豪栄道はこれといった型が無かったというのもあった。もっとも,最後まで型の無いまま引退するとは思っていなかったが。
2012年五月に新関脇に昇進してからは14場所連続で関脇に在位し,史上最高記録を樹立。丸二年以上関脇の片方を独占していた形になる。琴光喜も2005年から2007年にかけて11場所連続で関脇,魁皇も1995年から1997年にかけて13場所連続で関脇であったが,これらの記録がこれほど短い間隔で破られるとは思っていなかった。関脇最後の三場所は合計32勝で目安に達していなかったが,14場所連続在位も評価されて大関昇進となった。稀勢の里同様に「いつかは大関になる」と言われ続けていた人ではあったが,その稀勢の里から2年遅れることになった。稀勢の里も随分かかったという印象であったが,豪栄道も長かった。とはいえ大関昇進前後で相撲ぶりが変わったというわけではなく,関脇時代とさして変わらなかったので,大崩れも少ないが二桁もなかなか勝てないという状況が続いた。ただし,後述するように豪栄道は日ごとの調子の波が激しいがために終わってみるとそのような成績になってしまうのだが,好調で相撲勘が抜群の日が連続で続けば自然と無敵であり,2016年九月のように優勝する場所も出現した。逆に言えば不調の日が続けば普通に負け越すので,カド番は9度に渡った。大関在位時の勝率は.572とお世辞にも高くなく,歴代の大関は.580〜.590になったあたりで引退に追い込まれているので,むしろよく低空飛行を維持したという部類に入る。ケガの存在を全く公言しない力士であるので休場の際の診断書でしか推測できないが,それだけで全身ケガだらけの満身創痍であったことはうかがいい知れる。
取り口について。まず日本人としてはがっちりとした体格でほとんどの力士に当たり負けせず,立ち合いで立ち遅れる悪癖が大関昇進頃まで改善されなかったが,それでも形になるだけの受け止められる力があった。立ってさえしまえばむしろ瞬発力があり,良くも悪くも出たとこ勝負で勝負が決まるのが豪栄道の相撲であった。一つ一つの技の切れ味が鋭く,相手の隙を突いて一撃の投げ技なり押し相撲なりで決めてしまう相撲は見ていて痛快であった。良くもあんな変な差し手で寄れる(投げられる)ものだ。というのも力をかけていいタイミングの見極めが絶妙なのだろう。組んでも離れても取れ,後述するように極端な苦手力士もいなかったので,そのフラットさはかえって際立つ特徴だったと言えるかもしれない。
一方,相撲全体に戦略がなく,こうなったら必ず勝てるというような必殺技も無かったので,理詰めで攻められると逆転の機会無く詰んでしまう。相手が攻め急いで攻め込んでくれた方が豪栄道にとっては良く,あえて豪栄道の特徴と言える技を挙げるなら,絶体絶命の状況から繰り出される首投げとなるのは満場一致の解答になろう。好調な時は首投げを出さざるを得ない状況にならないから,首投げが出る時はどちらかというと不調な時であり,得意技は調子のバロメーターであるという不思議さも豪栄道の魅力であったと言えるかもしれない。優勝した2016年九月では12日目まで一度も出なかった……それだけに13日目で日馬富士に見舞った(最終的にこの場所の首投げはここだけ)のには爆笑してしまったが。
そういう取り口であるので調子がその日の相撲勘に完全に左右され,場所ごとの調子どころかその日の調子に勝敗が大きく左右されたのも,豪栄道の特徴だろう。極端に合口の悪い力士はいなかったが,逆に言えば実力通り・番付通りの勝率になるということで,白鵬・日馬富士・鶴竜・稀勢の里戦の勝率は悪い。あとは遠藤に負け越したが,これは前述の通りで理由がわかる気がする。逆に相手も身体頼みで来る貴景勝や照ノ富士には勝ち越しており,パワープレイヤーキラーであったとは言えよう(その割に逸ノ城には分が悪かったのだが)。実は白鵬については大関昇進直前期に限れば勝率が高く,これは白鵬の「場所前半は可能な限り手抜きして,省エネで勝つ」という戦略を突いて,雑になった部分を攻めて勝つということをしていたためである。これは大関に昇進した結果,白鵬が大関相手だと省エネ相撲をとらないので,再び白鵬の分が良くなっていったのだが。
古風な力士で,極力自分のケガの有無を言わず,よほどのことがなければ休場せず,言い訳もせずに沈黙を貫き,あくまで土俵の上の振る舞いですべてを示すというタイプであった。それだけに9度のカド番は本人が一番こたえたのではないかと思われ,すぱっと引退を決めたのもわかる気がする。個人的な好みで言えば力士にはアスリートであってほしいのでもうちょっと話してほしかったところだが,「古き良き」を尊重すべき部分もあろう。遠藤もそうであるようにこの流儀は今後も引き継がれていくだろう。お疲れ様でした。
2005年初場所で前相撲,2006年九州で新十両,2007年九月に新入幕でその場所11勝の敢闘賞,2008年九州で新小結であるから,出世はかなり早い。だが,そこから先が長かったのは稀勢の里と同じだった。エレベーターの状態を脱したのは2012年頃。その間に野球賭博問題により2010年の名古屋場所は出場停止となった。今思い返すにこの出場停止から相撲が改善されたので,本人としては思うところがあった転機だったのかもしれない。この足踏みもあり,2010年頃までは栃煌山や琴奨菊の方が評価が高かった。栃煌山はもろ差し,琴奨菊はがぶり寄りの技が確立されていたのに対して,豪栄道はこれといった型が無かったというのもあった。もっとも,最後まで型の無いまま引退するとは思っていなかったが。
2012年五月に新関脇に昇進してからは14場所連続で関脇に在位し,史上最高記録を樹立。丸二年以上関脇の片方を独占していた形になる。琴光喜も2005年から2007年にかけて11場所連続で関脇,魁皇も1995年から1997年にかけて13場所連続で関脇であったが,これらの記録がこれほど短い間隔で破られるとは思っていなかった。関脇最後の三場所は合計32勝で目安に達していなかったが,14場所連続在位も評価されて大関昇進となった。稀勢の里同様に「いつかは大関になる」と言われ続けていた人ではあったが,その稀勢の里から2年遅れることになった。稀勢の里も随分かかったという印象であったが,豪栄道も長かった。とはいえ大関昇進前後で相撲ぶりが変わったというわけではなく,関脇時代とさして変わらなかったので,大崩れも少ないが二桁もなかなか勝てないという状況が続いた。ただし,後述するように豪栄道は日ごとの調子の波が激しいがために終わってみるとそのような成績になってしまうのだが,好調で相撲勘が抜群の日が連続で続けば自然と無敵であり,2016年九月のように優勝する場所も出現した。逆に言えば不調の日が続けば普通に負け越すので,カド番は9度に渡った。大関在位時の勝率は.572とお世辞にも高くなく,歴代の大関は.580〜.590になったあたりで引退に追い込まれているので,むしろよく低空飛行を維持したという部類に入る。ケガの存在を全く公言しない力士であるので休場の際の診断書でしか推測できないが,それだけで全身ケガだらけの満身創痍であったことはうかがいい知れる。
取り口について。まず日本人としてはがっちりとした体格でほとんどの力士に当たり負けせず,立ち合いで立ち遅れる悪癖が大関昇進頃まで改善されなかったが,それでも形になるだけの受け止められる力があった。立ってさえしまえばむしろ瞬発力があり,良くも悪くも出たとこ勝負で勝負が決まるのが豪栄道の相撲であった。一つ一つの技の切れ味が鋭く,相手の隙を突いて一撃の投げ技なり押し相撲なりで決めてしまう相撲は見ていて痛快であった。良くもあんな変な差し手で寄れる(投げられる)ものだ。というのも力をかけていいタイミングの見極めが絶妙なのだろう。組んでも離れても取れ,後述するように極端な苦手力士もいなかったので,そのフラットさはかえって際立つ特徴だったと言えるかもしれない。
一方,相撲全体に戦略がなく,こうなったら必ず勝てるというような必殺技も無かったので,理詰めで攻められると逆転の機会無く詰んでしまう。相手が攻め急いで攻め込んでくれた方が豪栄道にとっては良く,あえて豪栄道の特徴と言える技を挙げるなら,絶体絶命の状況から繰り出される首投げとなるのは満場一致の解答になろう。好調な時は首投げを出さざるを得ない状況にならないから,首投げが出る時はどちらかというと不調な時であり,得意技は調子のバロメーターであるという不思議さも豪栄道の魅力であったと言えるかもしれない。優勝した2016年九月では12日目まで一度も出なかった……それだけに13日目で日馬富士に見舞った(最終的にこの場所の首投げはここだけ)のには爆笑してしまったが。
そういう取り口であるので調子がその日の相撲勘に完全に左右され,場所ごとの調子どころかその日の調子に勝敗が大きく左右されたのも,豪栄道の特徴だろう。極端に合口の悪い力士はいなかったが,逆に言えば実力通り・番付通りの勝率になるということで,白鵬・日馬富士・鶴竜・稀勢の里戦の勝率は悪い。あとは遠藤に負け越したが,これは前述の通りで理由がわかる気がする。逆に相手も身体頼みで来る貴景勝や照ノ富士には勝ち越しており,パワープレイヤーキラーであったとは言えよう(その割に逸ノ城には分が悪かったのだが)。実は白鵬については大関昇進直前期に限れば勝率が高く,これは白鵬の「場所前半は可能な限り手抜きして,省エネで勝つ」という戦略を突いて,雑になった部分を攻めて勝つということをしていたためである。これは大関に昇進した結果,白鵬が大関相手だと省エネ相撲をとらないので,再び白鵬の分が良くなっていったのだが。
古風な力士で,極力自分のケガの有無を言わず,よほどのことがなければ休場せず,言い訳もせずに沈黙を貫き,あくまで土俵の上の振る舞いですべてを示すというタイプであった。それだけに9度のカド番は本人が一番こたえたのではないかと思われ,すぱっと引退を決めたのもわかる気がする。個人的な好みで言えば力士にはアスリートであってほしいのでもうちょっと話してほしかったところだが,「古き良き」を尊重すべき部分もあろう。遠藤もそうであるようにこの流儀は今後も引き継がれていくだろう。お疲れ様でした。
Posted by dg_law at 18:18│Comments(4)
この記事へのコメント
大阪、アンチアンチ巨人で巨人ファン意外といますよ。
大阪や神戸なんかと一緒にしてくれるなと京都にも意外と巨人ファンがいます。
大阪や神戸なんかと一緒にしてくれるなと京都にも意外と巨人ファンがいます。
Posted by アンチアンチ巨人 at 2020年01月31日 20:19
あー,なるほど。(私の出身の)愛知県だと個人の選手が好きだったり,球団の経営方針が嫌いだったりで意外と中日以外の球団のファンを見かけますが,アンチアンチ巨人というパターンは見たことなかったので,その理由は思いつきませんでした。面白いです。
Posted by DG-Law at 2020年01月31日 21:40
優勝した時の場所って、首投げで日馬富士に勝ったのは13日目で、千秋楽は琴奨菊戦だったような気がしたのですが……記憶違いだったらごめんなさい
Posted by killrin at 2020年01月31日 21:59
あ,ご指摘の通りです。13日目ですね。直しときました。
Posted by DG-Law at 2020年01月31日 22:04