2020年03月02日

「大和と出雲」(他は含まない)

画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡東博の出雲と大和展に行ってきた。タイトルの通り,古代日本の信仰を追う展示である。出品物はほぼ全て出雲からの出土品または出雲大社の所蔵品,畿内からの出土品または畿内の諸寺院・東博の所蔵品である。出雲側の展示については,展示品リストを見ればわかる通り,多くが古代出雲歴史博物館か出雲大社で見たもので,個人的にはほとんど新鮮味が無かった。逆に言ってこれに感動した人は是非現地で見てきてほしい。絶対に感動するので。逆に大和側も出品リストを見ると,考古学的出土品は多くが橿原考古学研究所付属博物館から持ってきているものなので,直近で行っていたらつまらなかったと思われるのだが,長らく行っていないのでけっこう楽しめた。それこそ,これはそのうち現地で見たほうが楽しそうである。

それはそれとして,今回の展示は邪馬台国畿内説の勝利が裏テーマだったのではないかというくらい弥生時代の大和が押されていて,こんなに数を並べなくてもいいのにというくらい銅鏡が陳列されていたり,箸墓古墳他の初期古墳郡については饒舌な一方で,いつもの東博の展示であれば必ず説明しているであろうと思われるその邪馬台国論争や空白の150年に全く触れていないのもかえって不自然で,余計に「え,畿内にあったのなんて当たり前でしょ?」感が醸成されていた。展示のテーマが「出雲と北九州と大和」ではなかった時点で察するべきだったのかもしれない。その割に仏教公伝は538年説と552年説が併記されていて,このノリなら538年説だけでいいやろ……と思って思い出した。この企画は『日本書紀』成立1300年記念行事だったわ。一応,『日本書紀』を立てた細やかな配慮だったことに気づいてちょっと面白かった。

そうしたテーマ設定を一切無視して言えば,高校日本史的な文化史の振り返りとしては非常に優秀で,この辺は東博らしさにあふれていた。弥生土器→土師器→須恵器といった変遷や,出雲での四隅突出型墳丘墓の登場から大型古墳へ,そして古墳埋葬者の司祭者的性格から武人的性格への変遷,そして古墳から仏教へという大きな変革はわかりやすく,展示物を追っていくだけで自然と感じ取れるようになっている。神仏習合の流れの中でも出雲はそれなりの存在感を放ち,特に鰐淵寺が修験道・蔵王信仰の一大拠点として栄えた……という感じで展示が終わる。


本館の常設展示はあまり面白いものが無かったが,東洋館は「文徴明とその時代」と銘打って明代後期の書画が展示されていた。文徴明とその周囲の画は線がこれでもかという程に細く,ぱっと見た印象は画面全体が「白い」。しかもじっとよく見るとその細い線が驚異的な細かさで画面を埋めているので,実にマニエリスティックな面白さがある。川や空間が白描なのはよく見るが,樹木や山容の中まで真っ白で,あえて奥行きを殺している山水画は「面白い」以外の感想が見当たらない。