2020年07月16日

16世紀の「価格革命」を高校世界史教科書でどう説明するか

高校世界史深堀りシリーズ。16世紀の西欧では,その世紀を通じて長期的・持続的な物価騰貴が生じ,最終的に約3〜4倍まで上昇した。これを価格革命と呼ぶ。100年間で3〜4倍では革命と呼ぶには随分と緩やかな物価騰貴であるように思われるが,この物価騰貴はその速度で歴史に残ったわけではなく,様々な影響をもたらしたがゆえに命名されたものである。その影響を高校世界史の内容に沿って列挙してみよう。

 ‥時の封建領主は永代的な固定地代を農民から徴収していたため,物価騰貴に追随できず,相対的に経済的に困窮することになった。
◆‥時の西欧の主要産業の一つに銀鉱山の経営があったが,価格革命は銀価格の下落をもたらしたため,多くの鉱山に一時的な経営破綻をもたらした。これにより没落した名家としてアウクスブルクのフッガー家が有名である。
 持続的なインフレが投機ブームを生んだ。かつ,同時期の商業革命の影響により主な投機先が英仏蘭であったため,これらの地域が近世の商工業の先進地域となる基盤が生じた。
ぁ,海硫然奮很燭賄豌い任牢砲笋だったために,特に農産物において物価に大きな東西格差が生まれた。結果として東欧は西欧向けの穀物生産に特化して,経済的に従属的な地位に自主的に転落していくことになった。

かくのごとく価格革命は歴史的な意義が極めて大きいため,高校世界史での扱いも極めて大きく,入試でも頻繁に出題される。一方,価格革命は発生した原因が確定していないという面白い現象でもある。現在のところ有力な学説は2つある。

・アメリカ大陸から大量に銀が流入したことに原因を求める説
= 比較的古い学説。銀貨は当時の西欧の主要な通貨であったため,スペインは征服したアメリカ大陸で多くの銀山を発見し,採掘した銀を持ち帰って銀貨に鋳造した。当時のスペインはオスマン帝国・フランス・ルター派等と絶え間なく戦争を続けていたため,軍事費という形で銀貨が西欧中にばらまかれた。流通する貨幣量が増えたのだから,貨幣数量説から言ってインフレが発生するのは当然である,とする説。
・西欧の人口増加に原因を求める説
= 比較的新しい学説。西欧の人口は,1340年代のペストの大流行を契機に16世紀に入るまでの間は減少するか停滞するかであった。しかし,16世紀に気候が温暖化すると急速に回復・増加し,それに伴って穀物需要が増加した。そして穀物に引っ張られる形で諸物価も騰貴し,16世紀の100年間は人口増加との両輪でインフレ・スパイラルが続くことになった,とする説。

前者の貨幣数量説的な説明(以下煩雑なので貨幣数量説と表記)は,なんと16世紀当時にはすでに唱えられていたという伝統があり,かのアダム=スミスやケインズ等の歴史上の経済学者たちが支持し,研究に蓄積がある。ただし,貨幣数量説は1950年代以降に本格的な検証が始まり,たとえば「17世紀にもアメリカ大陸からの銀の流入が続いているが,インフレは止まっている」といったように多面的に批判されている。近年では後者の説を取る川北稔に「近年にいたってあますところなく批判され,本来の形を喪失している」とまで言われている。ただし,完全に否定されてきったかというとそうでもなく,「全面的には採用されないけど,影響をゼロに見積もるのは多分無理」というような空気である。一方,後者の人口増加原因説は,工業製品よりも農産物の価格が先行して上昇したことに支えられている。しかし,これはこれで史料の制約もあって単独での立証は難しいようだ。そもそも単独で説明するのではなく,両説が複合して起きたのではないか,という論もある。詳しく知りたい方は,各々でCiNiiで論文探して読んでください。

さて,本稿は価格革命の原因を探りたいわけではなく,どちらを取るかの意思を表明したいわけでもなく,こうした「学界で割れている学説の高校世界史における取り扱い」の研究が目的である。というわけで,いつもの教科書5冊と用語集の比較。なお,歴史的意義についてはほぼいずれの教科書も Ν・い砲録┐譴討い拭△詫儻貊犬里澆傍載あり。

《貨幣数量説的な説明のみを掲載》
・山川『詳説世界史』:「ラテンアメリカの銀山から大量の銀が流入し,ヨーロッパの物価は2〜3倍に上昇した。この物価騰貴は価格革命と呼ばれ」
・東京書籍:「アメリカ大陸から大量の銀が流入して,価格革命と呼ばれる物価騰貴が起こった」
→ 山川の『詳説』は良くも悪くも保守的なので,納得の記述。経済史で先進的な記述の多い東京書籍はちょっと意外。

《人口増加原因説のみを掲載》
・帝国書院:「16世紀のヨーロッパでは人口が増加し,食料や土地の価格が上がり,激しい物価上昇(インフレーション)が起こった。これは価格革命と呼ばれ」
→ 川北先生が執筆陣にいる教科書なので……また,新説大好き帝国書院の性格がそのまま現れたとも言える。

《両論併記》
・山川『新世界史』:「人口が大きく増え,これが生産全般を刺激した一方で,新大陸の銀の流入もあって生産増と価格上昇(価格革命)が両立していた」
・実教出版:「アメリカ銀の大量流入と人口増加により,物価が大幅に上昇した(価格革命)」
(参考)山川「用語集」:「銀の大量流入により起こった」としつつ,「人口増加が価格革命のより直接的な原因とする説もある」と補足。
→ 山川は仲間割れ。『新世界史』の説明は面白いが,高校生が読むにはちょっと固い気も。実教出版の説明は簡素ではあるが,適切な表記であると思う。


【感想】
やはり現状においては両論併記で複合的な原因とするのが最も穏当であり,実教出版の説明が一番優れていると思われた……とだけ最初書いていたのだが「説明不足では」という指摘を受けて再考するに,確かに簡素すぎて高校生が一読しただけでは意味がとれないだろう。ただし,実教出版の教科書は本文外で小麦価格の推移のグラフを載せて補足している点と,帝国書院を除けば他の教科書も結局因果関係を説明しきれていない点を踏まえると,両論併記をしている時点で現状ではやはり相対的に優れていると言っていいとは思う。高校教科書は紙幅が極めて限られているので,どうしても長くなる貨幣数量説の本格的な説明は難しく,そこは教科書を使って教える高校教員の役割になる。その意味で,帝国書院の記述は短い字数で人口増加原因説の因果関係を示すことができていて,これはこれで良い記述であると評価しうる。かえすがえすも両論併記していない点だけが惜しい(ここまで7/16の19時頃に追記)。

山川の仲間割れは面白い。仲間割れというよりも,『詳説』はとにかく堅牢に,『新世界史』は執筆者の好きなように書かせるスタイル,「用語集」で詳細に補足説明,という3冊で分業をしていると言った方がいいかもしれない。東京書籍が両論併記していないのは,その経済史で他の追随を許さないというスタイルからすると,ちょっと残念である。逆に帝国書院はその性格がそのまま出ていて,期待通りの記述ではあった。一応,帝国書院も資料集(タペストリー)では両論併記であったから,これも山川と同じで,イデオロギーを教科書で示しつつも,受験対応の観点から資料集では現実に即した対応という分業体制なのかもしれない。

これは全くの余談だが,パラドゲーの『EU』シリーズは貴金属鉱山を所有していると自国の貨幣がインフレするというシステムがあるが,これは価格革命を再現するために実装されていると思われ,パラドは明確に貨幣数量説をとっているということになる。しかし,上述の通りに人口増加説も有力になってきているので,そろそろこのシステムを廃棄してもいいのでは。

この記事へのコメント
教科書の種類って少なくなったんですね。。。
Posted by おおおおんづけ at 2020年07月17日 21:20
1980年代から2002年の改定頃までは17〜19冊だったようですが(私もかろうじて19冊時代の記憶があります),そこの改定で11冊に大きく減少し,2012年の改定で7冊まで減りました。この7冊まで減った段階で清水書院と第一学習社と三省堂が撤退しています。
現在はこの7冊です。本記事で2冊取り上げていないものがあるのは「名目上はBだが,内容的にはA並に薄い」ためです。山川の『高校世界史』と,東京書籍の『新撰世界史』です。本当はこの2冊も扱った方がいいんですよね。非受験用であるためか,内容の正確性がかなり危うく,旧説だらけなので。

ちなみに,日本史も地理も同様に2012年の改定で大きく減っています。現在,日本史Bは8冊,地理Bに至ってはわずかに3冊です。

次の2022年の改定が怖いですよ。さすがに7冊からは減らないと信じていますが……
Posted by DG-Law at 2020年07月18日 00:19
三省堂の撤退は痛いですね。
かつては山川に載っていなければ三省堂を見ろ、と言われていた(日本史だけかもしれませんが)くらいの扱いだったのに。。。
○○社とかどうでも良いから吉川弘文館とか参入してくれないかなあとぼやいてみました。(日本史の話です)
Posted by おおおおんづけ at 2020年07月18日 09:45
パラドさんはたしか発売前の開発日誌で「鉱山を単なる金の成る木にしないために」インフレ機能をつけたと言っていました
Hoiシリーズの枢軸過大評価 Vicシリーズの植民地マルクス経済採用 CKシリーズの騎士道物語的イベントなど間違ってると分かっててもゲームバランスや面白さのために旧説を維持することもあるのでは
Posted by パラドゲー好き at 2020年07月19日 09:16
>おおおおんづけさん
三省堂は世界史でもそういうポジションだったと思います。
現在の実教出版と同じような感じでしょうか(最新の学説の摂取が早いわけではないが,たまに他の教科書に載っていない特異な記述がある)。
吉川弘文館は,教科書作り・高校教育のノウハウが無いので,難しいでしょうね。やってくれたら面白いとは思いますが。


>パラドゲー好きさん
私もパラドゲー好きなので,パラドさんのその辺の史実とゲーム的面白さのバランスのとり方の上手さ,現実の複雑さを捨象する歴史シミュレーターとしての優秀さは知っています。
その上で,貴金属鉱山はVicと同じような普通の生産物にしてしまってもいいのではないかなと思います。枯渇のシステムがあるだけで金の特異性は十分にあると思いますし,ただでさえEUシリーズは他シリーズよりも経済システムが複雑になりがちな傾向があるので。
Posted by DG-Law at 2020年07月19日 14:51
拙者思うに確かにVictoriaの貴金属鉱山は貴金属という資源を生産するRGOでござったが、
Victoria2では貴金属は世界市場で取引されない唯一の資源に化けたので、パラド的には貴金属=現金、なのではないかと分析する所存。


そして簡略化という観点で言うと、
「金鉱山で貴金属という財が生産される→それを何らかの手段で現金に転換する」というシステムを新規に開発する方が、現行より大分面倒になるかと思います。


無論、ラディカルにインフレシステム自体を全廃して、金山や現金鋳造や賠償金やなんやかやの直接的な現金収入に対して直接にはデメリットが発生しないEUを作ることも可能でしょうけれども、それのバランス調整やシステム理解のしやすさが、現行のインフレシステムの存在するEUより簡単になるかというと、正直微妙かなあと。
Posted by シダー近藤 at 2020年07月27日 20:54
Vic2,評判が微妙でスルーしているのがばれるw
そんな変更があったんですな。Vic2の時代はまだ金本位制であって管理通貨制度じゃないというのを考慮してそうしたんですかね。

確かに「アメリカ大陸の貴金属鉱山を獲得した(史実で言うところの)スペインを強大化しすぎないようにするか」というのはEUシリーズのゲーム設計における一つの要点ではあり,既存の貨幣数量説に乗っかった価格革命で苦しめてしまうのが,かえってシンプルな解決かもしれませんね。
傭兵の値段を釣り上げたりで何とかならんかな,とかは考えますが。
Posted by DG-Law at 2020年07月28日 01:40
だらだらゲームしたりwiki読んだりソシャゲしながら考えてたんですが、今のEU4のインフレは物価とあまり関係ないし、価格革命ともちょっと違う、「政府支出効率指数」とでも呼ぶべき謎の数字、に思えます。


・通常の商業活動(交易)ではインフレは起きない
※ただし属国に対してTrade Companyへの出資を強要すると「本国が」インフレする

・単に政府の収入が増えただけではインフレは起きない
※戦争に勝って普通に賠償金を取るとインフレが起きるが、戦争DLC入れて10年分割払いで受け取るとことにするとインフレが起きなくなった

・政府が絡んだ活動でしかインフレは起きない
※植民地国家が金山を持っているだけならインフレが起きないと油断していたらDLCでtreasure fleet(もちろん私掠船に狙われる)を送りつけてきてインフレが起きるようになった

・インフレが上がるとデメリットしかない
・インフレが下がるとメリットしかない

・統治点を使うとインフレが下がる
・国立銀行のNIでインフレが下がる
・インフレを下げる能力を持つ政策顧問がいる


要するに政府が非効率というか無規律(金遣いが荒い)に近づいている度合いではないかと。

統治点で下がるというのは行革ですな(金族議員(謎)を落下傘候補(謎)で落選させたのかもしれませんが)。
国立銀行で下がるというのは単に中央銀行があるほうが財政規律が高いという普通の話で、政策顧問もシャハト博士みたいな謎の超生物のことではなく普通に役人に仕事をさせてるだけではないかと。


そんな風に思いました。
Posted by シダー近藤 at 2020年09月25日 14:25