2020年08月16日

日時指定された異世界へ(ロンドン・ナショナル・ギャラリー展)

ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》Twitterで流れてきたTweetに「美術館とは,気軽に行ける異世界だった。日時指定で行けるようになっても気軽さがない」というものがあって,非常に強く同意していた。なんとなく美術館に行くのが億劫になっていたが,それを言語化できずにいたところであったので,まさに我が意を得た言葉であった。それでも異世界への思いは絶ち難く,重い腰を上げてイープラスのアプリを起動して,やっと行ったのが西美のロンドン・ナショナル・ギャラリー展であった。

本展は展示数が61点と少なかったが,非常に豪華だった。こういう海外の大規模美術館から借りてくる時は目玉展示が数点,後はまあ……ということになりがちであるが,今回は紛れもなく端から端まで目玉展示になるものがそろっていて,極めて満足感が高い。コロナ禍に巻き込まれて全然集客できていないのが非常にもったいない。ついでに言うと,宣伝もゴッホに偏っていたのはちょっともったいない。

第1章はイタリア=ルネサンス。いきなり最初にウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》が出迎えてくれる(今回の画像)。聖ゲオルギウスが描かれることがそれほど多くないので,彼といえばこれという作品。聖ゲオルギウスは竜を瀕死にした後,竜に生贄として捧げられていた姫とともに宮殿に連れて帰り,「キリスト教に改宗するなら,とどめを刺します」と告げたそうなので,姫が竜の首に繋げられた縄を持っているのだが,むしろこの縄のせいで「姫が飼っていたペットの竜を刺殺されているシーン」にしか見えない。それはそれで何か物語が作れそうな設定ではあるが。(FGOでゲオルギウスにお世話になった人はここで詣でておきましょう。

2枚めも豪華,カルロ・クリヴェッリの《受胎告知》。めちゃくちゃ急角度な一点透視図法は,それが定着し始めた頃のイタリアでは大受けだったのだろう。それだけに,透視図法を無視して天から降り注ぐ「受胎しろビーム」が非常に目立っていて,画題の面目躍如である。クリヴェッリの硬質な描き方も,建物が目立つ本作ではよくあっている。なお,本展の図録カバーは本作とゴッホの《ひまわり》の二種類から選択可能である。他にギルランダイオ,ボッティチェッリ,ティツィアーノと来て最後がティントレットの《天の川の起源》。これもこのギリシア神話の1シーンを説明する際にほぼ必ず言及される絵で,ここで見れたのは僥倖であった。

第2章はオランダ黄金期の絵画。レンブラントの自画像,フランス・ハルスの肖像画,ヤン・ステーンやテル・ボルフの風俗画,クラースゾーンの静物画とおなじみの面々が続く。フェルメールも1点,《ヴァージナルの前に座る女》が来ていた。本作の特異性は,フェルメール作品なのに画面の左側の窓がカーテンで覆われていて,残った部分も宵闇となっていて光が差していないことにある。2枚の画中画が置かれているのも珍しい。壁にかかっている大きな絵はディルク・ファン・バビューレンの《取り持ち女》と特定されているが,ヴァージナルにかけられた風景画は言及している文献が少ない(図録でも言及がなかった)。宵闇や画中画,加えてヴァージナルの手前に置かれたセッション用の弦楽器から,本作はまあそういう男女の密会の光景だろうとされている。本作が来ているとは知らなかったので,思わぬところでフェルメールのスタンプラリーが一つ埋まって嬉しかった。私はこれで23/37(22/35)点となった。

第3章はやっとナショナル・ギャラリーらしくイギリスの絵画。ヴァン・ダイクで幕を開け,レイノルズとゲインズバラに続いていく見事な構成。個人的に面白かったのがライト・オブ・ダービーによる肖像画があったことで,ライト・オブ・ダービーと言えば《空気ポンプの実験》等の科学実験や講義のイメージしか無かったので新鮮だった。当然ながら,彼も主要な収入源は近隣のジェントリや産業資本家の肖像画だったのだ。

第4章がグランド・ツアー。イギリス人貴族・富裕層の若者によるイタリアへの修学旅行であり,土産物としてイタリア現地の風景を写した絵画を購入するのが流行していた。ここもカナレットとグアルディというこの分野の二大巨頭の作品が展示され,カナレットはイギリス滞在中に描いたイートン・カレッジの風景画もあり,客層とニーズをよくつかんでいる。カナレットがイギリスに滞在していたのは初めて知ったのだが,9年間とかなり長い。やがてグランド・ツアー需要が増すと,イタリア人だけでなくフランス人のジョゼフ・ヴェルネやイギリス人のリチャード・ウィルソンなどもお土産系イタリア風景画に参入して人気を博した。ジョゼフ・ヴェルネやリチャード・ウィルソンの作品は本展の他に,西美の常設展に展示されているので合わせて確認したいところ。

第5章は少し時代が戻って17世紀のスペイン絵画。なぜこのような構成になっているかというと,イギリスのスペイン絵画受容がナポレオン戦争を契機としているからだそうで,であれば確かにグランド・ツアーの後に持ってくるのが正しい。ここもエル・グレコ,ベラスケス,ルカ・ジョルダーノ,ムリーリョ,スルバラン,ゴヤと錚々たる面々。スルバランの殉教した聖女シリーズを久しぶりに見た気がする。今回は《アンティオキアの聖マルガリータ》で,竜に丸呑みされたが奇跡によって龍の腹が割けたので脱出しえた,というすごい伝説を持つ。アトリビュートは当然竜になるので,本作でも竜を侍らせている……思わず侍らせていると書いてしまったが,聖マルガリータが羊飼いの格好をしていることもあって,これも竜が飼われているようにしか見えない。この竜,普通にかわいいんだよな……。ゴヤの作品はウェリントン公の肖像画。キャプションにある「表情がやつれて虚ろ」「スペイン戦役の苦労が表れている」という言葉の通りで,威厳に満ちながらもやつれている表情の表現が見事であった。

第7章は18世紀後半以降に隆盛したイギリスの風景画とその前史。クロード・ロランとプッサンの古典主義風景画に始まり,サルヴァトール・ローザとロイスダールの影響が入って次第にピクチャレスクに向かい,最後にコンスタブルとターナーが登場してロマン主義が流行する。クロード・ロランの作品は有名な《海港》シリーズの1作。十分に豪華ではあったのだが,個人的に風景画が一番好きなのでさすがにもうちょっと作品数がほしかったところ。コンスタブルの作品が1点だけというのは悲しい。

ラストの第8章はフランスの近代絵画。イギリスはラファエル前派が強かったこともあって印象派受容は遅れたが,それでも(前に展覧会が来ていたコートールド等ががんばったおかげで)そこそこのコレクションがある。今回の展示にいたのは新古典主義のアングルから始まってコロー,アンリ・ファンタン=ラトゥール,ピサロ,ルノワール,ドガ,ゴーガン,モネ,セザンヌ,そして最後にゴッホの《ひまわり》。ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある《ひまわり》は画面全体が黄色で,他の《ひまわり》にも増して強烈なインパクトがある。こんなものを描いていたのだからアルルの時点ですでに病んでいるよなという思いが強くなる一品だった。


というように思わず作品を列挙して長々と書いてしまったが,これほどまでに美術史の教科書に載っている作品が多く展示された企画展は,それもわずか61点に凝縮されているものとなると本当に珍しい。自分のブログの過去ログをさかのぼって見ていっても,本展に勝てそうな西洋美術の企画展が過去5年でちょっと見つからなかった。日時指定になっているためにゆったり見られるのは,鑑賞者にとってはありがたい現象で,お盆休みを除くと意外にもチケットは取りやすく余っている印象である。2020年の西洋美術の企画展を1つだけ挙げろと言われたら間違いなく本展になるだろう。