2020年12月15日
いっそのこと今度は夢女子の日本美術史展をやってほしい(「日本美術の裏の裏」展)
サントリー美術館の「日本美術の裏の裏」展に行っていた。所蔵品展であるが,だからこそキャプションと展示構成で引きつけようという努力と創意工夫がこらされていて満足度は非常に高かった。所蔵品展だったからこそ写真撮影が自由だったのも良い。
展覧会タイトルの通り,普段に比べると随所にかなり遊びが入っていて,展示物もネタに走ってかなり珍しいものを放出していた。サントリー美術館の所蔵品展はかなり行っていて有名どころは概ね見ているので,だから一つ前の所蔵品展は回避していたのだが,今回の所蔵品展は初めて見たものも多かった。そういう棲み分けだったのだろう。展示室に入ると,円山応挙の「青楓瀑布図」がお出迎え。展示室が現実の滝の水しぶきが飛んでいるかのように飾り付けてあった。一種のインスタレーションでつかみはばっちりである。何枚かの屏風を挟んで,ミクロな調度品のゾーンへ。「ちひさきものはみなうつくし」という『枕草子』の一節を引いて,明らかに実用サイズではないものが展示されていた。雛人形の伝統があるために漆器のミクロサイズは珍しくもないが,
織部焼のミクロサイズは何を考えて作られたのかがわからない。技巧の誇示か,あるいは織部焼の製作者らしく単に面白かったからか。その次がヘタウマ作品・アマチュア作品のゾーンへ。Twitterでバズっていた「室町時代の夢女子同人誌」もここに展示されていた。
500年後に自分の妄想を晒されることになろうとは作者は全く思ってなかっただろうが,「大丈夫だぞ,末裔も同じことしかやってないから」とあの世に向かって伝えてあげたくもなる。それにしても,異性装からの「おもしれー女」で恋が始まるのは,この頃からあったのだなぁ。なお,「新蔵人物語絵巻」はこの章の中では比較的上手い方で,中には本当にヘタウマというか下手なものもあった。ド下手くそでも,数百年前でかつ保存状態が良く,内容のある物語なら文化財になってしまう。サントリー美術館はよくこれ集めたな,と思ったら,
キャプションが辛辣で笑う。散々「絵心があれば,それでいいんだ」と章の説明で描いておきながら,作品別のキャプションでこの落差は卑怯。
次の章は焼き物の「景色」の話。焼き物が360度,どの角度からでも鑑賞可能な設置になっていて,自分の好きな景色を見つけようという感じだったが,そもそもサントリー美術館は普段の展示からして割と360度見られる設計にしてくれているので,今回だからこそという感じはしなかった。その次が和歌を題材にした作品の章。和歌の解説・和訳が全部の作品についていて,くずし字読めない勢としてはありがたかった。
最後が風景画の章で,「風景にはいる」という章題の通り,風景の中でミクロに描かれている人物に注目した見方を提示している。この「風景画の中に登場人物を描きこんでしまうのはありやなしや」という議論は洋の東西を問わず美術史上の重要テーマで,画中に人がいることで隔絶された自然ではなく田園風景であることを示したり,登場人物に鑑賞者の役割を持たせて鑑賞者の視点を示したりする役割があった。またこれらの意味を合わせて,西洋ならアルカディア,東洋なら桃源郷や仙境の中に鑑賞者を引きずり込むという効果があったことも見逃せない。そういった点を上手く説明する作品とキャプションになっていたように思う。
総じて冒頭に書いた通り,珍しい所蔵品と充実した工夫で飽きさせない,良い展覧会であった。逆に言えば所蔵品展ならこれくらいの気合を入れないと集客できないということなのだろうし,実際に自分も評判を聞くまで行くかどうか迷っていた。コロナ禍で大変だろうが,今後の所蔵品展もがんばってほしい。
展覧会タイトルの通り,普段に比べると随所にかなり遊びが入っていて,展示物もネタに走ってかなり珍しいものを放出していた。サントリー美術館の所蔵品展はかなり行っていて有名どころは概ね見ているので,だから一つ前の所蔵品展は回避していたのだが,今回の所蔵品展は初めて見たものも多かった。そういう棲み分けだったのだろう。展示室に入ると,円山応挙の「青楓瀑布図」がお出迎え。展示室が現実の滝の水しぶきが飛んでいるかのように飾り付けてあった。一種のインスタレーションでつかみはばっちりである。何枚かの屏風を挟んで,ミクロな調度品のゾーンへ。「ちひさきものはみなうつくし」という『枕草子』の一節を引いて,明らかに実用サイズではないものが展示されていた。雛人形の伝統があるために漆器のミクロサイズは珍しくもないが,
この織部焼すき。ほしい。#日本美術の裏の裏 pic.twitter.com/Mml5XTcWdx
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) November 6, 2020
織部焼のミクロサイズは何を考えて作られたのかがわからない。技巧の誇示か,あるいは織部焼の製作者らしく単に面白かったからか。その次がヘタウマ作品・アマチュア作品のゾーンへ。Twitterでバズっていた「室町時代の夢女子同人誌」もここに展示されていた。
これが例の室町時代の夢女子同人誌ちゃんですか。#日本美術の裏の裏 pic.twitter.com/QMb1iaECAW
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) November 6, 2020
500年後に自分の妄想を晒されることになろうとは作者は全く思ってなかっただろうが,「大丈夫だぞ,末裔も同じことしかやってないから」とあの世に向かって伝えてあげたくもなる。それにしても,異性装からの「おもしれー女」で恋が始まるのは,この頃からあったのだなぁ。なお,「新蔵人物語絵巻」はこの章の中では比較的上手い方で,中には本当にヘタウマというか下手なものもあった。ド下手くそでも,数百年前でかつ保存状態が良く,内容のある物語なら文化財になってしまう。サントリー美術館はよくこれ集めたな,と思ったら,
冷静なツッコミを入れるのはやめたげてw pic.twitter.com/qfd2szlCjZ
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) November 6, 2020
キャプションが辛辣で笑う。散々「絵心があれば,それでいいんだ」と章の説明で描いておきながら,作品別のキャプションでこの落差は卑怯。
次の章は焼き物の「景色」の話。焼き物が360度,どの角度からでも鑑賞可能な設置になっていて,自分の好きな景色を見つけようという感じだったが,そもそもサントリー美術館は普段の展示からして割と360度見られる設計にしてくれているので,今回だからこそという感じはしなかった。その次が和歌を題材にした作品の章。和歌の解説・和訳が全部の作品についていて,くずし字読めない勢としてはありがたかった。
最後が風景画の章で,「風景にはいる」という章題の通り,風景の中でミクロに描かれている人物に注目した見方を提示している。この「風景画の中に登場人物を描きこんでしまうのはありやなしや」という議論は洋の東西を問わず美術史上の重要テーマで,画中に人がいることで隔絶された自然ではなく田園風景であることを示したり,登場人物に鑑賞者の役割を持たせて鑑賞者の視点を示したりする役割があった。またこれらの意味を合わせて,西洋ならアルカディア,東洋なら桃源郷や仙境の中に鑑賞者を引きずり込むという効果があったことも見逃せない。そういった点を上手く説明する作品とキャプションになっていたように思う。
総じて冒頭に書いた通り,珍しい所蔵品と充実した工夫で飽きさせない,良い展覧会であった。逆に言えば所蔵品展ならこれくらいの気合を入れないと集客できないということなのだろうし,実際に自分も評判を聞くまで行くかどうか迷っていた。コロナ禍で大変だろうが,今後の所蔵品展もがんばってほしい。
Posted by dg_law at 22:00│Comments(0)