2020年12月25日
鳥取旅行記(伯耆大山),主に大山寺参道の魅力について
今年の旅行の旅行記は今年のうちに片付けたい,ということでいそいそと書いていく。9月の連休で鳥取県の伯耆大山に行ってきた。この9月の連休は東日本が曇り空と予報されていたため,晴れを求めて西に行こうという話になり,百名山から候補地を探してここになったという形である。同行者はいつもの頬付(@hoozuki37)としいかあ(@c_shiika)。以下に説明するように,登山としても楽しかったが,それ以上に伯耆大山と大山寺参道は総合的なコンテンツにあふれる山だった。以下,順に説明していく。
伯耆大山は伯耆富士の異名もある通り,見る角度によっては単独峰になって非常に形が美しい。見る角度によっては,というのがミソで,実は地図で確認すると南東90度くらいで蒜山高原の方向に山脈が連なっていて,純粋な単独峰というわけではなかったりする。しかも富士山のような綺麗なお椀型というわけでもなく,北側はU字型に大きくえぐれているので,地図で見ると形が全く美しくない。これが西側の麓から見ると綺麗な単独峰に見えるのだから,この山はむしろそこが面白いと言うべきだろう。高速道路から下りて大山寺参道に向かうとちょうどこの西側の麓を通ることになるのは,偶然のことながら素晴らしい。
伯耆大山も歴史の古い山として当然のように修験道のある信仰の山であり,登山道入り口は大山寺という寺院である。寺院の参道がかなり整備されていて,綺麗な石畳が敷き詰められ,モンベルとその姉妹店の土産物屋,温泉施設,レストラン&宿泊施設,ビジターセンターと一通りそろっていた。しかしながら整備具合が不自然に綺麗すぎるので不思議に思い,下山後に旅館で調べてわかったことだが,この大山寺の参道はすでに大量の観光客・登山客がいたにもかかわらず,21世紀初頭までかなり寂れていたそうだ。これを立て直した要因は二つ,一つは創建718年とされる大山寺開山1300年祭を2018年に盛大に祝うことが決まり,その10年前の2008年頃から大山寺と地元住民が急に観光振興にやる気を出したこと。ビジターセンターの充実度合いを考えると行政もかなり力を入れてくれたのだと思う。もう一つはそれをモンベルがバックアップする体制となって,その2008年にモンベル大山店が出店したことである。
モンベルが山の麓に出店することは珍しいことではないが,モンベル大山店は山の麓というには標高が高すぎ,また集客上の好立地とはいえ物流上の立地は最悪に近い。その割に他のモンベルと比べても店の規模がかなり大きく,見るからに熱意を感じる作りだった。それもそのはずで,次の記事を読めばわかる通り,このモンベル出店は地方自治体と提携した過疎地の復興そのものを目的にしたものであった。
・「アウトドア用品を使う地域」に出店、過疎地を元気に|新・公民連携最前線|PPPまちづくり
実際のあの賑わい,おそらく登山客の大部分は寄っていっているし,登頂目的ではなく参道観光目的の観光客も引きつけているという状況を見ると,モンベルはその社会的意義のある出店をしたと思う。あまりに感動したので,半ばお布施のつもりで大山店限定の大山開山1300年記念Tシャツを買ってしまった。隣接するモンベルフレンドショップ「大山参道市場」の品揃えもよく,鳥取県のお土産がここで揃うのはけっこうありがたかった。
モンベル以外の店舗も面白い。温泉は「豪円湯院」というのだが,ここも2013年オープンだから,まさに2008年の再生以降に建てられたものだ。そのせいか入浴料がかなり迷走していて,1000円→600円→380円→消費税増税で390円と7年で値下がりを続けた。泉質から言えば別に面白くは無かったのだが,建物や設備が豪華で,寺院の参道らしく名物の豆乳ソフトクリームもなかなかに美味しかった。390円はちょっと値下げしすぎたかなと思う。なお,施設名の「豪円」も再生への気概を感じる良い命名で,後で説明するのでお楽しみに。
また,参道途中にあるレストラン&宿泊施設の「オーベルジュ・エスプリ・ド・ラ・フォレ」も注目に値する。ここは2018年オープンで,新興の参道街の中でも一際新しい。我々は宿泊予約が埋まっていたので昼食で寄っただけだが,1,800円の値段と辺鄙な立地を考えると十分に美味しい洋食だった。このレストランはNPO法人「結」が障害者雇用を目的に設立・運営しているもので,言われてみるとウェイターさんの言動がややたどたどしいところがあったが,逆に言えば先にそう知っていないと気づかない程度の違和感の,丁寧で良い接客だった。こちらの記事によると食器も鳥取県立米子養護学校で作られたものだそうで,徹底している。これまた社会的に意義深い出店で,大山参道は本当に好きな観光名所になった。大山参道街はこの再生のストーリーをもっと全面的に打ち出して観光の宣伝をすべきで,都会の人間が過疎地の復興や障害者雇用自体に魅力を感じないと思っているのなら,それはもったいない勘違いだろう。この社会的意義の塊のような観光地は必ず人を惹きつける。
これでやっと大山寺そのものに入るのだが,この寺院の歴史も非常に面白い。まず718年の創建は,こういう古刹にありがちな歴史の嵩増しで正確には平安初期くらいがせいぜいだろうなんて思っていたのだが,大山寺宝物館には普通に白鳳時代の仏像(重要文化財)が展示されていて,むしろ718年はけっこう遠慮した年号なのでは……と反省した。そんな東博や京博の常設展示でも良い位置に置かれそうなものをしれっと展示しないでほしい。日本神話(出雲国風土記)にも登場するくらいの山だから仏教の方が遅いくらいで,よく考えたら立地としても出雲と畿内の間ではあるので,開山が早くても不自然ではない。9世紀に慈覚大師円仁に帰依して天台宗となり,修験道も発展し,神仏習合も盛んになった。中世には武装化して僧兵による内部抗争が激化したそうで,それが釈迦如来・大日如来・阿弥陀如来の信仰の対立と結びついた。ただし,天台宗と密教が来る前の根本的な信仰は地蔵菩薩であり,最終的な勝利者もその地蔵菩薩だったらしいというのがまた面白い。こうした内部抗争のため,大山寺の宝物殿や各建物の仏像は実に多種多様なものが展示されていて,また境内には数十体の地蔵菩薩の石像がある。なお,この内部抗争中に大規模な土砂崩れが起きてその一角が押し流されているそうで,自分らで登山した感想も加味すると,むしろよくこんな崩れかかった崖の真下で内部抗争してたよね君たち……という思いが去来する。
これが戦国時代に入ると内部抗争どころではなくなり,より大きな勢力である尼子氏・毛利氏等の戦国大名に睨まれて衰退の一途をたどるかに見えたが,ここで颯爽と登場したのが中興の祖,豪円僧正である。豪円は稀有な豪腕の政治家で,時代を見る目を持ち,織豊政権・江戸幕府に接近して,最終的には寺領三千石を確保,近世の繁栄の基礎を作った。一時期は天台宗の本元の延暦寺にも呼ばれていてその辣腕を奮っている。豪円僧正,信長の野望シリーズに武将として登場していないのは何かの間違いでは。政治力75は固い。18世紀初頭からは山の麓で大規模な牛馬市を主催することになり,新たな収益源と信仰を得た。その後,神仏分離と廃仏毀釈で大きなダメージを受けるも(明治政府許すまじ),そのパターンでは比較的珍しくも仏教主体で20世紀初頭に復活する。牛馬市が続いていたことの影響が大きかったようだが,その牛馬市も1937年に戦争を理由に廃止となり(日中戦争許すまじ),以後は21世紀初頭まではそれほど栄えず……という激動の歴史をたどっている。この歴史はビジターセンター(大山自然歴史館)の展示が充実していて,無料なので是非立ち寄って見学していってほしい。
最後に本題の大山登山に入るのだが,登山道入り口の参道と同様に登山道も極めてよく整備されていて,寺社の境内のうちは完全に石段,本格的な登山道に入ってもほぼ全面的に木製の階段または木道である。地方自治体グレーディングで言えば2Aか3Aかというところで,コースタイムは『山と高原地図』基準で6時間となっているが,実際には休憩時間込で5時間くらいだろう。登山コースは夏山登山コースと行者コースに分かれているが,行者コースの方が眺望の点で面白いと思う。次に貼ったツイートの通り,眺望は抜群で,日本海まで見えるのが本当に良い。山頂付近は風が強くて冬には雪が多く降るというのがよくわかる感じで,とても1,700mしかないとは思われない風景が広がっている。この辺はまさに「四分の三単独峰」であるがゆえだろう。しかも山脈になっている部分が内陸側なので,日本海からの風の影響は受けやすい。
一方で,これだけ整備しないと観光地にはなりえなかったのだろうなと思える程度には崩れやすい様子も見て取れた。当時にツイートしそびれていたのだが,登山道の中腹に非常に巨大な砂利の川「元谷」があって,これも見応えがあった。そしてこの砂利の川の下流に大山寺があるので,中世の内部抗争に水を差した土砂崩れが起きたのは必然だったのだろうと思う。この砂利の川,こんな写真では全く伝わらない程度に迫力があるので,是非実物を見てほしい。
あとは周辺の観光地について,二箇所だけ。一つ目はメジャーなスポットとして,大山まきばみるくの里。めちゃくちゃ濃厚なことで有名な白バラ牛乳・白バラコーヒーを生産する大山乳業農業協同組合が直営する牧場・観光施設で,白バラ牛乳が好きなら必ず行くべき。ソフトクリーム売り場は長蛇の列ができているので注意が必要である。
もう一つは,蒜山高原の麓にあるフレンチのグリーンゲイブルス。これは同行者のしいかあさんが紹介記事を書いているのでそれを紹介しておきたい。
・グリーンゲイブルスというお店のごはんがおいしかった話(c_shiikaのブログ)
夕飯を食べるところが見つからず困っていたところ,Googlemapで異様に高評価なフレンチレストランを見つけたので行ってみたら大当たりだったという。しいかあさんも書いている通り,ディナーのコースで3,000円は完全に破格の味で,東京で同じクオリティのフレンチのディナーを求めたら軽く倍はとられると思う。これまたしいかあさんも書いているところだが,我々以外にいた客が倉敷から来たという品のいい中年のカップルで(店の前に止まっていたベンツは彼らのものだろう),倉敷からここまで運転してきたと思われるおじさんの方がワインを飲めなかったことを非常に悔しがっており「なんとかここまでタクシーを配送できないか」とお店の人に交渉していた。あまりにも遠いのでやめといたほうがいいと説得されると残念そうに店から出ていったが,ベンツのおじさんは3分後くらいに店に戻ってきて最寄りのタクシー営業所の場所を聞いていったのには,我々3人も笑いをこらえきれなかった。コントかよ。あのおじさん,次は自分のベンツじゃなくてタクシーで何万円もかけて来るのだろうなぁ。倉敷の金持ち仲間にお勧めされてこの店まで来たのだろうが,今度は自分で布教するのだろう。その気持ちもわかってしまうというか,私ももう一度鳥取県まで行く用事があったらまたこの店に行くだろうし,むしろグリーンゲイブルスに行くために山陰に行く用事を作りたいと思っているくらいである。なお,多分グリーンゲイブルスで飲酒するための最適解は,店から徒歩10分くらいの場所にあるキャンプ場でキャンプである(頬付発案)。
以上,2泊3日でやっと消化しきった程度には大山エリアはコンテンツ盛りだくさんで,これに三徳山投入堂もあるし,蒜山高原もグリーンゲイブルスに行っただけだし,実は鳥取県の登山は非常に魅力的なのではないかと思う。せっかくあれだけ大山寺参道を整備したことだし,もっとその魅力をアピールしてほしい,と遠く離れた東京の地から主張しておく。
伯耆大山は伯耆富士の異名もある通り,見る角度によっては単独峰になって非常に形が美しい。見る角度によっては,というのがミソで,実は地図で確認すると南東90度くらいで蒜山高原の方向に山脈が連なっていて,純粋な単独峰というわけではなかったりする。しかも富士山のような綺麗なお椀型というわけでもなく,北側はU字型に大きくえぐれているので,地図で見ると形が全く美しくない。これが西側の麓から見ると綺麗な単独峰に見えるのだから,この山はむしろそこが面白いと言うべきだろう。高速道路から下りて大山寺参道に向かうとちょうどこの西側の麓を通ることになるのは,偶然のことながら素晴らしい。
伯耆大山も歴史の古い山として当然のように修験道のある信仰の山であり,登山道入り口は大山寺という寺院である。寺院の参道がかなり整備されていて,綺麗な石畳が敷き詰められ,モンベルとその姉妹店の土産物屋,温泉施設,レストラン&宿泊施設,ビジターセンターと一通りそろっていた。しかしながら整備具合が不自然に綺麗すぎるので不思議に思い,下山後に旅館で調べてわかったことだが,この大山寺の参道はすでに大量の観光客・登山客がいたにもかかわらず,21世紀初頭までかなり寂れていたそうだ。これを立て直した要因は二つ,一つは創建718年とされる大山寺開山1300年祭を2018年に盛大に祝うことが決まり,その10年前の2008年頃から大山寺と地元住民が急に観光振興にやる気を出したこと。ビジターセンターの充実度合いを考えると行政もかなり力を入れてくれたのだと思う。もう一つはそれをモンベルがバックアップする体制となって,その2008年にモンベル大山店が出店したことである。
モンベルが山の麓に出店することは珍しいことではないが,モンベル大山店は山の麓というには標高が高すぎ,また集客上の好立地とはいえ物流上の立地は最悪に近い。その割に他のモンベルと比べても店の規模がかなり大きく,見るからに熱意を感じる作りだった。それもそのはずで,次の記事を読めばわかる通り,このモンベル出店は地方自治体と提携した過疎地の復興そのものを目的にしたものであった。
・「アウトドア用品を使う地域」に出店、過疎地を元気に|新・公民連携最前線|PPPまちづくり
実際のあの賑わい,おそらく登山客の大部分は寄っていっているし,登頂目的ではなく参道観光目的の観光客も引きつけているという状況を見ると,モンベルはその社会的意義のある出店をしたと思う。あまりに感動したので,半ばお布施のつもりで大山店限定の大山開山1300年記念Tシャツを買ってしまった。隣接するモンベルフレンドショップ「大山参道市場」の品揃えもよく,鳥取県のお土産がここで揃うのはけっこうありがたかった。
モンベル以外の店舗も面白い。温泉は「豪円湯院」というのだが,ここも2013年オープンだから,まさに2008年の再生以降に建てられたものだ。そのせいか入浴料がかなり迷走していて,1000円→600円→380円→消費税増税で390円と7年で値下がりを続けた。泉質から言えば別に面白くは無かったのだが,建物や設備が豪華で,寺院の参道らしく名物の豆乳ソフトクリームもなかなかに美味しかった。390円はちょっと値下げしすぎたかなと思う。なお,施設名の「豪円」も再生への気概を感じる良い命名で,後で説明するのでお楽しみに。
また,参道途中にあるレストラン&宿泊施設の「オーベルジュ・エスプリ・ド・ラ・フォレ」も注目に値する。ここは2018年オープンで,新興の参道街の中でも一際新しい。我々は宿泊予約が埋まっていたので昼食で寄っただけだが,1,800円の値段と辺鄙な立地を考えると十分に美味しい洋食だった。このレストランはNPO法人「結」が障害者雇用を目的に設立・運営しているもので,言われてみるとウェイターさんの言動がややたどたどしいところがあったが,逆に言えば先にそう知っていないと気づかない程度の違和感の,丁寧で良い接客だった。こちらの記事によると食器も鳥取県立米子養護学校で作られたものだそうで,徹底している。これまた社会的に意義深い出店で,大山参道は本当に好きな観光名所になった。大山参道街はこの再生のストーリーをもっと全面的に打ち出して観光の宣伝をすべきで,都会の人間が過疎地の復興や障害者雇用自体に魅力を感じないと思っているのなら,それはもったいない勘違いだろう。この社会的意義の塊のような観光地は必ず人を惹きつける。
これでやっと大山寺そのものに入るのだが,この寺院の歴史も非常に面白い。まず718年の創建は,こういう古刹にありがちな歴史の嵩増しで正確には平安初期くらいがせいぜいだろうなんて思っていたのだが,大山寺宝物館には普通に白鳳時代の仏像(重要文化財)が展示されていて,むしろ718年はけっこう遠慮した年号なのでは……と反省した。そんな東博や京博の常設展示でも良い位置に置かれそうなものをしれっと展示しないでほしい。日本神話(出雲国風土記)にも登場するくらいの山だから仏教の方が遅いくらいで,よく考えたら立地としても出雲と畿内の間ではあるので,開山が早くても不自然ではない。9世紀に慈覚大師円仁に帰依して天台宗となり,修験道も発展し,神仏習合も盛んになった。中世には武装化して僧兵による内部抗争が激化したそうで,それが釈迦如来・大日如来・阿弥陀如来の信仰の対立と結びついた。ただし,天台宗と密教が来る前の根本的な信仰は地蔵菩薩であり,最終的な勝利者もその地蔵菩薩だったらしいというのがまた面白い。こうした内部抗争のため,大山寺の宝物殿や各建物の仏像は実に多種多様なものが展示されていて,また境内には数十体の地蔵菩薩の石像がある。なお,この内部抗争中に大規模な土砂崩れが起きてその一角が押し流されているそうで,自分らで登山した感想も加味すると,むしろよくこんな崩れかかった崖の真下で内部抗争してたよね君たち……という思いが去来する。
これが戦国時代に入ると内部抗争どころではなくなり,より大きな勢力である尼子氏・毛利氏等の戦国大名に睨まれて衰退の一途をたどるかに見えたが,ここで颯爽と登場したのが中興の祖,豪円僧正である。豪円は稀有な豪腕の政治家で,時代を見る目を持ち,織豊政権・江戸幕府に接近して,最終的には寺領三千石を確保,近世の繁栄の基礎を作った。一時期は天台宗の本元の延暦寺にも呼ばれていてその辣腕を奮っている。豪円僧正,信長の野望シリーズに武将として登場していないのは何かの間違いでは。政治力75は固い。18世紀初頭からは山の麓で大規模な牛馬市を主催することになり,新たな収益源と信仰を得た。その後,神仏分離と廃仏毀釈で大きなダメージを受けるも(明治政府許すまじ),そのパターンでは比較的珍しくも仏教主体で20世紀初頭に復活する。牛馬市が続いていたことの影響が大きかったようだが,その牛馬市も1937年に戦争を理由に廃止となり(日中戦争許すまじ),以後は21世紀初頭まではそれほど栄えず……という激動の歴史をたどっている。この歴史はビジターセンター(大山自然歴史館)の展示が充実していて,無料なので是非立ち寄って見学していってほしい。
最後に本題の大山登山に入るのだが,登山道入り口の参道と同様に登山道も極めてよく整備されていて,寺社の境内のうちは完全に石段,本格的な登山道に入ってもほぼ全面的に木製の階段または木道である。地方自治体グレーディングで言えば2Aか3Aかというところで,コースタイムは『山と高原地図』基準で6時間となっているが,実際には休憩時間込で5時間くらいだろう。登山コースは夏山登山コースと行者コースに分かれているが,行者コースの方が眺望の点で面白いと思う。次に貼ったツイートの通り,眺望は抜群で,日本海まで見えるのが本当に良い。山頂付近は風が強くて冬には雪が多く降るというのがよくわかる感じで,とても1,700mしかないとは思われない風景が広がっている。この辺はまさに「四分の三単独峰」であるがゆえだろう。しかも山脈になっている部分が内陸側なので,日本海からの風の影響は受けやすい。
無事下山。眺望は抜群だった。山頂だけガスってたが。 pic.twitter.com/1uOzf0zyPh
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) September 20, 2020
中国の大山へ。海まで一望できる非常に眺めの良い山だった。非常に脆い山で、山頂付近は崩れ続けて山腹に石の川ができている。そのためか徹底的な登山道の整備がされている。高さは1700m程度だけれど、海からの冷涼な風のために頂上付近が高山のような植生になっていて、高山ハイク気分を楽しめた。 pic.twitter.com/Tg9BzWmDil
— しいかあ (@c_shiika) September 23, 2020
一方で,これだけ整備しないと観光地にはなりえなかったのだろうなと思える程度には崩れやすい様子も見て取れた。当時にツイートしそびれていたのだが,登山道の中腹に非常に巨大な砂利の川「元谷」があって,これも見応えがあった。そしてこの砂利の川の下流に大山寺があるので,中世の内部抗争に水を差した土砂崩れが起きたのは必然だったのだろうと思う。この砂利の川,こんな写真では全く伝わらない程度に迫力があるので,是非実物を見てほしい。
あとは周辺の観光地について,二箇所だけ。一つ目はメジャーなスポットとして,大山まきばみるくの里。めちゃくちゃ濃厚なことで有名な白バラ牛乳・白バラコーヒーを生産する大山乳業農業協同組合が直営する牧場・観光施設で,白バラ牛乳が好きなら必ず行くべき。ソフトクリーム売り場は長蛇の列ができているので注意が必要である。
もう一つは,蒜山高原の麓にあるフレンチのグリーンゲイブルス。これは同行者のしいかあさんが紹介記事を書いているのでそれを紹介しておきたい。
・グリーンゲイブルスというお店のごはんがおいしかった話(c_shiikaのブログ)
夕飯を食べるところが見つからず困っていたところ,Googlemapで異様に高評価なフレンチレストランを見つけたので行ってみたら大当たりだったという。しいかあさんも書いている通り,ディナーのコースで3,000円は完全に破格の味で,東京で同じクオリティのフレンチのディナーを求めたら軽く倍はとられると思う。これまたしいかあさんも書いているところだが,我々以外にいた客が倉敷から来たという品のいい中年のカップルで(店の前に止まっていたベンツは彼らのものだろう),倉敷からここまで運転してきたと思われるおじさんの方がワインを飲めなかったことを非常に悔しがっており「なんとかここまでタクシーを配送できないか」とお店の人に交渉していた。あまりにも遠いのでやめといたほうがいいと説得されると残念そうに店から出ていったが,ベンツのおじさんは3分後くらいに店に戻ってきて最寄りのタクシー営業所の場所を聞いていったのには,我々3人も笑いをこらえきれなかった。コントかよ。あのおじさん,次は自分のベンツじゃなくてタクシーで何万円もかけて来るのだろうなぁ。倉敷の金持ち仲間にお勧めされてこの店まで来たのだろうが,今度は自分で布教するのだろう。その気持ちもわかってしまうというか,私ももう一度鳥取県まで行く用事があったらまたこの店に行くだろうし,むしろグリーンゲイブルスに行くために山陰に行く用事を作りたいと思っているくらいである。なお,多分グリーンゲイブルスで飲酒するための最適解は,店から徒歩10分くらいの場所にあるキャンプ場でキャンプである(頬付発案)。
以上,2泊3日でやっと消化しきった程度には大山エリアはコンテンツ盛りだくさんで,これに三徳山投入堂もあるし,蒜山高原もグリーンゲイブルスに行っただけだし,実は鳥取県の登山は非常に魅力的なのではないかと思う。せっかくあれだけ大山寺参道を整備したことだし,もっとその魅力をアピールしてほしい,と遠く離れた東京の地から主張しておく。
Posted by dg_law at 03:08│Comments(2)
この記事へのコメント
宇喜多直家と同時に登場させるとバランスブレイカーを疑われたのかもしれませんね(遠い目
Posted by おおおんづけ at 2020年12月27日 11:05
さすがに宇喜多直家ほどのステータスにはできないので……w
登場する時代が違いますしね。
登場する時代が違いますしね。
Posted by DG-Law at 2021年01月02日 19:39