2021年01月18日

高校世界史の教科書で「ニューディール」をいかに扱うか

高校世界史深掘りシリーズ。一般にフランクリン=ローズヴェルト政権がとったニューディール(政策)はアメリカ経済を回復させ,世界恐慌からの回復を実現したというイメージを持たれていると思われる。実際にはアメリカは1937年の秋頃に再度不況に突入し,1938年には二番底を経験している。ニューディールは議会と司法の抵抗により当初の想定よりも小規模でしか実現されず,十分な効果を発揮することができなかった。司法の抵抗としてはNIRAの違憲判決が有名であろう。議会は共和党はもちろん,民主党も南部の保守派が強く抵抗した。ちょうど民主党がリベラル旋回の途上にあって,伝統的な民主党の党員と亀裂が生じていた時期と重なっていたというのは見過ごされがちであるかもしれない。結局,アメリカが世界恐慌からの完全な脱却に成功したのは第二次世界大戦による軍需拡大の貢献が大きい。

しかし,ではニューディールの歴史的意義が過大評価されているかというと,そうとは思われない。アメリカが第二次世界大戦で「民主主義の兵器廠」たりえたのは,ニューディールによって国家アメリカの民主主義が国民の高い信頼を勝ち得ていたからであり,また政府の経済計画能力を向上させていたという前提条件を達成していたからである。福祉国家と総力戦体制は政府の指導力と政府への信頼の両面において密接な関係があり,ヨーロッパでは第一次世界大戦が福祉国家を生んだと指摘されている。アメリカでは逆に,ニューディールによる社会福祉政策が第二次世界大戦時のアメリカを生んだということになる。ニューディールは「民主主義」にも「兵器廠」にも必要であった。

さて,以上の内容を高校世界史でどう扱うかは判断の分かれるところになる。これは研究の進展で事実や解釈が変わったということではなく,どこに力点を置いて扱うかという話になるからだ。政治史や「大きな物語」を重視する目線で言えば,ニューディールが「民主主義の兵器廠」に直結したことを教えられれば十分であるから, 1937年の二番底は瑣事でしかなく,高校生に無用な暗記事項を増やすノイズですらある。一方,経済史を重視し,景気循環は現代でも重要な社会現象であってその対策の歴史は現代的な強い意義を持つと見なす立場に立てば,むしろ1937年の二番底は教えるべき必要事項になる。教える事項が増える分は,別の時代の事項を減らして対応すればよい。

実際に,各社の教科書でもここは記述が割れている。ということで,いつもの5冊+用語集+山川『詳説世界史研究』の記述を比較する。なお,ドル=ブロックが国際経済を悪化させてファシズム諸国の台頭を誘引した点はいずれの教科書にも言及があったことを念のため付記しておく。


《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面に言及》
・山川『詳説世界史』:「これら一連の経済復興の効果は限られていたが,国民の不安を軽減し,ファシズム諸国に対抗して民主主義をまもった意義は大きかった。」
・山川『新世界史』:「アメリカ経済が29年の水準に戻ったのは41〜42年頃のことであったが,アメリカ国民は国民生活に安定をもたらそうとした新たな連邦政府のあり方を強く支持した。」
→ 山川出版社の2冊は,‘麋崢譴修里發里砲録┐譴覆いニューディールの景気回復は限定的だったことには触れる,⇔鮖謀意義では民主主義への貢献を重視するという方針で一貫していた。山川出版社らしい堅牢でバランスのとれた記述であり,特に『詳説世界史』は好印象。
・帝国書院:「それでも恐慌は克服されなかったが,企業間競争の公正さと労働者の権利保護が促進されたため,議会制民主主義への信頼が失われず,アメリカはファシズム化からまぬかれることになった。」
→ 帝国書院の記述も山川の2冊に近い。割と山川と意見が合わない帝国書院なので,ここまで記述が近いのは珍しい。本題ではないが「まぬかれる」という表現に筆者のこだわりを感じる。

《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面・軍需面に言及》
・山川『詳説世界史研究』:「当初の経済復興効果は小さかった。(中略)このような矢継ぎ早の恐慌対策を打ち出したにもかかわらず,その景気回復効果は小さく,1934年春になっても,約1,000万人の失業者が存在した。」「また,経済効果は小さかったが,社会保障法を成立させて貧困層の不満を緩和させるなど,ファシズム諸国に対抗して民主政治の擁護に成功した意義は大きかった。」
「39年にヨーロッパで戦争が勃発すると,大規模な軍備拡張を開始するとともに,41年には武器貸与法を制定して,イギリスなどの連合国側への支援を開始した。この軍需生産の拡大により,アメリカ経済は量的に急成長を遂げただけでなく,航空機・石油化学・原子力・コンピュータなどの先端部門での技術革新にも成功し,戦後世界で覇権を確立する経済基盤を整備することになった。」
さらにコラムでスタインベックの『怒りの葡萄』を取り上げ,ニューディールが西部の小農民まで行き渡っていないこと,自作農だけを救済する性格であったことを指摘。
→ 『詳説世界史研究』はさすがに記述が重厚で,ニューディールの持つ(ブロック経済と合わせて)「アメリカンファースト」という側面や,『怒りの葡萄』を引用しての都市部・中間層重視の政策であったという側面の指摘まであった。『詳説世界史研究』は検定教科書ではないので制限が無いため十分な説明をしやすいのは確かだが,それにしてもこれは気合いが入っている。

《1937年の二番底に触れる/歴史的意義は軍需面に言及》
・東京書籍:「こうした政策の結果,景気が回復したが,1937年にふたたび恐慌にみまわれると,彼は財政支出による有効需要拡大政策をとり,軍需産業の拡大にものりだした。」
→ 社会経済史に特化した東京書籍らしい記述。1937年の年号を出し,その脱出のために財政出動を増やし,結果的に軍需産業に手を付けることになった流れは簡明に描いているが,民主主義への影響は言及が無い。

《1937年の二番底には触れない/歴史的意義にも触れない》
・実教出版:特に記述無し(ニューディールの内容説明のみ)
→ 驚きの記述無し。もちろんニューディールの内容(NIRAやAAA)はちゃんと説明しているものの,アメリカはそのまま順調に回復した印象を受ける文章。
・山川『用語集』:「ニューディール」「フランクリン=ローズヴェルト」他,いずれの項目でも,二番底にも歴史的意義にも言及無し。前者はともかく,歴史的意義の説明は教科書でという役割分担だろうか。しかし,他のトピックでは辞書という本分をはみ出て教科書的な言及してしまうことが多い『用語集』が,ニューディールだけ抑制的な記述というのも不自然である。


【まとめと感想】
私見では,山川の『詳説世界史』『新世界史』と帝国書院の教科書の記述が好印象である。東京書籍は民主主義への言及があれば完璧だっただけに惜しいが,1冊くらい軍需への言及に偏っていてもよいし,それが東京書籍というのは非常に「らしい」。『詳説世界史研究』は饒舌すぎ,これは教科書でなく参考書だから許されている厚さである。内容が薄かったのは実教出版の教科書と山川『用語集』で,歴史的意義への言及が民主主義にも軍需にも無いのには驚いた。山川『用語集』はまだしも辞書だからという言い訳がきくが,教科書でこれはまずかろう。もっとも,実教出版はその後の第二次世界大戦,特にアジア・太平洋戦争の記述が非常に分厚いので,20世紀前半という大枠で見ると,世界恐慌よりも大戦にウェイトを置きたかったから世界恐慌は短く済ませたかったのかもしれない。

この記事へのコメント
私の手持ち、保存用世界史Aでは
山川315、実教311 実教で述べてあるような印象
東書310 東書で述べてあるような印象

でした。しかしながら保存用として山川315が山川世界史Aのなかで最も高度かは私には判別が付きませんでした。ご参考まで。
Posted by おおおおんづけ at 2021年09月05日 19:02
ちなみに詳説政治経済研究や山川現代社会、教出現代社会はおしなべてケインズ理論の文脈でのニューディール政策でした。実際、政経ではそう習うので違和感はないです。ただ世界史との整合性と言う点では私には言及できないですね。
Posted by おおおおんづけ at 2021年09月05日 21:54
世界史Aだと記述が雑になる傾向はありますね。
東京書籍はBに合わせた感じですかね。
公民では経済の原理を教えるのが本筋ですから,修正資本主義中心の教え方になるのは正当だと思います。できれば実は上手く行かなかったことにも触れてほしいところですけど。
Posted by DG-Law at 2021年09月09日 04:47
追加で保存用を入手できたのでコメントいたします。
清水書院の313世界史Aは2番底にも触れており、東京書籍から軍事面の記載を省いたような感じですね。てかこの書きぶりなら完全に政治経済・・・
第一学習の317世界史Aは前近代と思われるような古めかつ簡易な記載なのでとても俎上にはあげられないですね。
Posted by おおおおんづけ at 2021年10月01日 22:52
清水書院は偉いですね。Aの教科書は本来はそうあるべきで,政経に近づいちゃうのは仕方がないところかもしれません。
Posted by DG-Law at 2021年10月09日 22:12
過去記事に今更ながらすいません。
今年の一橋に出てたのでさかのぼって来ました。ニューディールの経済効果への評価は意見が割れているので、その後の経済政策への影響は解釈が難しいなと思いdg-lawさんはどう言ってるかなと気になって。
ニューディールも当時でも一部からは社会主義的政策だと批判されていますし、高校世界史では「ニューディール」=「大きな政府」≒「ケインジアン」という風にぼやっと説明される気もしますが実態はそんなに簡単じゃないのでなんとも。政治への意義はともかく世界史でニューディールの経済的側面を厳密にやろうとすると難しそうですね。

追記
全然関係ないですが浪人生時代にこのブログを見てくすりと笑っていました。(もう何年も前の話ですが笑。勉強はちゃんとやっていたので勘弁を。)まったく美術に興味なかったのが、今では美術館や博物館に通うのが習慣になったので感謝しています。過去記事ちょくちょく漁っている密かな読者なので、これからも美術記事楽しみに待っています。お体にお気をつけください。
こっちが本題みたいになってしまった。。。
Posted by めいす at 2022年02月26日 23:12
浪人生時代を含めて,楽しんでいただけているのなら何よりです。
美術館にはちゃんと行っているのですが(最近だと三菱一号館のイスラエル博物館展が面白かったです),なかなかブログを書く時間がなく……ぼちぼち立て直そうと思っています。

今年の一橋大も解きました。おっしゃる通り,出ていましたね。
ニューディールについては単体でどうこうかかずに,第二次世界大戦勃発による軍需とひっくるめて「経済が回復した」と書いてしまうのが,一番賢い処理かなと思います。そのまま「戦後も共和党政権を含めて積極財政が続き」と続けやすいですしね。
教科書の扱いが割れていることや二番底の存在を知らないと薄い解答になりがちなので,本記事はあの問題を解く上で少しは役に立つかもしれません。受験生が読んでいたとは思わないですがw。
Posted by DG-Law at 2022年03月01日 01:30
こんにちは。

丁度話が出ていた一橋の今年の第二問ですが…
駿台や河合は少なくともやや難と評している訳ですが、そこまで難しいのか?と個人的には思えてしまいます。大学受験倫政やり込んだのと大学でこの手の話を聞いたことがあったのもバイアスなんでしょうが…

まずバイデンが念頭に置くのがニューディールなのは自明で(そこが書けないようでは正直論外か)、その実施された背景で恐慌を持って来て政府が介入しないとまずいよねという事でTVC然り社会福祉法を持ってくるのも比較的平易かと。

で、DG-Lawさんが仰るように共和党政権まで含めて積極財政として偉大な社会やら何やらを書く(ここは教科書範囲外なんでしょうが用語集とかにはある?)のがルーズベルト以降への経済政策の波及という要求を十分に満たす。

最後の批判されるようになった理由は、ベトナム戦争への出費だとか先進工業国の躍進で国際収支が悪化したことが大枠で、レーガンに代表される小さな政府へと向かっていった、と。

多分これ書ければそれなりに点数入るはずですが、教科書知識から大きく逸脱するのは偉大な社会とかフェアディール、ニューフロンティア位なので十分受験生が対応可能なのではと思われます。

以上、大学入試に世界史を使わなかった者の勝手な推測です。少なくとも、エンゲルスの歴史なき民とかの「難問」とは訳が違う。何なら難問具合で行けば今年は第一問の一橋大レジェンドシリーズの方が難しいかと。
Posted by そこら辺の人 at 2022年03月06日 12:50
概ねおっしゃる通りというか,解答作成上はそれで完璧に正解ではないかと。予備校の解答もどれも同じような感じですしね。
なお,トルーマン以後のアメリカ大統領の経済政策スローガンは,フェアディールが範囲外(以前の課程なら入ってたんですが),ニューフロンティアは頻度Αぁ岼梁腓兵匆顱廚い任后それぞれ名前はあったら加点だが必須ではない,具体例の提示はさして求められていないくらいの感じだと思います。

河合塾と駿台が難易度を「やや難」としているのは,一般に現役生は現代史(20世紀後半以降)まで学習が追いついていないということが念頭にありそうです。代ゼミは「標準」としていて,現代史であることを加味しないなら妥当な評価だと思います。

第1問については河合塾と駿台が「難」で代ゼミが「やや難」ですね。どちらにすべきかは判断が困難なところですが,いずれにせよこの第1問も一橋大のレジェンドシリーズの中では易しい部類だと思います。一応,再来週くらいに更新予定の例の企画で〔番外編〕として簡単に解法だけ言及するつもりです。
Posted by DG-Law at 2022年03月06日 23:26