2021年04月25日

崩落した柵を「サメの歯」とは言い得て妙

・CGDCTとは(ニコニコ大百科)
→ 「きらら系・日常系に見せかけて趣味をガチめに追求する系統」を示すジャンル用語,無くて困っていたのだけど,これで良いと思う。便利用語だ。前にも書いたことがあるけど,きらら系だと会社で縛られるので『ヤマノススメ』とか『いわかける!』が外れちゃうし,日常系だと全然日常をしていない漫画が多いので全然ダメ,趣味系というと今度は広すぎる。とするとCGDCTは欲しい要素が全部入っているので良い。しかし問題は人口に膾炙していないので,特にリアルでのトークだと言ったところで伝わらない可能性がある点かな。自分では積極的に使っていきたい。


・『脳内にある絵と描ける絵の温度差』に愕然とする人たち「わかりみが深すぎる」「脳内で浮かんだ構図をそのまんま現像できるプリンターないですかね」(Togetter)
→ これは近いものが美学史上の命題に昔から存在していて,「手のないラファエロ」問題という。ラファエロは構想もそれを実現する技術も優れているが,両腕を持てずに生まれてきたとして,他人の目にふれる形で構想を表に出すことが決してできなくなったとしても,ラファエロは天才として扱われるべきだろうか。構想が口頭で示せるのであれば他人に描いてもらえば……というのはジャンルによる話で,実際にデュシャンは「レディメイド」において大切なことは「私の手を切り落とすことである」と答えている。しかし普通の絵はそういうわけにいかないので,構想通りのものを自分の手で再現できないというのは悩みの種である。精神活動と身体的機能は簡単に切り離せるものではないのだ。


・対馬仏像盗難問題 韓国寺院が金彩施す意向 被害側「ありのままで返して」(長崎新聞)
→ 9年近く経過してしまったが,忘れてはいけない事件。韓国政府としてはこんなことで日韓関係を悪化させたくないだろうから早いところ日本に返還したいだろうに,裁判の決着が付く前から修復しようとする浮石寺の行動は観音寺のみならず韓国政府の神経も逆撫でしている。
→ 言うまでもなく「倭寇による盗難物だから,現代人が盗難しかえしていい。なお,倭寇の盗難物という確証はない」という無茶苦茶な理屈が地裁判決で出てしまった時点で本件は異常である。倭寇による盗難物であるかどうかの調査自体,一度観音寺に戻してから始めるべきという当たり前の筋論が,国民感情におもねって判決に寄って通らなかったところにねじれた日韓関係が浮き出ている。日韓関係のねじれは本邦の外交的態度にも原因があるから,それ全体についてどうこう言うつもりはないが,本件だけは私的に絶対に許せない。


・登山で見かける棒たち(デイリーポータルZ)
→ 自分が登ったところだと, 雲取山の標柱の差は2,000m超えが貴重な関東県とそうでない山梨県の態度が如実に出ていて笑える。大菩薩嶺は山頂そのものに意味はないという観光的な価値の差が出ていて,これもまた面白かった。小仏峠は通っているけど全く記憶にない。あばら家が建っていた記憶はある。
→ ロープと通行止めの丸太は実際に効果があって,先人の迷い人が踏み荒らすことで間違ったルートがさらに道っぽくなるという悪循環になるので,植生が回復するまでは封鎖しておいてくれると助かる。赤いテープだけでもルートはなんとなくわかるが,植生保護の観点を考えると,メジャーな山はきっちりと登山道を確定させておくべきだろうと思う。ルートファインディングも登山の能力であって楽しみであるという観点からするとつまらないかもしれないけど。
→ 橋について。私は体幹弱々なので,手すりのない橋はけっこう怖い。濡れてて落ちたら死ぬ橋は見かけたら引き返して帰ると思う。去年の11月行った四国の石鎚山は途中の階段が金属製でかつ凍結していてそこそこ滑る状態だった上に,崖側に手すりがなくてまさに滑落したら死ぬやつだったので怖かった。あれは手すり(というか柵)をつけてほしい気も(降雪時の登山客を想定していないのかもしれないが)。橋も朽ちるのはよく見かける現象で,「サメの歯」状態も見かける。整備ご苦労さまですと頭が下がる。
→ 「岩を支えているふうのつっかえ棒」は巨岩があると大体ある感じ。一種の無害ないたずらだろうか。「山頂に刺さっている剣」は修験道の山だとよく見かける。男体山に刺さっていたやつはけっこう立派だった。山頂に刺さっていたものシリーズで一番笑ったのは霧ヶ峰の車山山頂にあった四本の御柱で,あれには諏訪の民の心意気を感じた。