2021年04月01日

鶴竜引退に寄せて

鶴竜が引退した。最後の1年は実質的にほとんど稼働しておらず,最後にまともに相撲をとったのはちょうど1年前の春場所であるから,もう一度くらい相撲を見たかったなと思う。

鶴竜は1985年生まれで,他のモンゴル人と違ってスポーツエリートの家系だったり遊牧民の血筋だったりするわけではない。モンゴルとしては裕福な家庭の出身であり,だからこそ日本の大相撲をNHKで観戦することができる環境であった。身体の小ささゆえに来日するまでに苦労したのはよく知られている逸話である。また,その家庭環境で中卒・単身で来日したということを合わせて考えると,ハングリー精神ではない根性があったというべきだろう。当初は痩せていたために三段目で昇進が止まったが,所要24場所で関取にたどり着いた。

2006年は十両,2007-8年は前頭でエレベーター状態であったが,2009年に覚醒して上位に定着し,そこからさらに丸3年かかって2012年の春場所で大関取りに成功した。鶴竜の昇進により,大相撲は史上初の6大関となった。この3年・18場所の間に技能賞が6回であるから,3場所に1回技能賞をとっていたことになり,この時点で恐ろしく技量が評価されていたことがわかる。実際にこの頃からすでに器用で,どんな形勢になってもある程度形になっていた。右四つからの下手投げもあれば足技もあり,突き押しもあればとったりもあり,立ち合いの変化もあるから対戦相手は対処が難しい。それもあってか大負けしない安定感があり,これは大関・横綱になっても鶴竜の美点として続くことになる。逆に言ってなかなか大勝することもなく,これは大関になってから綱取りで苦労する理由になるのだけど。

そういうわけで9勝・10勝はするけど11勝以上にならないので綱取りを期待されない大関であった。しかし,鶴竜はワンチャンスを活かす運があった。「横綱は宿命を持った人がなる」と言ったのは白鵬だったか。鶴竜は2014年初場所に14勝で準優勝し,翌場所の綱取りが明言されていながら,先場所までの状況から14勝はフロックだろうと言われていた。その下馬評を覆して春場所も14勝優勝し,見事に綱取りに成功した。まさに宿命の持ち主であった。この頃には技術だけでなく緻密な戦術も兼ね備えるようになり,突き押しもある程度できることから,立ち合いからさばいて先にきれいな右四つを作るという勝ち筋が完成したのが綱取りの原動力となった。一方で計算通りに事が進まないと途端にパニックとなり,引き技しか出さなくなるという悪癖もこの頃から顕在化し,鶴竜を倒したければとにかく押し込むという必勝法が生まれて,横綱時代に苦戦することになる。また,遠慮があるのか稽古でしごかれたトラウマか,他のモンゴル人にはめっぽう弱く,特に白鵬戦は一時的に33-4という対戦成績を達成したことがあり,インターネットの一部界隈がそれはもう盛り上がったものだった。

ともあれ,白鵬・日馬富士という圧倒的な実力者の影に隠れていたものの,第三の横綱として安定した成績を残し,1年に1度の頻度でこっそり優勝するという立ち回りで2015-16年を過ごす。しかし,2017年に持病の腰痛が極度に悪化して最初の引退危機を迎えた。これは持ち直して2018年には春と五月で連続優勝を果たし,折しも日馬富士が暴行事件で引退,稀勢の里もケガで引退目前の状態,白鵬も休場が増加していたから鶴竜の天下かと思われたが,鶴竜自身も2018年の下半期に腰痛が再発し,それでも2019年はなんとか持ったが,2020年春場所で12勝したのが最後の活躍となった。横綱になる宿命は持っていたが,大横綱になる宿命には足りなかった。最終的な優勝回数は6回と目立つ数にはならないが,白鵬と日馬富士の存在を考えると十分な成績であろう。


取り口はすでに書いているが,右四つまたはもろ差しを基本とするものの器用でどんな形になっても相撲がとれ,また頭の回転も技の切れもよいので,一番上手く行ったときは立ち合いから全て鶴竜の計算通りに技が決まり,相手がきっちりと崩れてから倒れるので見ていて気持ちがいい。技の切れがあるのは白鵬も朝青龍も日馬富士も同じだが,彼らの場合は相手を綿密に研究しているものの,それは自分の型に持っていくためのものであって,最後は必殺の型で倒していた。鶴竜は必殺の型が無かった分,変幻自在の技巧がそれを補った。引退に至るまで必殺の型が無かったという点で特異な横綱であったと言えよう。一方,鶴竜は立ち合いの変化も技巧の一つと考えていた節があり,横綱になってもなお変化を使っていたので,一部の好角家にしかめっ面をさせることがあった。特に2015年九月場所の14日目,優勝がかかった一番で稀勢の里相手に変化,これが立ち合い不成立と見なされ,二度目も変化して勝利した際には大いに物議を醸し,私はこれはこれで面白いと爆笑しながら肯定していたが,場所後に様々な人々から猛烈な批判を受けていた。

弱点も前述の通りで,メンタルは決して図太くなく,計算から外れるととにかく引き技しか出ず,自滅する上にケガをするという悪癖中の悪癖があり,持病の腰痛と重なって全身ケガだらけとなって引退に追い込まれることとなった。ただし,この引きがよく決まっていたのもまた確かであり,晩期の2018年春・五月の鶴竜唯一の連覇は明確に引き技の賜である。同様にメンタルの弱さから意外と連敗癖があり,一度負けるとずるずるといって優勝戦線から消え去った。


角界の誰からも悪評を聞かない人格者で,様々な苦労を重ねて横綱にまで上った人である。亡くなられた先代井筒親方からの信認も厚く,次の井筒親方の襲名が期待されている。良い親方になるだろう。期待して今後の鶴竜親方も見ていきたい。

この記事へのコメント
更新おつかれさまです。

鶴竜の引退、仕方ないとは思いますが、自分も最後に土俵の上で戦う姿は見たかったなぁと思います。
最後の白星は1年前の春場所の朝乃山戦。前日の貴景勝を捌いた一番と加え、巻替えからの下手投げ等、「鶴竜ここにあり」を魅せた取り組みだったと思います。

白鵬のライバルとしての印象が強い日馬富士や稀勢の里に比べると、そういう印象が薄いところがありますが、横綱昇進以降は、過去苦手にしていた日馬富士や琴奨菊に対して分は良くなっています。また、一時期苦手にしていた御嶽海も現役晩年は持ち味を出させずに3連勝と圧倒しているあたり、着実に相手を研究して、それを上回る技能を見せる強みがあったのだと感じますね。技能が優れているからこそ、35歳まで現役を続け、2019年名古屋場所でも14勝1敗と見事な優勝ができたのだと感じます。
親方としても頑張っていってほしいですね。
Posted by gallery at 2021年04月01日 14:42
返信遅れてすみません。
1年前の春場所はその13・14日目からの千秋楽が白鵬との相星決戦だったのですよね。2020年はCOVID-19のせいで大相撲にも本場所が1回無くなる等の激震が走ったので,もうかなり昔のことのように思ってしまいますが,わずか1年前なのですよね。
14日目の朝乃山戦は物言いがつくもつれる展開でしたが,そもそも下がりながら巻き替えをやればその時点で負けるところ,巻き替えが早すぎて攻める隙を与えず,投げの打ち合いまで持っていったのはおっしゃる通り鶴竜の真骨頂だったのではないでしょうか。

日馬富士相手だと17勝27敗ですが,2016年以降の6戦に限ると5勝1敗で圧倒していて,そのおかげで横綱同士の通算成績だと6勝5敗で勝ち越しなんですよね。まさに研究してひっくり返した結果なのでしょう。
Posted by DG-Law at 2021年04月04日 06:25