2021年04月27日

治水以外の有名人を挙げてもらった方が楽しめるのかも

地域特有の偉人っているよな(増田)
→ 小学校の生活科・社会で習うやつ。親が転勤族で小学校中学年と高学年で別の小学校に通っていたりすると,純粋な地元民と話が噛み合わなくなるやつ。地元の川の治水の情報が多く,日本の国土開発といえば治水が第一ということに思いが至ったりする。東三河だとやはり豊川放水路のことを習うらしい(ところで私はあれをずっと戦前の建設だと思っていたのだが1965年完成というのを引っ越して随分経ってから知った)。富山県民は,偉人ではないが神通川(イタイイタイ病)・常願寺川・黒部ダムの話は多かった記憶。面白いのは,デ・レーケがおそらく「郷土の英雄」と思われている節があることである。あの人は日本全国の河川で治水を指導しているので,どちらかというと全国レベルに近いだろう。富山でも「日本の川は滝」発言と常願寺川治水事業のために出てくる。
→ そういう話を横に置いておくと,東三河の郷土の英雄というと鳥居強右衛門になるだろう。地元民でなく知っていたら戦国時代にそこそこ詳しい人ということだと思う。
→ なお,増田の本文に登場する佐倉惣五郎は代表越訴型一揆の伝説的な義民として有名で,高校日本史で登場するので間違いなく全国レベルの有名人である。ただし,佐倉惣五郎は実在はしているが直訴があったかどうかは危ぶまれており,あくまで「伝説的な義民」として習うことには注意されたい。


・「川ではない。滝だ」実は別人 明治の技師デ・レイケ発言 論争決着か (北日本新聞)
・「川ではない。滝だ!」と言われた本当の川は…滑川の母なる早月川-1-
→ デ・レーケつながりで。幼少期に富山県で育った人なら誰でも習う,富山県の川の急流なることを象徴する言葉「(常願寺川を指して)これは川ではない,滝だ」は,実際にはデ・レーケが言っていないということが明らかになって,真なる出典が論争の的になっていた。この度,別のお雇い外国人であるオランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデルによる,常願寺川ではなく早月川についての発言ということが判明して決着がついたとのこと。早月川は常願寺川よりもさらにひどい急流のようなので,滝と言われても仕方がない。私はてっきり日本人の発言がデ・レーケに帰せられたというオチだと思っていたので,別のお雇い外国人が出てきたことに驚いた。真相は意外と俗説から近かった。農林水産省もHPを加筆してほしい。
→ また,富山県民はこの「川ではない,滝だ」発言を山と海の距離が極めて短い県のアイデンティティとして誇りに思っている節があり,おそらくこの発言がちゃんと富山県の河川を指したものであることがはっきりして安堵した人が多かろうと思う。
・ローウェンホルスト・ムルデル(Wikipedia)
→ こうしてみると,この人もデ・レーケに負けじ劣らず日本全国の河川や港湾を整備して回っていて,十分な偉人であるように思われる。デ・レーケとの差はどこでついてしまったのか,これはこれで興味深い。デ・レーケは木曽三川分流工事があまりにも偉業だったからだろうか。