2021年05月01日
書評:『世界哲学史』別巻(ちくま新書)
7・8巻の感想はこちら。前半は編者のうち3人による振り返り座談会とそれを受けての短い論考。不在だったのが近現代の西洋哲学が専門の伊藤邦武氏だったのが手痛い座談会だった様子がうかがえる。また,それぞれの巻全体を振り返るというよりも,その巻の自分が気になった箇所やテーマに言及するという形で話が進んでいき,それに関連するように各巻のコンセプトを扱っていたので,本シリーズの欠陥である巻のコンセプトと各章の内容の乖離はここでも如実に顕在化している。
3〜5巻の振り返りでは「デカルトを超えてカントまでを中世の射程に入れたことで,ルネサンス史観を乗り越えた」と自負しているが,どうも問題意識が古いというか,すでに近世という概念が置かれて16〜18世紀は近代から切り離されて久しく,ルネサンス史観は乗り越えるべき対象では無くなっているのが2020年頃の日本の人文学であると思う。ただ,本書の編者によらず50〜60歳くらいの教養ある人と話すとルネサンスからが近代という認識が抜けない人はまだまだいて,若い頃に身についた歴史観は抜けないし,克服には学界の流行からの学びではなく自身による超克が必要なのだろうな,と最近は思うようになった。この編者たちも,こういう会話をしていながら「近世」という語は普通に使っていることからもそれは感じ取れる。またこれは2巻の振り返りの部分であるp.50で「ローマ法王」の表記が残っていることからも読み取れてしまう。この方たちが学生だった30年ほど前まではまだローマ法王の表記が強くて癖が残っており,文章だと気づいて直すタイミングがあるところ,座談会形式だったためにそのまま載ってしまったのだろう。筑摩書房の編集者の側で指摘すべきだっただろう。
5巻の振り返りの途中で「イエズス会は,特に初期の内的理論はフレキシブルだった」という話題が出ていて首肯したのだけど,それで本シリーズでは典礼問題が扱われなかったことに気がついた。これはちょっともったいなかったかも。6巻の振り返りでは「理性ではなく感情を重視した」「これだけ感情についての論考が並ぶのは珍しいのでは」と言っていて,これは同意する。実際に珍しいテーマであったし,巻のコンセプトと各章の論考が噛み合っていて良かった。
7巻の振り返りでは「西洋批判を強く打ち出した」としていて,それはよく伝わってきたのだが,であればなぜコンセプトを「自由と歴史的発展」にしたのかが疑問に残る。しかも,書評に書いた通り西洋批判というよりも18世紀までの西洋哲学,観念論と啓蒙思想に対する批判というのが7巻であって,必ずしも西洋全体に対する批判にはなっていなかったように思う。それはそれとして,近代とは先祖探しのイデオロギーが強まった時代という指摘はその通りで,歴史とはなべて先祖探しである。非西洋の思想史もまた西洋の学問的枠組みで,先祖探し的に組み上げられてしまったのではないかという問題意識は確かに必要だろう。8巻の振り返りは,今ひとつ振り返りになっておらず,むしろ新たに論点を打ち立ててしまっている感じが。ただ,そのオチが「魂への配慮を今一度」というのは,そもそも魂論に興味を持てない身としてはいただけなかった。
また,全巻の振り返りとして「網羅的なマッピング的なものは最初から目指していなかった」と言っていて,それは読者としても了解していて抜けがあるのは別に気にしていないのだが,言うほど西洋中心主義を脱却できていたシリーズかと言われると……ついでに言うと第二極としての東アジア史や,ギリシア哲学の系譜としてのイスラーム哲学も強くて,網羅的なマッピングは目指していなかったにせよ「世界」と銘打つだけのことはしてほしかったと思う。
後半半分は,本編の補遺として,本編に入りきらなかった論考が並んでいる。たとえば第1章はデカルトの情念論で,振り返りで「感情を強調した」としつつも「デカルトにはあまり触れられなかった」としているので,これは良い補完だろう。第2章も中国哲学情報のヨーロッパへの流入で,東西交渉史として面白い。というように本巻の後半は補遺として優秀であったように感じた。それでも全13章中で東洋史と言えるのは5章で,8章は西洋史寄りであるから偏りはある。また7〜13章,すなわち13章中7章はいずれも20世紀以降であり,やはり8巻1冊だけだと20世紀の多様性は捉えきれていなかったという反省がここにも現れている。第8章は現代イタリア哲学を扱った章だが,著者が岡田温司氏で,ちょっと驚いた。美術史家のイメージしかなかったが,思想史も専門なのだなぁ。守備範囲が広い。10章はナチスの農業思想で,ナチズムも意外と良かった論でしばしば禁煙などの健康・医療政策が取り上げられる昨今にあっては時宜を得たテーマだろう。ナチズムに基づくエコロジーは確かにこういうものだろうなと推測から外れないものが読めて参考になった。
3〜5巻の振り返りでは「デカルトを超えてカントまでを中世の射程に入れたことで,ルネサンス史観を乗り越えた」と自負しているが,どうも問題意識が古いというか,すでに近世という概念が置かれて16〜18世紀は近代から切り離されて久しく,ルネサンス史観は乗り越えるべき対象では無くなっているのが2020年頃の日本の人文学であると思う。ただ,本書の編者によらず50〜60歳くらいの教養ある人と話すとルネサンスからが近代という認識が抜けない人はまだまだいて,若い頃に身についた歴史観は抜けないし,克服には学界の流行からの学びではなく自身による超克が必要なのだろうな,と最近は思うようになった。この編者たちも,こういう会話をしていながら「近世」という語は普通に使っていることからもそれは感じ取れる。またこれは2巻の振り返りの部分であるp.50で「ローマ法王」の表記が残っていることからも読み取れてしまう。この方たちが学生だった30年ほど前まではまだローマ法王の表記が強くて癖が残っており,文章だと気づいて直すタイミングがあるところ,座談会形式だったためにそのまま載ってしまったのだろう。筑摩書房の編集者の側で指摘すべきだっただろう。
5巻の振り返りの途中で「イエズス会は,特に初期の内的理論はフレキシブルだった」という話題が出ていて首肯したのだけど,それで本シリーズでは典礼問題が扱われなかったことに気がついた。これはちょっともったいなかったかも。6巻の振り返りでは「理性ではなく感情を重視した」「これだけ感情についての論考が並ぶのは珍しいのでは」と言っていて,これは同意する。実際に珍しいテーマであったし,巻のコンセプトと各章の論考が噛み合っていて良かった。
7巻の振り返りでは「西洋批判を強く打ち出した」としていて,それはよく伝わってきたのだが,であればなぜコンセプトを「自由と歴史的発展」にしたのかが疑問に残る。しかも,書評に書いた通り西洋批判というよりも18世紀までの西洋哲学,観念論と啓蒙思想に対する批判というのが7巻であって,必ずしも西洋全体に対する批判にはなっていなかったように思う。それはそれとして,近代とは先祖探しのイデオロギーが強まった時代という指摘はその通りで,歴史とはなべて先祖探しである。非西洋の思想史もまた西洋の学問的枠組みで,先祖探し的に組み上げられてしまったのではないかという問題意識は確かに必要だろう。8巻の振り返りは,今ひとつ振り返りになっておらず,むしろ新たに論点を打ち立ててしまっている感じが。ただ,そのオチが「魂への配慮を今一度」というのは,そもそも魂論に興味を持てない身としてはいただけなかった。
また,全巻の振り返りとして「網羅的なマッピング的なものは最初から目指していなかった」と言っていて,それは読者としても了解していて抜けがあるのは別に気にしていないのだが,言うほど西洋中心主義を脱却できていたシリーズかと言われると……ついでに言うと第二極としての東アジア史や,ギリシア哲学の系譜としてのイスラーム哲学も強くて,網羅的なマッピングは目指していなかったにせよ「世界」と銘打つだけのことはしてほしかったと思う。
後半半分は,本編の補遺として,本編に入りきらなかった論考が並んでいる。たとえば第1章はデカルトの情念論で,振り返りで「感情を強調した」としつつも「デカルトにはあまり触れられなかった」としているので,これは良い補完だろう。第2章も中国哲学情報のヨーロッパへの流入で,東西交渉史として面白い。というように本巻の後半は補遺として優秀であったように感じた。それでも全13章中で東洋史と言えるのは5章で,8章は西洋史寄りであるから偏りはある。また7〜13章,すなわち13章中7章はいずれも20世紀以降であり,やはり8巻1冊だけだと20世紀の多様性は捉えきれていなかったという反省がここにも現れている。第8章は現代イタリア哲学を扱った章だが,著者が岡田温司氏で,ちょっと驚いた。美術史家のイメージしかなかったが,思想史も専門なのだなぁ。守備範囲が広い。10章はナチスの農業思想で,ナチズムも意外と良かった論でしばしば禁煙などの健康・医療政策が取り上げられる昨今にあっては時宜を得たテーマだろう。ナチズムに基づくエコロジーは確かにこういうものだろうなと推測から外れないものが読めて参考になった。
Posted by dg_law at 02:13│Comments(0)