2021年12月13日

2021年8〜12月に行った美術館(聖徳太子展2つ・曽我蕭白展)

愛知県美術館の曽我蕭白展。江戸中期に活躍した奇想の画家の代表例である。実際に人物描写は歪みに歪んでおり,美しさと醜さが同居していて,鑑賞者に強いインパクトを与える。それだけに皺の多い老人や仙人,それに童子は得意で,逆に若い女性などは比較的普通である。動物にしても形態が複雑な竜虎などは特徴的であるし,伊藤若冲ほどではないにせよ鳥や哺乳類の描写も細かい。それに比べると植物は割と普通に見えた。また山水画は驚くほど普通で,狩野派と言われても信じるような漢画風の硬さと上手さがあった。山水画の作品群は来歴が明確なので曽我蕭白の作で確実だが,そうでなかったら候補に挙げることすら難しそうだ。総じて興味と得意のポイントが非常にわかりやすい画家と言えるが,描こうと思えば普通に描けるし,仕事で普通に描くのはやぶさかではない人だったのだろう。いくつかの作品では皺を刻みすぎていてシリアスな笑い状態になっていたが,多分本人もわかっていて,そのつもりで描いたのだと思う。

絵柄からわかる通り奇矯の天才といった風で実際に変わった人ではあったようだが,伊藤若冲もそうであるように家族・友人関係には恵まれていたようで,そういう人たちに見放されない程度の奇妙さではあったようである。パトロンとの手紙のやりとりも展示されていて,そうした様子が伝わってきたのがとても良かった。もちろん全く見知らぬ250年も前の人ではあるのだが,こういうちょっと風変わりな人が社会から脱落せず,画家として栄達を成し遂げていた様子がわかると不思議と安心感を得てしまった。また伊藤若冲との比較で言うと,彼は大商人の出自で基本的に京都から移動していない。これに対して,曽我蕭白は同じ京都の出自ではあるが高田敬輔を師匠とすべく滋賀県日野に赴いた専業画家で,さらに少なくとも伊勢松阪・播州高砂で仕事をした形跡があり,画業による生計のための移住がある。これは知らなかったので今回の展覧会で勉強になった。それもあってか,伊藤若冲は比較的人生がわかっているが,曽我蕭白は若い頃を中心に不明な点が多い。そうそう,仙人を描いたものが多いことからもわかる通り,他にも林和靖や周茂叔(周敦頤),李白,竹林の七賢など中国の題材が多く,漢文の素養は間違いなく高いが,これもどこで学んだのか。また研究が進んだら新たな展覧会が開かれることだろうから,それに期待したい。


東博の聖徳太子展。聖徳太子は622年に亡くなっているので,2021年で1400年目ということらしく,東博とサントリー美術館でその記念の企画展が開催された。東博の方は法隆寺に焦点を当てていて所蔵品からの出品も多かったのに対し,サントリー美術館の方は四天王寺に完全に焦点を当てるということで住み分けがなされていた。また東博は仏教・仏像や聖徳太子伝説の基礎から説明していたのに対し,サントリー美術館はかなり説明を省略していたから(特に注釈無く「上宮王家」のような言葉が出てくる),東博で読んできていることを前提で企画展のキャプションを作ったのかもしれない。

そのような住み分けであったので,東博の方は良くも悪くも総花的な豪華展示であり,国宝と重文がずらっと並んでの約200点。国宝の一例を挙げると天寿国繍帳と獅子狩文錦。あとは法隆寺金堂東の間の薬師如来坐像は貴重な鑑賞の機会で,飛鳥文化の北魏様式の特徴が濃いのがわかって良かった。やはり釈迦三尊像によく似ている。いずれも教科書で見たことあるものの実物が見られるという意味で,非常に東博らしい企画展ではあった。しかし,総じて面白かったけど新たに得られた知識はあまりなく,個人的な勉強にはあまりならなかったかなと。そういう意味では,最後の最後に金堂壁画の模本をどーんと展示していたのは,総花的展示だけで終わらせるわけにはいかないという東博の意思は感じた。

ついでに同時に開催されていたマレーシア・イスラーム美術館展も鑑賞。それほど宣伝されていないが,けっこうな長期間でマレーシア・イスラーム美術館から膨大なイスラーム美術を来年の2月20日まで展示されている。しかも企画展料金が徴収されず,平常展の券で入れる。なんでこんなにサービスが良いのかと思ったら,マレーシアが新型コロナウイルスのためにとんでもないことになったため貸し出してくれていたようだ。貸出料が向こうの美術館の多少の足しになっていればよいのだが。マレーシア・イスラーム美術館は名前からして古そうに見えるが実は1998年開館でかなり新しい。クアラルンプールにはこの他に国立博物館があるが,こちらは純粋にマレーシアの歴史を追うものらしい。1998年までイスラーム美術専門の大規模美術館が無かったのは意外である。展示物は前述の通り豪華ではあったが,割と東博の東洋館の常設展示とかぶっているものが多く,それほど目新しいものは無かった。逆に言って東洋館の常設展示はイスラーム美術だけでも割と大したものではあるのだなと。ただし,イスラーム美術自体見る機会が貴重ではあるので,良い機会ではあった。


続いてサントリー美術館の聖徳太子展。前述の通り,こちらは四天王寺から持ってきたものが展示のほとんどを占めていて,史実はともかく太子信仰と言えば法隆寺ではなくて四天王寺であるぞという意識がめちゃくちゃ表出しており,その時点で面白かった。特に伽藍配置について,東博の方では若草伽藍と西院伽藍の違いを軽く説明していたに過ぎなかったが,こちらでは「四天王寺伽藍は若草伽藍と同じ! すごい!」というアピールの圧が強くてちょっと笑ってしまった。

また本展はサブタイトルが「日出処の天子」であるのだが,展覧会の最初が『隋書』倭国伝の該当ページ(書籍自体は明代のもの)で,最後が山岸凉子の『日出処の天子』で締めくくられていた。これにも意味はあり,展覧会のテーマが太子信仰であるので,史実の聖徳太子から信仰の対象へという大きな流れがあり,その現代の姿としての少女漫画を出しておきたかったのであろう。そうそう,展示の冒頭『隋書』の次は七星剣(国宝)と丙子椒林剣(模作)他,聖徳太子の所持品が並んでいて,展示の目的としては聖遺物から実物が存在しない伝説へという流れだったのだろうけども,私としてはむしろ太子伝説のRPGへの影響を思ったりした。ついでに,本展は太子伝説を追っている関係で黒駒もちょくちょく登場していて,東方ファンは見に行ったほうが良い。あとは,聖徳太子像といえば歴史的には角髪のある若者時代の姿を描いた孝養像であって,我々が見慣れたあの髭をはやした肖像画(唐本御影)がメジャーになったのは明治政府が紙幣にこちらを採用してからだということが説明されていて,これは知らなかったので面白かった。また展覧会の最後には『日出処の天子』とともに聖徳太子が採用された紙幣7種類も展示されていたので,あわせて懐かしい人もいただろう。