2022年03月03日
受験世界史(地歴公民)の論述問題とは何か
どちらかというと指導者層,または受験が終わった社会人向けの話題である(もちろん高校生・受験生が読んでもよい)と前置きした上で。
受験世界史(社会科,地歴公民)で論述問題が課されるのはなぜか。文章作成能力なら国語や小論文で問えばよいので,地歴公民は全て純粋な知識問題でよいのではないかというのはたまに聞かれる主張である。しかし,それらでは測れない能力があるからこそ,地歴公民にも論述問題はある。ここでは世界史に絞って解説する。本論が世間の議論に資することを期待して。
1.事件や歴史用語を説明させる問題
論述問題として最も多いのは,「◯◯について△△字以内で説明しなさい」というパターンで,○○には特定の事件や歴史用語が入る。たとえば,
エンコミエンダ制について説明しなさい(60字程度)。
これは実際に今年の慶應大・経済学部で出た問題を少し改変したものであるが,解答は以下。
「スペインがアメリカ大陸の植民者に対して現地の統治を委ね,キリスト教への改宗を条件に,先住民を労働力として使用するのを認めた制度。」(64字)
誰が解答しても概ね同じような解答になるし,知識があれば書ける。こんなのは別に語句記述問題なり選択問題なりでよいのではないか? と思われた方もいるだろう。しかし,これにはちゃんとした意味がある。受験生は,というよりも多くの人間は文章の作成を忌避する傾向があるので,問う内容が同じものを論述問題にした途端に白紙解答が急増する傾向があるのだ。したがって,文章作成に抵抗がある人間を振り落とすという効果のためだけでも,論述問題を課す意義はある。この意味で,共通テスト導入の際に現れた「共通テストには短い字数のものでかまわないし,どの教科でもよいから,何かしらの論述問題を入れるべき」という主張は理解できる(現実的困難を横に置いておけば)。ゆえに「50字や100字の短い字数では思考力は測れない」等という反論は,その通りではあれども,かえって現実が見えていない。そして,新規に提示された文章から読み取った内容で論述させるのではなく,あらかじめ自分の記憶の中にある知識から文章を作成されることは,国語では問いづらい。地歴公民ならばやりやすい。
そして,この種の問題でも,思考力が必要になるようにひねることはできる。字数を調整するか,要件を追加してやればよい。すると情報の取捨選択能力やより高度な国語力を新たに問うことができるようになる。たとえば上述の問題,慶應大・経済学部の指定は実際には以下の通りであった。
資料aの波線部αに関連して,エンコミエンダとはどのような制度か。説明しなさい。(40字程度)
(編註:資料aではエンコミエンダがフィリピンでも行われていたことが提示されている。波線部は「エンコミエンダ」)
つまり,上の解答から20字程度は削りつつ,問題文で提示された新規の情報も加味しなければならない。すると,エンコミエンダ制の核は植民者が先住民を恣意的に扱う権利を得たことにあるから,ここは死守する必要がある。この観点から言えば「統治を委託されたこと」と「労働力として用いるのを認められたこと」は同義であるから,片方だけ残せば問題ない。「キリスト教への改宗を条件に」は,エンコミエンダ制が世界史において取り上げられる理由の特徴であるから削れない。逆に「アメリカ大陸の」は問題文で提示された新規の情報に反するから,必ず削る必要がある。それでもまだ20字は削れないので,日本語も工夫の必要がある。結果的に解答は
「スペインが植民者に対して,キリスト教への改宗を条件に,先住民の使役を認めた制度。」(40字)
くらいになるだろう。末尾にはもちろん「統治を委託する」方を残してもいい。一見すると上述の設定とほぼ同じに見えて,なかなか高度な作業を求められていることがおわかりいただけるだろうか。こういうのを良い論述問題という。特に用語の説明文のどこに重きがあるかを見抜くのは,歴史の流れや背景を想起する必要がある,大仰に言えばその用語が教科書に載っている意義を認知している必要がある。自分がなぜその用語を覚えさせられたのか自覚するから,これはメタ認知的な話でもあるのだ。逆に作る側は,どうやったら解答者に重要性の勘案をさせられるかを意識する必要がある。
2.時系列や空間・ジャンル跳躍を整理させる問題
この種の問いは辞書の引き写し・要約では対応できなくなる。時空間概念のある「歴史」という科目の真骨頂であるかもしれない。また今年実際に出た問題から選ぶと,九州大の問題。
イスラーム世界のトルコ人の活動が,9世紀から10世紀にかけてどのように推移したか,その過程について,つぎの語句を全て用いて100字以内で説明しなさい。(サーマーン朝,ガズナ朝,アッバース朝)
定番のテーマなので,進学校・塾・予備校に通っていたなら書き慣れているだろう。しかし,教科書を読み込んできただけだとなかなか手ごわい。もちろん解答に必要な情報は主要5冊ならいずれも掲載されているが,本文にそのまま書いているわけではない。したがって,必要な情報は自分で再構成する必要がある。本問は必要な王朝がほぼ全て提示されているだけ易しいし優しいが,これが東大・阪大あたりになるとノーヒントになる。解答としてはマムルークとカラハン朝を自力で想起して,適所で使えるかが重要。
「9世紀にアッバース朝がトルコ人をマムルークとして活用し,これを強化したサーマーン朝の下で改宗が進んだ。10世紀に中央アジアのカラハン朝や,後にインドに進出したガズナ朝といったトルコ系王朝が自立した。」(98字)
本問はまだ与しやすい。必要な情報が全て近接した数ページに収まっているし,前述の通り定番のテーマなので事前に類題を解いておくという対応が可能である。世界史が苦手な受験生なら,一種の公式としてこのフレーズを脳内にたたきこんでおくという対応さえ可能だろう。したがって,より高度な能力を測るなら問題を変える必要があるが,その改変は容易である。時間または空間を引き延ばせば難易度が跳ね上がる。世界史の教科書は数百ページに及ぶ。しかも世界史は地域が乱れ飛ぶ。古代オリエントの次にギリシア・ローマが出てきて,中東とヨーロッパ史が6世紀くらいまで進んだかと思えば,次のページで前23世紀のインダス文明に飛ぶ。このインドがまた7世紀くらいまで進んだら,次はまた仰韶文化まで戻り,中国史が唐末まで進むと……という繰り返しである。日本史はまだしも一直線だが,こちらの場合は政治史・外交史・社会経済史・文化史でループするから,学習者が受ける印象は似たようなものだろう。
中央アジアも例外ではない。その良い事例は,やはり今年の東大の問題である。問題文が極めて長いので適当に省略するが(全文読みたい方はこちらへ),
(前段略)「以上のことを踏まえて,8世紀から19世紀までの時期におけるトルキスタンの歴史的展開を記述せよ。次の8つの語句をそれぞれ必ず一度は用い,その語句に下線を引くこと(アンカラの戦い,カラハン朝,乾隆帝,宋,トルコ=イスラーム文化,バーブル,ブハラ・ヒヴァ両ハン国,ホラズム朝)」(600字)
これは前出の九州大のものと比べ対象の時間が長く,難易度が非常に高い。1200年はあまりにも長い。教科書の章立てで言えば,山川『詳説世界史』全16章のうち5章分にまたがり,該当する情報がある教科書本文を全て抜粋すれば,優に数千字を越えるだろうし,それは数十ページずつ離れている。まずその全てを想起するだけでも大変だが,これを600字まで圧縮しなければならない。ここで必要なのは情報の重要性を勘案した上での取捨選択能力であるから,前出の種類の問題と同様にメタ認知的能力である。たとえば本問,「アンカラの戦い」が指定語句であるが,トルキスタンの歴史には直接関係がない。これは西トルキスタンから出てきたティムールが西アジアに進出した文脈で消化するしかないわけで,とすると相手側の情報はオスマン帝国であることを明示してもよいが,バヤジット1世は相対的に余分な情報になるから書くだけ字数の無駄になる。「宋」も西遼の成立の文脈で処理するしかないが,本問の文脈では徽宗なり耶律大石なりの名前は重要性が高くなく,ナイマンの西遼征服も事情として細かすぎるから加点される可能性は高くない……等の判断事項がある。
さて,読者諸氏はここに基準が2つ働いていることにお気づきだろうか。バヤジット1世も徽宗も世界史上疑う余地のない重要人物であるが,本問の要件から遠いために弾かれる。逆にナイマンは本問の要件には沿っているが,“他の事項に比べて”世界史上の重要性そのものが低いから不要と判断される。つまりここには二種類の網がある。現代文では前者の網しか用意できないし,そもそも網ですくい取られる不要な情報も試験の中にしか用意できないから,漁場そのものがどうしても狭くなる。尋常でなく広大な海を提示して,かつ網を二種類張るのは地歴公民科目の方が得意であるのは,ここまでの説明で理解されるだろう。また,記号問題は事実の正誤を問うのには適しているが,重要性の勘案は不得意である。ここにも論述問題の必要性がある。
ここで説明を終わらせてもいいが,さらに言えば「乾隆帝」の語句が指定されている意味にも言及しておこう。これは乾隆帝の征服時点では藩部であったのにイリ事件後に直轄領になる(あるいは支配が強化される)ことを書けということを示唆していて,暗にはその後の東トルキスタンの運命を想起せよということである。それが(21世紀まで引き伸ばした際の)トルキスタンの歴史的展開の”結末”であるのだから,19世紀末に起きたその前兆は,問題の要件に完全に沿うどころか要求の本命である。というように「乾隆帝」は漢字をど忘れした受験生のためのヒントではなく,ここに優しさは無い。受験生に求められている能力はこれがヒントではなく伏線であるという作問者の創意に気づくことでもあって,繰り返しになるが,やはりメタ認知的能力である。さらにメタなことを言えば,現在の新疆の状況に思いを馳せてほしいという作問者が込めたメッセージにまで考えが及ぶと本問は解きやすい。東大受験生にはここまでのメタのメタを読む注意力と読解力が求められるのだから,大変なものだ(他人事)。
ここでは時間を広くとる事例を挙げたが,同様に空間を広くとってもいい。たとえば東大は過去に「13〜14世紀のユーラシアの東西交流」を問うて,膨大な空間を記述させた。これも教科書的には配置がバラバラである。あるいはジャンルを跳躍させる論述問題もある。税制を媒介させれば政治史と経済史が交わるし,宗教を媒介させれば政治史と社会史が結びつきやすい。高校生は政治史は政治史として,社会経済史はそれとして通して習うので,跳躍されると混乱する。これらでも膨大な関連事項から関連性の高い事項だけを取捨選択する力を問うことができる。
3.用語説明でも時系列でもないものを問う問題,(擬似的な)比較の問題
ちょっと特殊な問題である。正確な知識があることは前提で,特定の時代や地域の様相・風潮を答えさせたり,ド直球に歴史的意義を聞いたりする。1・2のパターンよりも難度は高い。これも今年の問題を引用することにして,阪大から。
資料3が示す事件の背景には,フランスが最終的に軍事的な介入を断念したという事情もあった。その理由を,当時のフランスの内政・外政の状況を踏まえて説明しなさい。(100字以内)
(編註:資料3は1804年のハイチ独立の際にハイチ人が発表した外交文書)
ハイチ独立は当然教科書に書いてある。ナポレオンの事績もある。しかし,その関連というと書いていない。ゆえに,習った内容を想起して自分で介入が断念された事情を考えなければならない。2の時系列を追うパターンは十分に習熟した受験生なら関連事象を書ききれないほど想起できる。ゆえに重要性を勘案した取捨選択の必要が出てくるが,本問は何を想起したらいいのか,何が関連事象なのかを考えるところから始まる。必要な思考回路が違うのである。本問の場合は年号を手がかりにアミアンの和約の破棄と第一帝政の樹立による第三回対仏大同盟の結成,長期化する革命戦争,1803年のルイジアナ売却を想起して,フランスの軍事的困難・財政難・西半球からの退潮に結び付けることになる。知識は標準的なものしか必要がないが,阪大受験生を相手にするにふさわしい,高度な思考力が問われていると思う。ここに来てメタ認知的ではないのはちょっと面白い。なお,この種の問題の欠点は作問者に多大な力量が求められてしまう点で,自分の大学の受験生の知識や思考力を見誤ったり,自分が専門領域としない分野から作問したりすると,良問が超難問に様変わりし,最悪の場合は破綻して解答不能になる。そのような事例は『絶対に解けない受験世界史』シリーズで多数取り上げている通り。
比較の問題も面白い。たとえば今年の京大の問題。
民主政アテネと共和政ローマでは,成人男性市民が一定の政治参加を果たしたとされるが,両者には大きな違いが存在した。両者の違いに留意しつつ,アテネについてはペルシア戦争以降,ローマについては前4世紀と前3世紀を対象に,国政の中心を担った機関とその構成員の実態を,300字以内で説明せよ。
民主政アテネも共和政ローマもよく学習するところであるが,教科書上では比較されていない。したがってその相違点は自力で探すことになる。しかも,この比較はあまりにも頻出であるので進学校・塾・予備校では間違いなく練習させられてきているものだが,紋切り型の解答をされるのを避けるために「その構成員の実態」という見慣れぬ要件を付しているのが面白い。直接民主政の徹底と寡頭政の維持という解答から一歩踏み出して,社会の流動性の違いに言及できるかどうかは,間違いなく高度な思考力が問われているだろう。ところでこれ作問者はおそらくサウスでリバーな先生……の後継者の方ですよね。
以上,見てきたように,受験世界史の論述は出題のパターンが多岐に渡り,様々なタイプの思考力を問うことが可能である。またそのうちの多くが重要性を勘案する力,メタ認知的能力に結びついていることも理解されよう。大学の教員の方々には作問の参考になればこんなに嬉しいことはなく,受験からはすでに離れている方々には,入試問題はこうやって作られているのかという参考になれば幸いである。また受験生には(この記事を最後まで読んだ人は極少数であろうが),本記事自体がメタ認知的能力の向上に役立つなら望外の喜びである。
受験世界史(社会科,地歴公民)で論述問題が課されるのはなぜか。文章作成能力なら国語や小論文で問えばよいので,地歴公民は全て純粋な知識問題でよいのではないかというのはたまに聞かれる主張である。しかし,それらでは測れない能力があるからこそ,地歴公民にも論述問題はある。ここでは世界史に絞って解説する。本論が世間の議論に資することを期待して。
1.事件や歴史用語を説明させる問題
論述問題として最も多いのは,「◯◯について△△字以内で説明しなさい」というパターンで,○○には特定の事件や歴史用語が入る。たとえば,
エンコミエンダ制について説明しなさい(60字程度)。
これは実際に今年の慶應大・経済学部で出た問題を少し改変したものであるが,解答は以下。
「スペインがアメリカ大陸の植民者に対して現地の統治を委ね,キリスト教への改宗を条件に,先住民を労働力として使用するのを認めた制度。」(64字)
誰が解答しても概ね同じような解答になるし,知識があれば書ける。こんなのは別に語句記述問題なり選択問題なりでよいのではないか? と思われた方もいるだろう。しかし,これにはちゃんとした意味がある。受験生は,というよりも多くの人間は文章の作成を忌避する傾向があるので,問う内容が同じものを論述問題にした途端に白紙解答が急増する傾向があるのだ。したがって,文章作成に抵抗がある人間を振り落とすという効果のためだけでも,論述問題を課す意義はある。この意味で,共通テスト導入の際に現れた「共通テストには短い字数のものでかまわないし,どの教科でもよいから,何かしらの論述問題を入れるべき」という主張は理解できる(現実的困難を横に置いておけば)。ゆえに「50字や100字の短い字数では思考力は測れない」等という反論は,その通りではあれども,かえって現実が見えていない。そして,新規に提示された文章から読み取った内容で論述させるのではなく,あらかじめ自分の記憶の中にある知識から文章を作成されることは,国語では問いづらい。地歴公民ならばやりやすい。
そして,この種の問題でも,思考力が必要になるようにひねることはできる。字数を調整するか,要件を追加してやればよい。すると情報の取捨選択能力やより高度な国語力を新たに問うことができるようになる。たとえば上述の問題,慶應大・経済学部の指定は実際には以下の通りであった。
資料aの波線部αに関連して,エンコミエンダとはどのような制度か。説明しなさい。(40字程度)
(編註:資料aではエンコミエンダがフィリピンでも行われていたことが提示されている。波線部は「エンコミエンダ」)
つまり,上の解答から20字程度は削りつつ,問題文で提示された新規の情報も加味しなければならない。すると,エンコミエンダ制の核は植民者が先住民を恣意的に扱う権利を得たことにあるから,ここは死守する必要がある。この観点から言えば「統治を委託されたこと」と「労働力として用いるのを認められたこと」は同義であるから,片方だけ残せば問題ない。「キリスト教への改宗を条件に」は,エンコミエンダ制が世界史において取り上げられる理由の特徴であるから削れない。逆に「アメリカ大陸の」は問題文で提示された新規の情報に反するから,必ず削る必要がある。それでもまだ20字は削れないので,日本語も工夫の必要がある。結果的に解答は
「スペインが植民者に対して,キリスト教への改宗を条件に,先住民の使役を認めた制度。」(40字)
くらいになるだろう。末尾にはもちろん「統治を委託する」方を残してもいい。一見すると上述の設定とほぼ同じに見えて,なかなか高度な作業を求められていることがおわかりいただけるだろうか。こういうのを良い論述問題という。特に用語の説明文のどこに重きがあるかを見抜くのは,歴史の流れや背景を想起する必要がある,大仰に言えばその用語が教科書に載っている意義を認知している必要がある。自分がなぜその用語を覚えさせられたのか自覚するから,これはメタ認知的な話でもあるのだ。逆に作る側は,どうやったら解答者に重要性の勘案をさせられるかを意識する必要がある。
2.時系列や空間・ジャンル跳躍を整理させる問題
この種の問いは辞書の引き写し・要約では対応できなくなる。時空間概念のある「歴史」という科目の真骨頂であるかもしれない。また今年実際に出た問題から選ぶと,九州大の問題。
イスラーム世界のトルコ人の活動が,9世紀から10世紀にかけてどのように推移したか,その過程について,つぎの語句を全て用いて100字以内で説明しなさい。(サーマーン朝,ガズナ朝,アッバース朝)
定番のテーマなので,進学校・塾・予備校に通っていたなら書き慣れているだろう。しかし,教科書を読み込んできただけだとなかなか手ごわい。もちろん解答に必要な情報は主要5冊ならいずれも掲載されているが,本文にそのまま書いているわけではない。したがって,必要な情報は自分で再構成する必要がある。本問は必要な王朝がほぼ全て提示されているだけ易しいし優しいが,これが東大・阪大あたりになるとノーヒントになる。解答としてはマムルークとカラハン朝を自力で想起して,適所で使えるかが重要。
「9世紀にアッバース朝がトルコ人をマムルークとして活用し,これを強化したサーマーン朝の下で改宗が進んだ。10世紀に中央アジアのカラハン朝や,後にインドに進出したガズナ朝といったトルコ系王朝が自立した。」(98字)
本問はまだ与しやすい。必要な情報が全て近接した数ページに収まっているし,前述の通り定番のテーマなので事前に類題を解いておくという対応が可能である。世界史が苦手な受験生なら,一種の公式としてこのフレーズを脳内にたたきこんでおくという対応さえ可能だろう。したがって,より高度な能力を測るなら問題を変える必要があるが,その改変は容易である。時間または空間を引き延ばせば難易度が跳ね上がる。世界史の教科書は数百ページに及ぶ。しかも世界史は地域が乱れ飛ぶ。古代オリエントの次にギリシア・ローマが出てきて,中東とヨーロッパ史が6世紀くらいまで進んだかと思えば,次のページで前23世紀のインダス文明に飛ぶ。このインドがまた7世紀くらいまで進んだら,次はまた仰韶文化まで戻り,中国史が唐末まで進むと……という繰り返しである。日本史はまだしも一直線だが,こちらの場合は政治史・外交史・社会経済史・文化史でループするから,学習者が受ける印象は似たようなものだろう。
中央アジアも例外ではない。その良い事例は,やはり今年の東大の問題である。問題文が極めて長いので適当に省略するが(全文読みたい方はこちらへ),
(前段略)「以上のことを踏まえて,8世紀から19世紀までの時期におけるトルキスタンの歴史的展開を記述せよ。次の8つの語句をそれぞれ必ず一度は用い,その語句に下線を引くこと(アンカラの戦い,カラハン朝,乾隆帝,宋,トルコ=イスラーム文化,バーブル,ブハラ・ヒヴァ両ハン国,ホラズム朝)」(600字)
これは前出の九州大のものと比べ対象の時間が長く,難易度が非常に高い。1200年はあまりにも長い。教科書の章立てで言えば,山川『詳説世界史』全16章のうち5章分にまたがり,該当する情報がある教科書本文を全て抜粋すれば,優に数千字を越えるだろうし,それは数十ページずつ離れている。まずその全てを想起するだけでも大変だが,これを600字まで圧縮しなければならない。ここで必要なのは情報の重要性を勘案した上での取捨選択能力であるから,前出の種類の問題と同様にメタ認知的能力である。たとえば本問,「アンカラの戦い」が指定語句であるが,トルキスタンの歴史には直接関係がない。これは西トルキスタンから出てきたティムールが西アジアに進出した文脈で消化するしかないわけで,とすると相手側の情報はオスマン帝国であることを明示してもよいが,バヤジット1世は相対的に余分な情報になるから書くだけ字数の無駄になる。「宋」も西遼の成立の文脈で処理するしかないが,本問の文脈では徽宗なり耶律大石なりの名前は重要性が高くなく,ナイマンの西遼征服も事情として細かすぎるから加点される可能性は高くない……等の判断事項がある。
さて,読者諸氏はここに基準が2つ働いていることにお気づきだろうか。バヤジット1世も徽宗も世界史上疑う余地のない重要人物であるが,本問の要件から遠いために弾かれる。逆にナイマンは本問の要件には沿っているが,“他の事項に比べて”世界史上の重要性そのものが低いから不要と判断される。つまりここには二種類の網がある。現代文では前者の網しか用意できないし,そもそも網ですくい取られる不要な情報も試験の中にしか用意できないから,漁場そのものがどうしても狭くなる。尋常でなく広大な海を提示して,かつ網を二種類張るのは地歴公民科目の方が得意であるのは,ここまでの説明で理解されるだろう。また,記号問題は事実の正誤を問うのには適しているが,重要性の勘案は不得意である。ここにも論述問題の必要性がある。
ここで説明を終わらせてもいいが,さらに言えば「乾隆帝」の語句が指定されている意味にも言及しておこう。これは乾隆帝の征服時点では藩部であったのにイリ事件後に直轄領になる(あるいは支配が強化される)ことを書けということを示唆していて,暗にはその後の東トルキスタンの運命を想起せよということである。それが(21世紀まで引き伸ばした際の)トルキスタンの歴史的展開の”結末”であるのだから,19世紀末に起きたその前兆は,問題の要件に完全に沿うどころか要求の本命である。というように「乾隆帝」は漢字をど忘れした受験生のためのヒントではなく,ここに優しさは無い。受験生に求められている能力はこれがヒントではなく伏線であるという作問者の創意に気づくことでもあって,繰り返しになるが,やはりメタ認知的能力である。さらにメタなことを言えば,現在の新疆の状況に思いを馳せてほしいという作問者が込めたメッセージにまで考えが及ぶと本問は解きやすい。東大受験生にはここまでのメタのメタを読む注意力と読解力が求められるのだから,大変なものだ(他人事)。
ここでは時間を広くとる事例を挙げたが,同様に空間を広くとってもいい。たとえば東大は過去に「13〜14世紀のユーラシアの東西交流」を問うて,膨大な空間を記述させた。これも教科書的には配置がバラバラである。あるいはジャンルを跳躍させる論述問題もある。税制を媒介させれば政治史と経済史が交わるし,宗教を媒介させれば政治史と社会史が結びつきやすい。高校生は政治史は政治史として,社会経済史はそれとして通して習うので,跳躍されると混乱する。これらでも膨大な関連事項から関連性の高い事項だけを取捨選択する力を問うことができる。
3.用語説明でも時系列でもないものを問う問題,(擬似的な)比較の問題
ちょっと特殊な問題である。正確な知識があることは前提で,特定の時代や地域の様相・風潮を答えさせたり,ド直球に歴史的意義を聞いたりする。1・2のパターンよりも難度は高い。これも今年の問題を引用することにして,阪大から。
資料3が示す事件の背景には,フランスが最終的に軍事的な介入を断念したという事情もあった。その理由を,当時のフランスの内政・外政の状況を踏まえて説明しなさい。(100字以内)
(編註:資料3は1804年のハイチ独立の際にハイチ人が発表した外交文書)
ハイチ独立は当然教科書に書いてある。ナポレオンの事績もある。しかし,その関連というと書いていない。ゆえに,習った内容を想起して自分で介入が断念された事情を考えなければならない。2の時系列を追うパターンは十分に習熟した受験生なら関連事象を書ききれないほど想起できる。ゆえに重要性を勘案した取捨選択の必要が出てくるが,本問は何を想起したらいいのか,何が関連事象なのかを考えるところから始まる。必要な思考回路が違うのである。本問の場合は年号を手がかりにアミアンの和約の破棄と第一帝政の樹立による第三回対仏大同盟の結成,長期化する革命戦争,1803年のルイジアナ売却を想起して,フランスの軍事的困難・財政難・西半球からの退潮に結び付けることになる。知識は標準的なものしか必要がないが,阪大受験生を相手にするにふさわしい,高度な思考力が問われていると思う。ここに来てメタ認知的ではないのはちょっと面白い。なお,この種の問題の欠点は作問者に多大な力量が求められてしまう点で,自分の大学の受験生の知識や思考力を見誤ったり,自分が専門領域としない分野から作問したりすると,良問が超難問に様変わりし,最悪の場合は破綻して解答不能になる。そのような事例は『絶対に解けない受験世界史』シリーズで多数取り上げている通り。
比較の問題も面白い。たとえば今年の京大の問題。
民主政アテネと共和政ローマでは,成人男性市民が一定の政治参加を果たしたとされるが,両者には大きな違いが存在した。両者の違いに留意しつつ,アテネについてはペルシア戦争以降,ローマについては前4世紀と前3世紀を対象に,国政の中心を担った機関とその構成員の実態を,300字以内で説明せよ。
民主政アテネも共和政ローマもよく学習するところであるが,教科書上では比較されていない。したがってその相違点は自力で探すことになる。しかも,この比較はあまりにも頻出であるので進学校・塾・予備校では間違いなく練習させられてきているものだが,紋切り型の解答をされるのを避けるために「その構成員の実態」という見慣れぬ要件を付しているのが面白い。直接民主政の徹底と寡頭政の維持という解答から一歩踏み出して,社会の流動性の違いに言及できるかどうかは,間違いなく高度な思考力が問われているだろう。
以上,見てきたように,受験世界史の論述は出題のパターンが多岐に渡り,様々なタイプの思考力を問うことが可能である。またそのうちの多くが重要性を勘案する力,メタ認知的能力に結びついていることも理解されよう。大学の教員の方々には作問の参考になればこんなに嬉しいことはなく,受験からはすでに離れている方々には,入試問題はこうやって作られているのかという参考になれば幸いである。また受験生には(この記事を最後まで読んだ人は極少数であろうが),本記事自体がメタ認知的能力の向上に役立つなら望外の喜びである。
Posted by dg_law at 00:12│Comments(2)
この記事へのコメント
今年もいよいよ悪問・難問・奇問の季節がきましたね。新傾向?の謝った方がいいシリーズも含めて楽しみにしています。
ところで、京大のサウスでリバーな先生はもう名誉教授では…?
ところで、京大のサウスでリバーな先生はもう名誉教授では…?
Posted by 法律方面の人 at 2022年03月03日 02:10
ああそうか。とすると後継者の方ですね。ありがとうございます。
謝った方がいいシリーズは,受験生には謝っていましたね。もっと別に謝った方がいい方向があるんですけどね。
謝った方がいいシリーズは,受験生には謝っていましたね。もっと別に謝った方がいい方向があるんですけどね。
Posted by DG-Law at 2022年03月03日 02:18