2022年03月13日

白鵬引退に寄せて

3/11にアップするつもりだったが,三度目のワクチン接種によって阻まれたので仕方がない。白鵬についてはすでにネット上に優れた評伝が多数上がっていて,特に付け足すところもない。たとえば次の2つの記事はすばらしい。
・「相撲社会の大先輩に何てことを言うんだ!」孤独の大横綱・白鵬が18歳でうけた“父のゲンコツ”《素は“仏”の男が“鬼”を標榜するようになった理由》(文春オンライン)
・「横綱・白鵬引退に思う」(視点・論点)(NHK解説委員室)
そこで,あくまで本ブログ上の記述に沿って私見をまとめつつ,こうした評伝で意外と触れられない取り口の変遷を中心に書き残しておきたい。

白鵬の人生は有名すぎるエピソードが多い。誕生日は3/11,父親のムンフバト氏はモンゴル相撲ことブフで5年連続6度優勝し,1964年東京オリンピックから5大会連続でレスリングで出場,特に1968年メキシコ大会では銀メダルをとった。モンゴルの英雄の息子,サラブレッドとして日本の大相撲に挑戦することになった彼だが,来日当初は身体が細すぎて部屋が決まらなかったという。しかし,結果として当時は新興でしがらみのない宮城野部屋に決まったことは,かえって白鵬にとって良かったのだということもよく語られるところである。

いざ大相撲に入ってからの出世は早かった……と言いたいところだが,やはり体格差のせいか,三段目脱出に6場所かかるなど,前相撲から新入幕まで17場所かかっている。後の大横綱と考えるとこれはかなり遅く,上位十傑にすら入っていない(12場所以内でなければ入らない)。実はその他のスピード記録も振るわず,2位や3位に入っているものすら少ない。ともあれ新入幕後は二度の休場のみで皆勤場所は全て勝ち越し,2007年五月場所後に所要38場所,歴代4位の早さで横綱に昇進した。しかし,不思議とこの頃の白鵬に対する私の印象は薄い。この頃の白鵬は受け相撲で,勝ち筋が右四つでの寄り切りに偏っていて,投げに展開したり離れて取ったりするのは後に比べると不得手であったように思われる。とはいえ長身で体格の良い右四つの本格派で,捕まえられさえすれば朝青龍でも脱出できなかったから,すでに並の横綱級の強さはあった。

なお,白鵬の綱取りについては,本来であれば2006年の五月・七月に14勝優勝・13勝次点であるから昇進していてもおかしくなかったのだが,2006年五月はまだ新大関であったので流され,その後で白鵬がケガをしたこともあって5場所遅れる結果となった。本件については,その前の三月が関脇で優勝同点13勝で三場所計が40勝というのは綱取りの隠れハードルである三場所計36勝を優に超えており,かつ長く朝青龍の一人横綱であったから二枚看板にする需要は高かった。にもかかわらず「時期尚早」という議論が出たのは不可思議で,現在の風潮なら確実にそのような声は出なかった。16年前の段階ではまだモンゴル人に対する疑念は残っていたのだろうし,その残滓がずっと白鵬の胸中に残り続けて後の不品行につながったのだとすると不幸の連鎖である。

白鵬の偉大さはやはり横綱になってからの安定感とその長さである。主要な史上最多記録を並べるだけでも優勝回数45回,年間最多勝10回,通算勝数1187勝,通算幕内勝数1093勝,横綱としての勝数899勝はいずれも前人未到の記録である。今後塗り替えられないとは断言できないが,更新のハードルは尋常でなく高い。横綱以降の取り口は何度かの変遷がある。長くなるので先にまとめておくと,関脇・大関時代を含めた2006-08年を初期型,09-11年を全盛期,12-14年を中期型,15-16年と21年に見られた後期型,17-20年の末期型と定義する。

2008年までは大関時代に近く,寄り切り中心で,朝青龍が上手投げで勝つと自分も上手投げで勝つといった妙な対抗心があったが,まだ後世に名が残るような上手投げではなかった。2008年初場所,13勝1敗で迎えた朝青龍との相星決戦は,大相撲史上でも稀に見る最強同士が真っ向勝負,卓越した身体と技巧をぶつけ合った一番となった。平成最高の名勝負としてこれを挙げる人も多い(私もこれに一票入れる)。しかしながら,朝青龍は全盛期だったにせよ,白鵬がまだ上昇曲線の途中だったからこそこれだけ白熱したのであって,このもう1年後には実力差が開いてしまった。

これが全盛期に入ると,左上手投げの切れ味が増して,離れて取っても押し負けなくなり,何よりも足腰の強くなった。「足に根が張っている」「身体が柔らかく,あらゆる衝撃が吸収されてしまって下がってくれない」等と評価されるようになったのはこの頃からである。私には2009年の春場所の全勝優勝で何かが変わったように思えた。2009年は86勝4敗という年間最多勝記録を樹立した年でもあるが,これに比して優勝は3回と振るわない。優勝できなかった場所は全て優勝決定戦での敗退だったので,この頃の白鵬はプレッシャーに弱いのではないかとも言われていた。まだまだ若かったということか。

続く2010・2011年は天下無双の強さを発揮し,右四つになっただけで勝ちを確信した観客が歓声を上げるというシーンもよくあった。2009-11年は238勝13敗で勝率.933という成績で,その完璧な相撲ぶりもさることながら,数字の上でも驚異的以外の言葉が見当たらない。2010年は大相撲史上2位の63連勝を記録し,九州場所で稀勢の里に負けると「これが負けか」「未だ木鶏たり得ず,だな」と名言を残した(後者は69連勝の双葉山をなぞったもの)。この「木鶏」発言からもわかる通り,白鵬はこの頃に大相撲の歴史について猛勉強しており,角界でも有数の有識者となっている。外国人として受け容れられないなら可能な限りに日本に馴染もうという努力だとすると涙ぐましい。2010年は野球賭博問題で,2011年は東日本大震災と八百長問題で大相撲に激震が走っていた時期であり,白鵬自身も前者において微額の花札をしていたことを自供して処罰されているが,それを差し引いても十分すぎるほど大相撲に貢献していた。この2009-11年頃の功績を忘れた後の不品行批判には賛同できない。


相撲の取り口に少し変調をきたすのが2012年で,まだ27歳,老け込むにはあまりにも早いが,天下無双の取り口は身体への負担が大きいのか,そのままの取り口では多少勝てなくなってきての2回優勝にとどまった。当時に本人が語っていたのは右膝のケガと腰痛である。環境の変化も大きい。2010-11年頃は朝青龍・千代大海・琴光喜・魁皇が次々に引退し,特に後者3人が辞めたことは大関互助会の崩壊を意味した。代わって稀勢の里・日馬富士・鶴竜・琴奨菊が台頭して,あまりにも盤石な白鵬の優勝の陰での二番手争い,大関取りが熾烈を極めていたのである。その刃がとうとう第一人者に届き始めたのが2012年である。

2013年は取り口が変わった時期であった。省エネ相撲の誕生である。前半戦の小結や前頭上位との戦いでは組まずに離れて取り,突き押しかとったりか,さっとつかんでの投げ技で仕留める。後半戦の大関・横綱戦に入ってから全盛期の取り口に戻していくという場所の過ごし方が固まっていった。これを中期型の白鵬と呼ぼう。これ以後に現れる後期型・末期型は中期型の変形であるから,中期型は引退までの基本形とも言える。場所の前半でとられた省エネ相撲はちゃんとした四つ相撲に比べるとやや勝率が下がるのでリスキーであった。しかし,15日間受けて立つのではスタミナが切れるのだから仕方がない。また,取り口が汚いということでもないので批判されるものではなかった。しいて言えば省エネ相撲の一環として張り差しが多用されるようになったが,これも張り差し自体が悪いということではない。何よりも省エネ相撲のおかげでスタミナが温存されて,場所後半に日馬富士や鶴竜や稀勢の里に対して全盛期並の取り口を見せてくれるのであれば,ファンとして文句は無かった。にもかかわらず,一部の守旧派の好角家から省エネ相撲・張り差しそのものが批判されたのは白鵬の不幸で,これが民族差別と受け取られがちなところはあったのは,ここで必ず書き記しておかねばならない。

こうして中期型に移行した結果,2013年は4度優勝,2014年は途中休場1回を除く皆勤5場所のうち3度優勝と確実に復調した。2014年の九州場所での優勝がちょうど32回目,史上最多記録タイであり,名実ともに史上最強横綱となった。2013年には史上初の二度目の40連勝も記録している。最終的に43連勝まで伸びたが,これを止めたのはまたしても稀勢の里であった。なお,この稀勢の里が勝った取組後に九州の観客が万歳三唱をしたことは,いたく白鵬の精神を傷つけたと思われる蛮行であった。こうした心無いファンの言動は白鵬が一方的に批判されるべきではないと言われる一因である。


平幕から全盛期に至るまでケガが少なく,休場が極めて少ないことが特徴であった白鵬は,2015年九月に休んだのを皮切りに,ケガによる休場を頻発するようになる。一度休むとタガが外れるということなのだろうか。2016年には年間最多勝を稀勢の里に奪われた。それに伴う精神の乱れもあろう,前述の通り日本人に裏切られたショックもあろう。2013年には精神的な支えと言われていた大鵬氏が亡くなっている。加えて,単なる省エネ相撲では勝率が下がりすぎるようになったこともあろう,諸々が重なって2014年下半期からまた相撲ぶりが変わっていく。こうして2015年頃から現れたのが後期型の取り口である。基本は中期型と同じながら省エネ相撲にラフプレーが加わり,悪名高い立ち合いのかち上げエルボーが見られるようになった。また,盤石に勝つというよりは経験と持ち前の反射能力による土俵際の逆転劇も増え,これはこれで見応えがあったものの,全盛期の取り口を知っている観客からするとラフプレーと同様に寂しい勝ち方であった。

かち上げエルボー問題について補足しておく。白鵬のかち上げエルボーは張り差しとの併用にポイントがある。かち上げは本来,相手の胸に自分の二の腕を当てて上体を押し上げるものであって,顎に当てて身体的な打撃をねらう目的のものではないし,顎をねらって空振れば自らの立ち合いが崩れるからねらう人もいなかった。また張り差しは,立ち合いと同時に相手に張り手を見舞うことにより相手の立ち合いの勢いを止めることで,押され負けを避けたり,自分に優位な差し手を作るものである。しかし,張り差しとかち上げを組み合わせると,左からの張り差しで動きが止まった相手の顎に,右の二の腕をクリーンヒットさせることが可能になってしまう。悪魔の発明である。よくこんなことを思いついたものであるが,そもそも張り差しとかち上げという全く違う動きを左右同時に行うという神業ができたのもまた白鵬だけであったから,誰も真似しようとも思わなかった。さらに白鵬は右腕に分厚く硬いサポーターを巻いていて,これが事実上の凶器となっていた。さて,張り差し・かち上げ・サポーター着用の一つ一つは言うまでもなくルールの範囲内である。肘打ちはグレーゾーンであるが歴史上あれだけ明確にエルボーを打った力士はおらず,また肘打ちが故意か偶然かの判断は難しいと予想される。まとめると,倫理的なダーティーさはあるが,ルールブックの盲点を突く発想の上でも単純な技巧の上でも,実現できたのが白鵬だけというのが,かち上げエルボー問題の核心であろう。だからこそ協会も本質的な解決を目指さなかった節がある。私見では,やはり「肘打ちは握りこぶしと同等と見て反則」という規定を新設してほしかった。エルボーが顎に入れば脳震盪を起こす危険が高く,相手の選手生命を縮めるので,白鵬の引退を待っている場合ではなかっただろう。同様の指摘は協会内でもあり,代表的なところで元武蔵丸の武蔵川親方が頻繁に批判していた。
・“ご意見番”武蔵丸の苦言「白鵬よ、右ヒジで顔面を狙うのはいけない」「正代戦も元横綱の僕としては許せなかった」(Number)

この頃には所作の乱れも指摘されるようになり,ダメ押しも目立つようになった。デーモン閣下が最初にそれを指摘したのが2014年の七月というのが,やはり一つの画期であった。ここでデーモン閣下に先んじて指摘できなかった横審には本当に存在価値がない。2015年初場所には無意味に審判を批判して騒動を起こした。私自身,今回自分で書いた相撲の記事を読み返していて,2016年3月には早くも「個人的には「もう“無敵の横綱”じゃなくてもええんやで。気楽に普通の綱を張ってくれ」と心から言いたい。」と書いていて,なんとも悲しい気分になった。しかしこの場所で36回目の優勝を遂げた横綱にとって,それはプライドが許さない堕落であったのだろう。彼にとっては品格ある普通の横綱よりも不品行でも無敵の横綱の方が偉大な横綱像であったのだ。2017年以降は騒動が多くなるが,ここで書き連ねるのはやめておこう。

しかしながら,こうしたラフプレーを続けていくことはさすがに許されず,観客や協会から批判を受け,また筋トレ等を増やしてトレーニングをし直したとのことで多少なりとも中期型の相撲が戻っていた。すなわち前半・中盤を省エネでやり過ごし,苦戦しそうな有望な若手との取組だけ思い出したかのようにラフプレーに走って,最終盤の2・3日だけ右四つ万全の相撲を取ると細かく切り替えていく。また少しでもつまづけば早々に休場する代わりに,完走すれば優勝するというスタイルが2017-20年にとられた。これが末期型である。しかし,ケガ頻発してこれすらも難しくなったため,最後の場所となった2021年七月は後期型に戻って何でもありの取り口であった。その全勝優勝は評価が難しい。少なくとも私自身は,当時に書いた言葉をそのまま持ってくるなら「あんな取組を千秋楽にとる横綱白鵬は見たくなかったというのが偽らざる本音である」。さりながら全勝優勝を最後に引退したのは実に白鵬らしいものであった。



総合するに,ラフプレーについては一方的に批判するしかないし,2017年以降の騒動の多くも批判されるべきところが多い。しかし,その背景事情には少なからず大相撲側の事情もあることは割り引かねばならない。また大相撲が絶不調だった2009-11年頃を支えた朝青龍の対抗馬・一人横綱であったこと,数々の偉業というべき大記録といった功績もまた大きく,何よりも何より盤石極まりなかった全盛期の四つ相撲の美しさは代えがたいものがあった。私は,彼の功績から不祥事を差し引いたとしても,まだ功績の方が圧倒的に大きいと判断する。他の多くの好角家も同じ判断になろうと思う。取り口の変遷を中心にまとめたので漏れてしまったが,東日本大震災復興支援や,新人発掘に確実な成果を挙げている白鵬杯の開催など,これらの点でも彼は評価されるべきであろう。

これからは後進の育成にあたるわけだが,すでに内弟子が何人も幕内まで上ってきており,特に小兵の育成には定評がある。モンゴルとの縁も活かして自らの記録を脅かすような,新たな大横綱を育ててほしい。お疲れ様でした。

この記事へのコメント
更新おつかれさまです。

白鵬評、興味深く読ませていただきました。
僕は2017年から相撲を見始めた身なので、その頃からの白鵬評としては、「とことん勝ちにこだわる横綱」だったと思います。負けることは誰よりも嫌う横綱というべきか。
そういう意味で考えると、最後の取り組みとなった照ノ富士戦はそういう白鵬を表した一番だったのかなと。

白鵬という横綱は2017年頃から既に晩年と言っても差し支えないのですが(その晩年が長かった)それでもほとんど負けることが少なかったのは特筆すべき点かなと感じます。
結果、横綱勝率87.5%と、年6場所制移行だと、大鵬、玉の海らを超える記録(実質1位)を守り抜きました。
裏を返すと、やはり皆勤して9勝や10勝というのは彼は許せなかったのかなと思います(10勝してから休場する場所が2度ありました)

私としては、奇しくも平成最後となった場所(2019.春)が白鵬最後の輝きで、令和年間は壮大なしんがりだったなと感じます。
令和年間で白鵬が番付に載ったのが、14場所ですが、うち皆勤できたのは4場所のみというのは、寂しさを感じますが、それでもうち3場所優勝しているのは流石というべきか。ただ、その3場所どれも後半戦は苦しそうだったのが印象的です。

内弟子を従えての横綱土俵入りを果たすなど、その育成手腕も期待されているので、いい力士を育ててほしいなと思います。解説もおもしろいので、期待したいですね。
Posted by gallery at 2022年03月24日 13:08
>galleryさん
ありがとうございます。
2017年からですとすでに末期型ですので,「とことん勝ちにこだわる横綱」という姿になろうかなと思います。
最後の取組は,評価はしませんが,おっしゃる通りにそういう白鵬を象徴する一番ではあって,不思議な感慨はありました。

「やはり皆勤して9勝や10勝というのは彼は許せなかった」のでしょうね。そうなるくらいなら取り口を変え,休めるだけ休むが,皆勤するからには優勝すると。
それを選択する自由は彼の権利だと思うので,記事中ではいろいろ書きましたが,選択を尊重したいと思います。

解説が面白いですよね。稀勢の里・鶴竜も面白く,皆しっかりとした話せて良いなと。
それこそ好みが分かれる力士ではあるので難しいかもしれませんが,たまにNHKの解説に来てくれると嬉しいですね。
Posted by DG-Law at 2022年03月24日 20:23