2022年06月24日

一般向け世界史概説書の書評(『市民のための世界史』・『歴史学者と読む高校世界史』・『東大連続講義 歴史学の思考法』)

数年単位で蓄積されてしまったので,ここらでまとめて放出。

『市民のための世界史』(大阪大学歴史教育研究会編,大阪大学出版会,2014年)
大阪大学の歴史家たちが,
・既存の世界史の概説書は文系,特に文学部の学生や卒業生を主眼としていて「教養課程」の教科書として難しすぎるものが多い
・既存の高校世界史は用語の分量が多すぎることを問題意識として,可能な限り固有名詞を排した教科書を作成したらどうなるかを試したい
という目的で制作した世界史の教科書である。そのため,序章でやや長めに歴史学を学ぶ意味や効用について語られている。加えて概念的な歴史用語や基礎的な地理の説明が詳しいのも目的に沿っている。しかし,固有名詞は確かに数が少なくなっているが,マイソール王国のティプ・スルタンやジェニー紡績機のようなものが登場しており,その後の高大連携歴史教育研究会の「歴史系用語精選案」の動きなどを考えるとまだまだ多くて無駄がある。また,概念語の説明をコラム等を駆使して文字数を費やして行っているため,文体はともかく読みやすい分量とは言いがたく,その意味で高校世界史未履修者に通読可能かはかなり疑問が残る。これを読みこなすのには基礎的な世界史理解が必要だろう。大阪大学の学部生が,単位を目的として読むなら通読できるかもしれないが……

また,本書は「歴史学は常に学説が書き換わっていく」「ここから入試問題を作るわけではない」ということを大義名分として新説を豊富に載せている。そのため,歴史に詳しい読者でもそうした新説を拾うことや,固有名詞を出さないための大胆な省略に注目すると楽しんで読むことができよう。加えて2014年刊行なのですでに8年経ってしまってはいるから,今から読むなら「これ8年前からあった説なんだな」とか「これはいまだに定着してないか,否定されてるな……」と確認しながら読むと尚更よいかもしれない。たとえば参考文献にジャレド・ダイヤモンドや與那覇潤の著作が入っているのは,現在だと勇み足の感もある。それでも意欲作には違いなく,『もういちど読む 山川世界史』からさらにワンランク上の世界史通史を読みたいなら勧めたい。

市民のための世界史
坂尻 彰宏
大阪大学出版会
2014-04-01




『歴史学者と読む高校世界史』(小澤実・長谷川修一編著,勁草書房,2018年)
本書の問題意識は,高校世界史の教科書は大学の教員が書いているはずなのに,旧説がいつまでも残り続け,知識偏重の入試が悪いことは皆わかっているのに是正させることもないのはなぜか,という点である。その実態を明らかにしつつ,原因を探りつつ,教員として反省するのがねらいになっている。論文集の体裁で,12章の著者が章ごとに全て異なる。類書と比較すると「高校世界史の歴史」についての調査や「教科書検定制度」についての解説といった制度史に焦点が当てられた章が厚く,まさにこの辺が面白い。教科書調査官だった新保良明氏の章を読むと,そりゃ教科書に旧説が残り続けるよなと思うことしきりである。検定制度にも教科書会社にも問題が大きく,これを赤裸々に書いてくれたことに感謝したい。また,一橋大学にお勤めのある方が「入試問題作成において,新課程の教科書や山川の用語集すらチェックすることなく,受験生泣かせの難解な出題を繰り返す大学教員には,高校の歴史教育の現状を知らない,学界という隔絶された世界の住人が多い」「一橋の世界史はとりわけ予備校界隈では奇問・難問が多いことで知られており反省しきりである」と書いていたのには笑ってしまった。前出の新保氏のものも合わせて,これはもはやちょっとした暴露本ですよ。なお,おそらくこの方が作ったと思われる2017年の第2問や2020年の第2問は良問であるという擁護はしておきたい。

無論,高校世界史の記述が最新の研究から見てどう間違っているか検証した章も楽しい。第1章からして,長谷川修一氏が高校世界史の古代パレスチナ描写は『旧約聖書』の記述を無批判に採用していて最新の学説どうこう以前の問題であるとばっさり切り捨てられている。返す刀でその原因を「高校教員は一般に記述が大きく書き換わるのを嫌うから」「教科書検定が機能していないから」「教科書執筆者も古代イスラエル史の知識がないから」と,もうばっさばさである(教科書検定が機能していないという指摘は前出の通り新保氏の指摘と重ねると尚更しっくり来る)。と同時に,その批判はそのような状況を変えられない自身にも反省として向けられている。

一方で,それは無理と思われる批判もある。たとえば第2章で小澤実氏が「近現代でしか通用しない東欧という地域区分を中世に投射し,スラヴ人という言語文化集団によるまとまりで教えるのは問題が大きい」と指摘していて,さらに第3章では中澤達哉氏が同観点から「中世初期には存在しないスロヴェニア人・スロヴァキア人が確固たる存在として登場するのは,歴史の事実と乖離しており,現地の歴史学界においてさえ民族主義的な把握である」と疑問視している。これらはもちろん一理あるものの,現実の高校生は現在のどの民族がスラヴ系なのか,現在のスラヴ系の諸民族の主要な宗教は何かを覚えるところまでで手一杯であって,(世界史が好きで得意な子を除けば)その先を意識する余裕は無い。また,他に置き場所がないから便宜的に中世初期のスラヴ人の大移動の節でスラヴ系諸民族を羅列して紹介しているだけであって深い意味は全く無い。こういった事情を無視して現状の中世東欧の教え方が解体されれば,東欧はさらに教えにくくなり,不人気になるだろう。ましてや近代史にスロヴェニア人やスロヴァキア人の民族意識が芽生えていく過程を盛り込むなら,それは世界史の教科書が分厚くなっていった悪しき歴史を繰り返すことになる。また別のとある章では,この期に及んで「〇〇の分野では人物名が足りないので,××と△△と▲▲と□□と■■を増やすべき」と提言していた。5人も足してほしいなら,せめて減らす人名も5人書いておいてほしい。

そういった衒学的な空気も含めて,2018年の段階での「大学教員から見た高校世界史」の様相をよく表している。2018年といえば高大連携歴史教育研究会の「歴史系用語精選案」が発表された年でもあって,歴史教育改革に向けた動きが活発になり始めた時期である。






『東大連続講義 歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会編,岩波書店,2020年)
東大教養学部で実施されたオムニバス講義が書籍化されたもの。1〜3章は「歴史に法則はあるのか」というテーマを軸にした史学史や,「史料」についての説明,歴史記述についての説明というように,歴史学の特質を説明する章になっている。4〜6章は杉山清彦氏が「国家」や「帝国」の概念について説明していたり,岡田泰平氏が植民地主義について説明していたりと,少し深く,歴史学で頻出する概念について説明する章となり,7〜9章は社会史・感性史・ミクロストリアといった比較的新しい分野の紹介が続く。10〜12章はサバルタンの問題や東アジアの歴史に認識問題といったやや特殊な歴史学の問題に触れている。

通読すると確かに歴史家が大学生に最低限押さえておいてほしい歴史学の基礎がわかる形になっていて,各章が相互に言及していて連動しており非常に収まりがいい。その意味で,文学部の歴史学科に進む学生はもちろん,他の学部学科や理系の大学生にも勧めやすく,本書の内容だけで「市民的教養としての歴史“学”(歴史ではない)」として十分に高度な理解になろうと思われる。歴史学とはこういう世界なのだなという印象が残ってくれれば大変にすばらしい講義(読書)体験だろう。文章が平易で読みやすく,さすがは日頃学部1・2年生に触れている教員たちであるなと思った。本書の白眉は渡辺美季氏が書く第2章で,よくもこれだけ短い文章に「史料」についてのエッセンスを詰め込んだものだ。

本書について文句を言うなら,せっかく駒場での講義なのに美術史学の章が1つもなかったこと,そこだけである。美術史学の先生,誰も歴史部会に直接所属していないからね……