2022年06月25日

書評:『グローバルヒストリーと戦争』(秋田茂・桃木至朗編著,大阪大学出版会,2016年)

本書は並びが現代史から古代史にさかのぼっていくスタイルであるが,後ろの章ほど面白い。20世紀史はグローバルさが自明すぎて,グローバルヒストリーが面白さを発揮できないということだろうかとか考えてしまった。いくつか面白かった章を挙げておく。まず第6章,近世の東部ユーラシアではヨーロッパから伝来した火器を用いた「火薬帝国」が立ち並んだが,18世紀に入ると平和が訪れて火器の地位が低下していった。この17-18世紀に,銃火器を減らす周囲とは対照的に周囲からありったけのマスケット銃を吸収し,庶民にまで普及していった特異な地域がある。ベトナム北部の山岳地帯である。ベトナムの歴代王朝はその地形と武力に苦慮し,なんとか体制に取り込もうとしたが,それに成功したのは最終走者のベトミンだけであった。この山岳の戦闘集団の存在が最終的にディエンビエンフーの戦いに帰結するのだから,長期的な歴史の展開は予測がつかず面白い。現代でさえ,ベトナム政府が山岳民から銃火器を押収したというニュースがたまに流れてくるらしい。

第7章では,クリミア戦争の勃発が日露の開国交渉に影響を与え,さらにそれが江戸幕府による大阪湾の海防政策に影響を与え,ひいては摂津のとある村の庄屋の人生に影響を及ぼしたということが論じられる。グローバルな出来事が,日本海沿岸部というリージョンに,日本という一国史に,そして大阪の村というローカルに,最終的には庄屋という一個人史(ミクロストリア)にまで段階を踏んでつながっていく手際は鮮やかであり,グローバルヒストリーは地域の出来事を軽視するという批判に応えた見事な一作である。

第8章も,ゼーランディア城攻防戦というオランダ東インド会社の負け戦から,その城の司令官がスウェーデン人であったことを挙げて,近世国家オランダやスウェーデンの人材の多国籍性を論じている。高等教育が整備された近代国家ならいざ知らず,近世においては何かしらの技能に優れた人材が貴重であり,だからこそ各国は引き抜きあった。その中でスウェーデンは大陸から冶金・商工業に優れた人材を取り入れて財政軍事国家を確立し,逆に1650年代の北方戦争に至るまで繰り返された戦争の経験を活かして軍人を他国に輩出している。その一人がゼーランディア城の司令官として鄭成功と戦っていたというのは17世紀のグローバルに違いない。

第9章は日本の鉄砲伝来についての論文。ポルトガル人がなぜ種子島に来航したのか,また1513年にマカオに到達しておきながら日本到達にはそこから約30年もかかってしまったのかという点について,様々な論考を重ねて,中国の海禁に類するものが日本にあると推測されて強く警戒されていた,また中国ではマカオがそうであるように沿岸の島嶼への上陸は海禁が緩かったため日本でも沿岸の島嶼が探されていたためではないかという一定の説得力がある結論を出している。なお,本稿では1542年説を否定していて,その理由もきっちりと説明されている。

第11章はクビライの外交政策についてで,モンゴル帝国の分裂が彼に「敵か味方(形式的服属)か」という二元思考をとらせ,南宋に硫黄という戦略物資を大量に輸出していた日本が「敵」と見なされて元寇につながったという説は知らなかったので驚いた。クビライの遠征は通商関係構築のための服属要求であったとはよく言われているが(そして東南アジアでも概ね敗退している),中でも文永・弘安の役が大規模であった理由としては説得的である。また,東南アジア諸国は戦争後に結局朝貢した国が多いが,日本は国交断絶を続けた。このために日本の商船は元に警戒され,貿易量の増大に反してしばしば締め出しにあったという。これが元の衰退とともに倭寇となっていくというのは自然な流れであり,また倭寇がマージナルな集団だったことはもはや常識であるが,にもかかわらず当時の中国人がそうした集団を「倭」寇とレッテルを貼った背景には,そうした中国に決して朝貢してこない「不臣之国」に対する恐怖感があったという指摘も面白い。本書が「近年の研究では国家間の戦争と民間の貿易とを次元の異なる問題としたり,戦争にもかかわらず交流は盛んだったとして,それらを現代との違いとして強調する上述が目立つが,そのことを過度に強調するのもまた問題である」と指摘しているのは重い。