2022年08月21日

教育関係のニュースへのコメント(情報科目とか総合選抜型入試とか)

・「情報」が国立大入試で必須化、6教科8科目制に 「大学教育を受ける上で必要な基礎能力」(IT MediaNEWS)
→ 情報の教科書は読んだことがあるが,メディアリテラシー,基礎的なネットワーク知識や画像処理等に加えてプログラミングにも触れていて,普通に役立ちそうな知識・理解が多い印象。入試科目として必須にするのもありだと思う。なお,この国立大学協会の発表後に,各国立大学の個別の発表でもやはり採用する発表が次々になされた。
→ 心配なのは,増やすのはいいけど,その分どこかを削ってあげてほしいということだ。受験生の時間的余裕はすでに限界だと思う。ただでさえセンター試験から共通テストに変わって,数学を中心に難易度が上がっている。……というと古典を減らそうという声が聞こえてきそうだが,共通テストはそもそもアラカルト方式なので各大学の判断で古典を採用しないということはすでに可能である。個別の大学の判断としてなら別にそれでもよいと思うが,実際に古典を削る大学はなさそう。個人的な考えとして,理系も文系も理科・地歴公民を1科目に減らすというのは割りと現実的な解決策ではないかと思う。まあ,理系は二次試験で理科二科目課されることが多いので,大した負担減にはならないかもしれないが,それを言うと情報自体が理系の方が親和性が高い科目で文系の方が負担増が大きいとは思うので。
→ あるいは1000点満点を維持しつつ,各科目の難易度を下げるというのもありなのではないか。これはセンター試験に戻して難易度を下げようと言っているのではなくて,共通テストの方向性のまま難易度を下げるのはどの教科・科目もそれほど難しくないと思う。
→ なお,共通テストの情報のサンプル問題はすでに公開されている。興味がある人は解いてみるといい。情報科目については教員不足が懸念されていて,その意味での高校間格差が強くなりそう。同様の問題は地理総合も抱えているので,なんというか高校の管理職級の先生方も大変だなぁと(他人事)。


・共通テスト問題、試験中にSNSで流出か…東大生2人が知らずに解答返信(読売新聞)
→ よりによって世界史B。確かに地歴は東大生なら秒で解ける問題が多くて時間あたりの得点が高いという意味では効果的な教科選択ではあるが,大学入試の試験会場は警戒がけっこう厳重なので,よく撮影・やりとりができたなと思った。
・共通テスト不正に加担させられそうになっていた話(いちむら|note)
→ この手口は読んでいて怖くなった。共通テストは日時がかっちりしすぎているので気づきやすいけど,この人自身が疑っていた予備校の模試や資格試験だと,解くのを依頼される側がここまで疑うのは難しい(※ 現在では消えているが1/27当時の元記事には筆者の方が数学オリンピック予選で同様の手口で不正に加担させられた話も載っていた。数学オリンピック予選はオンラインとのことで,それは尚更不正を疑うのは難しかろう)。共通テストだけの問題ならまだしも世に存在する広範囲の試験で応用が効いてしまう手口なので,けっこう深刻である。依頼される側が疑わしい依頼には乗らないというのを徹底する,斡旋サイト等が注意喚起するというくらいしか対策が思いつかない。Yahoo知恵袋で聞かれていた時代が牧歌的に思える。


・成績が最もいいのはAO入学者 東北大、早稲田大の内部資料で判明(朝日新聞EduA)
→ AO(総合選抜型)入学者の方が大学在学中の成績が良い傾向があるのはけっこう有名な話で,総合選抜型批判は安易にできない。学力が重視されない,文化資本による抜け道という批判がされがちだが,近年は総合選抜型入試でもそれなりに学力も見ているし,まともにやっている入試だと合格するには高い意欲や,それこそ”まっとうな文化資本”が必要なので,大学在学中の成績が良い傾向が出るのは割りと納得する。
→ 個人的な本記事の見どころは一般入試組の成績が振るわない方の分析で,「大学合格が目標になっていて、入学してから伸びしろがない」,つまり入試が過酷すぎる燃え尽き症候群というのは鋭い指摘で,実際にあると思う。特に本記事で挙げられている早稲田大や東北大学といった,総合選抜型の入学者が「抜け道」と(的外れ気味の)批判をされてしまうような大学の一般入試だと余計にそうだろう。
→ それはそれとして,早稲田大理事の「一般入試に問題があれば大ナタを振るわなければいけませんが、大学全体や学部として一般入試を問題視しているという声を聞いたことはありません」という発言は相当にどうかと思う。どう考えても早稲田大の一般入試は問題がありすぎるので,学内でも問題視されていないならその方が問題では。地歴公民によらず,あの出題ミスの量だぞ……大ナタ振るってくれ。
→ ただし,日本の社会風土だと大学の評価は偏差値に拠りがちで,その偏差値は一般入試による評価であることから,現状の社会風土のまま一般入試の定員が減らされて総合選抜型に回されるのは問題がある。一般入試の定員が減ればそれだけ偏差値が上がるので,そこで大学の価値を上げることが可能になってしまう。総合選抜型の入学者が増えれば偏差値社会は脱せられるという主張を見かけることがあるが,そう簡単に変わらず,むしろこの種のマッチポンプに利用される危惧を先にすべきだろう。

この記事へのコメント
入試形式と入学後の成績の相関といえば、国立大は後期入学組が入学時の学力に対して入学後成績や進級率が振るわず、それを嫌がって軒並み後期を廃止したという話を聞いたことがあります。

確かに、ごく一部の大学(それこそ東大くらいか)を除いてほとんどの後期入学組は上位の大学落ちで不本意入学であることを考えるとそれなりに信憑性のありそうな話だと思います。
Posted by みかか at 2022年08月26日 22:58
それも面白い話ですね。総合選抜が思われているよりも好成績なことが意欲に起因するところから推測すると,不本意入学が多いだろうからというのは当たってそうです。
Posted by DG-Law at 2022年08月27日 22:11