2022年09月03日

2022年6-7月に行った美術館・博物館(シダネルとマルタン,板谷波山)

けっこう数をこなしていたのだけど,書きそびれて溜めてしまっていた。

都美のスコットランド国立美術館展。現在は神戸市立美術館で開催している。ルネサンスから印象派まで一通りそろっていて約90点,見応えはそれなりにあったものの,総花的な展覧会はやっぱり余程豪華でないとやや食傷気味であるのを自覚した。総花的な展覧会をやればルーヴル美術館展やメトロポリタン美術館展の方がどうしたって強いのである。個人的にはそこにイギリスらしさあるいはスコットランドらしさが欲しいところで,その意味でプロローグがエディンバラ城を描いた作品が3つほど並んでいたのは好印象だった。またイギリスというくくりで言えばレノルズやゲインズバラ,コンスタブル,ミレイ,ホイッスラーがいたのも良く,その他名前を知らない画家たちの肖像画も上手い。グランド・ツアーということでグアルディの作品もあり,独自性が現れてくるという点で後半の方が面白い展覧会であった。よく知られているように,イギリスは独自の画家が登場するまでが遅い美術後進国であったのだが,18世紀後半にレノルズやゲインズバラが出てきて独自の発展を遂げる。

最後がフレデリック・チャーチだったのは良い意味で予想外だった。 ハドソン・リヴァー派は私自身好きだし日本人受けすると思うのだけど,知名度が低すぎる。商機だと思うので,どこかの美術館には一発企画を立ててほしいところ。(どうでもいいけど,ブログ内検索をしたらハドソン・リヴァー派がめちゃくちゃ表記揺れしていたので統一しておいた。こういうのは意識しないとぶれる。)


もう一つ都美から,ボストン美術館展。ボストン美術館展は2012年の東博でも開催されており,《平治物語絵巻》や《吉備大臣入唐絵巻》といった目玉展示がその時とほぼ完全に重なっていた。10年ぶりだからもう1回見るかと思って見に行ったのだが,意外と自分の脳内に10年前の映像が残っていて,新鮮味があまりなく,ボストン美術館展が悪いわけではないものの,それほど楽しめなかった展覧会だった。これは自分への教訓として書き残しておく。やはり二度目の目玉展示は避けよう。


SOMPO美術館のシダネルとマルタン展。現在は美術館「えき」KYOTOで開催している。図録を見ると日本中に巡回していて,京都の前は鹿児島市立美術館で,また京都の次は三重のパラミタミュージアムに巡回する模様。画風はきっちり日本人の好きな印象派であるのに知名度が低くて巡回させやすいのかもしれない。どちらもファーストネームがアンリというどうでもいい共通点があるが,それ以上にどちらも「最後の印象派」と称される画家である。二人は親交があり,生没年も活躍年代もほぼ全く同じというところまで共通している。なんという仲の良さ。その生没年の通り,1860年頃の生まれであるから,1840年前後の生まれが多い印象派世代よりもちょうど20歳ほど若い。すなわち,彼らが20代の頃にはすでに印象派は華々しく活躍し始めていた。唯一,新印象派のスーラが1859年生まれなのでシダネルやマルタンと同世代であるが,スーラは夭折してしまっているのが惜しい。1940年頃の没で,時代はすでにナビ派・フォーヴィスム・キュビスム・表現主義と進んで現代アートの時代に入っていたが,この二人は延々と印象派であり続けた。

この二人の画家の特徴は分類するなら確かにノーマル印象派としか言いようがない。英語版Wikipedia等を見るとポスト印象派に分類されているが,図録に「シダネルやマルタンは,さらなる造形的な冒険をしたわけではなかった」と書かれているように,ゴッホやセザンヌのような革新を遂げたわけではない。しかし,彼らの作品をよく見ると新印象派やポスト印象派,象徴主義を経験した上で戻ってきたノーマル印象派という総合的な側面がある点で,なるほど「最後の印象派」と評することができよう。しっかりとした筆触分割ではありながらも画面全体の雰囲気には象徴主義的な物寂しさがあり,ゴッホのような強い補色関係も使い,マルタンは部分的に点描を用いたりと,モネやルノワールと比べるとその辺がなんとも新しい。尾形光琳と比べたときの酒井抱一のような垢抜け方がある。貴重なものを見たと思えたし,印象派が好きならマストの展覧会であったと思う。よく似た二人なので差をつけにくいが,しいて言えばマルタンの方が好み。シダネルの方がやや画面が暗く,より象徴主義に近い。マルタンの方が印象派の正統進化という感じはする。




出光美術館の板谷波山展。生誕150周年とのこと。そのため泉屋博古館(京都)しもだて美術館(茨城)でも同様の企画展が立っていて,それぞれ巡回している。作品数が多いため企画を立てやすく,2022年は一年中どこかで板谷波山展がやっているという様相である。なお,板谷波山は現筑西市の生まれで,「波山」の号は筑波山からとられた。また,工房があったのは東京都北区田端であり,若い頃には花見客に当て込んで「飛鳥山焼」と命名した陶器を販売したが,全く売れずに赤字を抱えて「板谷破産」と自虐していたらしい。

板谷波山の陶磁器の特徴は葆光彩磁と呼ばれる独特の様式で,磁器であるのに曇ったような,ざらついたような白さを持つ。ゆえに波山は「葆光」と命名した。出光美術館のキャプションは「マットな質感」と説明していたが,ぐぐってみると葆光彩磁について同様の説明が見られるので,一般的な説明なのだろう。マットとはつや消しの意味なので,ざらついた感じを言い換えるならそういうことになろうか。白磁といえばつるっとした白さだろうという先入観があると,釉薬がかかっていないのではないかと疑うような,強い違和感を覚えるだろう。私もこれまで板谷波山の作品はほとんど見たことがなかったので,今回まとめて実見して,その奇妙な印象がなかなか面白かった。

ところで,「焼き上がった作品が気に入らないと叩き割る」という陶芸家のテンプレイメージは,板谷波山の実際の行動に起因するらしい。しかもそれを直接見て世に伝えた一人が出光佐三とのことで,割られそうになった作品を救出した結果として出光美術館所蔵になった作品もあるとのこと。そういうつながりで出光美術館がこの企画展をやっているというのも面白かったところだった。そういうシーンに立ち会ったら事象失敗作を救出したくなる気持ち,わかる。