2022年10月20日
「正解」に対する権力性において,受験国語は地歴より重いのかもしれない(2022年早稲田大・教育学部国語の問題について)
・入試国語選択問題の「正解」について――早稲田大学教育学部の説明責任/重田園江(SYNODOS)
→ 例の企画をやっている人間として非常に共感する記事。入試の国語は著者が解いても満点にならないことは多々ある。それは,入試問題では抜粋された文章のみを用いて解答を出さねばならないところ,著者は抜粋されていない部分の文章を含めた周辺情報を豊富に持っているので,どうしてもそれらも加味した解答を出してしまうため。また,著者はその分野の専門家であっても受験国語の専門家ではないので,受験国語のお約束を外した解答を出してしまうためである。しかし,本稿をでは著者の重田先生はこれらの点に自覚的で,予備校の解答速報との比較も出しての慎重な検討を行い,これらを克服している。非常に誠実な批判である。だからこそ早稲田大当局の対応の杜撰さが目立つ。
例の企画で散々書いている通り,受験世界史での出題ミスや悪問は,それらが認められず・訂正されずに放置されることで,受験生に誤った歴史理解を促すことになり,また知の権威である大学もまた知的誠実さを欠くことがあるのだという社会に対する極めて悪いメッセージの発信になる。これは国語でも全く同じことで,かくのごとき著者からの批判に回答しないのは,権威の失墜であると同時に,大学教員の国語力の低さをアピールすることになりかねず,引いてはすでに蔓延している受験国語そのものに対する不信感を醸成しかねない。
その意味で本稿の「最後に早稲田大学からの返答の問題点を指摘しておく。」以下の文章には同意しかない。特に以下に引用する文章が大学人の側から出てきたことは大変に嬉しい。大学当局は,こと自学の大学入試においては何が真実であるかを決める圧倒的な権力者であることを自覚してほしい。そして,こうした大学人からの受験国語批判はもっと増えていくべきだろう。
>一問の不正解に泣く受験生の存在は、早稲田大学と同じ大規模私大に勤務する私自身にとっても他人ごとではない。たとえ出題に神経をすり減らす苦労があるとしても、忘れてならないのは、大学内にいる作問者は受験生から見れば圧倒的な権力者であるということだ。どんな問題を出すかも、何を正答とするかも、そして正答に疑義が出された際に説明を行うかどうかも、すべて大学側が一存で決められる仕組みになっている。今回このことを痛感させられた。
→ 例の企画をやっている人間として非常に共感する記事。入試の国語は著者が解いても満点にならないことは多々ある。それは,入試問題では抜粋された文章のみを用いて解答を出さねばならないところ,著者は抜粋されていない部分の文章を含めた周辺情報を豊富に持っているので,どうしてもそれらも加味した解答を出してしまうため。また,著者はその分野の専門家であっても受験国語の専門家ではないので,受験国語のお約束を外した解答を出してしまうためである。しかし,本稿をでは著者の重田先生はこれらの点に自覚的で,予備校の解答速報との比較も出しての慎重な検討を行い,これらを克服している。非常に誠実な批判である。だからこそ早稲田大当局の対応の杜撰さが目立つ。
例の企画で散々書いている通り,受験世界史での出題ミスや悪問は,それらが認められず・訂正されずに放置されることで,受験生に誤った歴史理解を促すことになり,また知の権威である大学もまた知的誠実さを欠くことがあるのだという社会に対する極めて悪いメッセージの発信になる。これは国語でも全く同じことで,かくのごとき著者からの批判に回答しないのは,権威の失墜であると同時に,大学教員の国語力の低さをアピールすることになりかねず,引いてはすでに蔓延している受験国語そのものに対する不信感を醸成しかねない。
その意味で本稿の「最後に早稲田大学からの返答の問題点を指摘しておく。」以下の文章には同意しかない。特に以下に引用する文章が大学人の側から出てきたことは大変に嬉しい。大学当局は,こと自学の大学入試においては何が真実であるかを決める圧倒的な権力者であることを自覚してほしい。そして,こうした大学人からの受験国語批判はもっと増えていくべきだろう。
>一問の不正解に泣く受験生の存在は、早稲田大学と同じ大規模私大に勤務する私自身にとっても他人ごとではない。たとえ出題に神経をすり減らす苦労があるとしても、忘れてならないのは、大学内にいる作問者は受験生から見れば圧倒的な権力者であるということだ。どんな問題を出すかも、何を正答とするかも、そして正答に疑義が出された際に説明を行うかどうかも、すべて大学側が一存で決められる仕組みになっている。今回このことを痛感させられた。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)