2022年11月17日
自分の中学・高校だとブラック校則自体が無かった記憶
・焦点:きょう東証再編、新区分に移行 市場では冷めた声も(ロイター)
→ ひっそりと東証一部が終焉を迎えていたのだが,全く話題にならなかった。実質的な看板の架替であるから市場が反応しないのはわかるのだが,むしろ一般社会が無反応だったのは少し意外であった。おそらくまだ東証一部が現役だと思っている人も多そうで,そのうち昭和生まれいじりのネタになるだろう。東証一部・二部制は1961年の開始らしいので,約61年稼働していたことになる。さすがに歴史がある。
・「下着の色を指定しない」に1年…「校則改革」のコスパが悪すぎる(内田 良)(現代ビジネスFrau)
→ 確かにブラック校則を生徒が自主的に声を上げて改廃させたという話は美談として扱ってしまいがちであるが,言われてみると,そんなことに多くの教師や生徒の時間を費やさせるのはコスパが悪すぎる。「生徒も教師も多大な時間を費やしたうえで、きわめて限定的な小さい自由が認められる。絶望的に不自由な世界のようにも見える。しかもそれが、「生徒主体の見直し」と美談化される。」という指摘が重い。まあ,やっている生徒は案外楽しんでいたりするものではあるが……
・「これが法治国家なのか」 戻らない命、不当逮捕された社長は問う(朝日新聞)
・一点の曇りもないと黙秘をし、身柄拘束され続けた331日間(CALL4)
→ 全然知らなかったが,結構衝撃的な事件。警察・検察は権威のために間違いを認めずに行き着くところまで突っぱねてしまう傾向があり,かつそれを封じ込めるために無理やり自白をとってしまうことが過去には多かったが,そうした傾向が白日の下にさらされてきた近年ではもう守るべき権威はとっくの昔に失墜してしまっているように思う。一昔前と違って今時,日本の司法が無謬であると思っている人はほとんど全くいないだろう。これも含めて,我々が信じてきた古き良き日本の美点だと思っていた部分は,実のところ虚飾だったのだなと思わされることが多い。ともあれ,この事件を主導した検事は,皮肉にもその無謬への信仰ゆえに検察内部の論理で処分され,出世の道が閉ざされるのだろう。
→ こういう事件は途中経過までが大きく報道されて最終的な結末がわからなくなってしまうことが多いので,国家賠償請求訴訟の結果がどうなったのかも大きく報道されてほしい。
・オスマン帝国は「偉大な祖先」か「恥ずべき歴史」か? トルコを二分する歴史認識問題(小笠原弘幸 | 記事 | 新潮社 Foresight)
→ オスマン帝国の扱いについては特に驚きは無いが,ムスタファ・ケマルの扱いはちょっと驚いた。建国の父が建国直後の政策方針ゆえに批判されるという点で想起するのは,やはりインドのガンディーとネルーだろう。独立や建国が困難であったからこそ彼らは神話になってしまっている。建国当時から現在の国民の意志や状況が変わっていれば,冷静に国民がそう認識して議論できれば問題ないのだが,その神話が現在の政治とつながってしまっているから,簡単ではない。ケマルに比べるとガンディーやネルーの方がまだしも神話から解放されているのかもしれないが,現在のヒンドゥー・ナショナリズムの危うさを見ていると,これはこれで健全ではないように思われる。日本でいうとまだ戦前のような「歴史段階」だと言われてしまえばまあそうかもしれないのだが……。
→ ひっそりと東証一部が終焉を迎えていたのだが,全く話題にならなかった。実質的な看板の架替であるから市場が反応しないのはわかるのだが,むしろ一般社会が無反応だったのは少し意外であった。おそらくまだ東証一部が現役だと思っている人も多そうで,そのうち昭和生まれいじりのネタになるだろう。東証一部・二部制は1961年の開始らしいので,約61年稼働していたことになる。さすがに歴史がある。
・「下着の色を指定しない」に1年…「校則改革」のコスパが悪すぎる(内田 良)(現代ビジネスFrau)
→ 確かにブラック校則を生徒が自主的に声を上げて改廃させたという話は美談として扱ってしまいがちであるが,言われてみると,そんなことに多くの教師や生徒の時間を費やさせるのはコスパが悪すぎる。「生徒も教師も多大な時間を費やしたうえで、きわめて限定的な小さい自由が認められる。絶望的に不自由な世界のようにも見える。しかもそれが、「生徒主体の見直し」と美談化される。」という指摘が重い。まあ,やっている生徒は案外楽しんでいたりするものではあるが……
・「これが法治国家なのか」 戻らない命、不当逮捕された社長は問う(朝日新聞)
・一点の曇りもないと黙秘をし、身柄拘束され続けた331日間(CALL4)
→ 全然知らなかったが,結構衝撃的な事件。警察・検察は権威のために間違いを認めずに行き着くところまで突っぱねてしまう傾向があり,かつそれを封じ込めるために無理やり自白をとってしまうことが過去には多かったが,そうした傾向が白日の下にさらされてきた近年ではもう守るべき権威はとっくの昔に失墜してしまっているように思う。一昔前と違って今時,日本の司法が無謬であると思っている人はほとんど全くいないだろう。これも含めて,我々が信じてきた古き良き日本の美点だと思っていた部分は,実のところ虚飾だったのだなと思わされることが多い。ともあれ,この事件を主導した検事は,皮肉にもその無謬への信仰ゆえに検察内部の論理で処分され,出世の道が閉ざされるのだろう。
→ こういう事件は途中経過までが大きく報道されて最終的な結末がわからなくなってしまうことが多いので,国家賠償請求訴訟の結果がどうなったのかも大きく報道されてほしい。
・オスマン帝国は「偉大な祖先」か「恥ずべき歴史」か? トルコを二分する歴史認識問題(小笠原弘幸 | 記事 | 新潮社 Foresight)
→ オスマン帝国の扱いについては特に驚きは無いが,ムスタファ・ケマルの扱いはちょっと驚いた。建国の父が建国直後の政策方針ゆえに批判されるという点で想起するのは,やはりインドのガンディーとネルーだろう。独立や建国が困難であったからこそ彼らは神話になってしまっている。建国当時から現在の国民の意志や状況が変わっていれば,冷静に国民がそう認識して議論できれば問題ないのだが,その神話が現在の政治とつながってしまっているから,簡単ではない。ケマルに比べるとガンディーやネルーの方がまだしも神話から解放されているのかもしれないが,現在のヒンドゥー・ナショナリズムの危うさを見ていると,これはこれで健全ではないように思われる。日本でいうとまだ戦前のような「歴史段階」だと言われてしまえばまあそうかもしれないのだが……。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)