2022年11月04日

2022夏:香川・徳島旅行記

7月頃に香川・徳島に旅行に行っていたが,その報告を書いていなかった。しかも登山を伴わなかったためにTwitterにも書き残していなかったので(そういえば同行者も誰もつぶやいていなかった),簡潔にここにまとめておきたい。

最初に行ったのが屋島。今年の大河ドラマで登場したということと,招待してくれた香川県在住の友人がまだ行ったことがなかったからという理由で選定された。屋島は以前は名前の通りの島であったが,江戸時代に埋め立てられて四国の一部となったとのこと。そういうわけで陸路で行ける。電車とバスを乗り継いでまず到着したのが屋島寺。四国お遍路の八十四番目の札所である。

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正直に言って特に期待はしていなかったのだが,宝物館が意外と豪華であった。有料だが入った方がよい。西日本は適当なお寺に入ると,盛っていない文化財が出てくるから卑怯だ。これが関東だと「その由来本当? 文化財指定されてないじゃん」というものが多いので……。その後は歩いて屋島の山頂付近を散策した。お天気はあいにくの小雨模様であったので眺望は悪かったが,なんとか古戦場跡の一部は見えた。

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屋島は標高こそ300mくらいしかないが,讃岐平野があまりにも低平すぎ,島であるから海に囲まれているため見通しは抜群である。だからこそ平家はここに陣を構えていたということは悪天候でも察せられた。にもかかわらず源氏方は海側からしか来ないという予断があって麓の海側に陣を布いていた平家方も平家方ながら,「干潮なら馬で渡れるはず」と踏んで陸側から奇襲した義経も義経である。そうして古戦場を眺めながら歩いてたどり着いたのが屋嶋城である。

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屋嶋城は白村江の戦いの後に築かれたいわゆる「古代山城(朝鮮式山城)」の一つで,保存状態が非常に良い。しかし,発見が遅すぎた。通常の高校日本史で朝鮮式山城として習うのは大野城や基肄城であって,史書には記録があっても史跡として発掘が進んだのが21世紀に入ってからの屋嶋城はそのラインナップに入れなかった。つまり,「ここはテストに出ない」。入試問題として出たら『絶対に解けない受験日本史』に載ってしまう可能性がある(一応,浜島の資料集には屋嶋城も載っているのを確認した)。それでも香川県としては貴重な史跡であり,観光資源としてアピールしていく考えがあるようで,復元された石垣はよく整備されていた。往時を思わせるには十分である。屋島観光後は少し時間が余ったので約13年ぶりに栗林公園に行った。ところで「どうだ明るくなったろう」の絵を描いた画家である和田邦坊が香川県出身で,そのグッズが栗林公園で売られていた。面白いので香川県はもっと宣伝した方がいい。お夕飯を食べて,ビジネスホテル泊となった。お夕飯で鱧が異常に安い値段で出てきて驚いた。実は二日目の夜でも鱧が出てきたのだが,香川県は鱧が名産なのだろうか。そう思って調べてみたら,生産量トップは兵庫県でそのほとんどは淡路島,2位が大分で3位が徳島とのこと。香川県は1位と3位に挟まれている。


二日目は朝一で高松城(玉藻城)へ。ここも二度目といえば二度目なのだが,約13年前に来た時は素通りに近かったのに対し,今回はガイドのお爺さんに連れられてみっちりと観光した。ガイドさんの案内があったということもあるが,そもそも約13年前よりもよく整備されたように思う。約13年前はまだ「うどん県」とか言い出す前だから,まだ観光に目が向いていなかったのだろう。現在はさらなる整備を目指しているが,予算不足で進まないことをガイドさんが嘆いていた。

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高松城は海に面した城で,堀を満たしているのが海水という点が特徴的である。それゆえに公園内は潮の匂いが濃く,堀で泳いでいるのは鯉ではなく鯛で,「鯉の餌やり」ならぬ「鯛の餌やり」が名物となっている。遺構のいくつかは重要文化財指定されているが,大半が破却されているのが惜しい。城を離れた後は隣の県立博物館へ。香川県の歴史がよく説明されていたのと,空海への愛が強かったことが印象に残った。四国が誇る大スターなので仕方がない。昼飯は私のたっての希望で讃岐うどんとなった。というのも一昨年に四国剣山に登った時には讃岐うどんを食べそこねた(正確に言えば丸亀うどんは食べた)からである。Googlemapで適当に調べてそこそこ評価が高い店に入ったが,コシの強いちゃんとした讃岐うどんが食べられて良かった。ところで,そのお店の「讃岐うどん えん家」は店先に店主が描いたアニメキャラが展示してあって,それがなかなか上手くて良かった。待っている客を飽きさせないように描き始めたのが由来だそうだ。

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二日目の午後は五色台へ。五色台は名前の通り紅ノ峰・黄ノ峰・青峰・黒峰・白峰山という5つの峰を抱える山塊で,縄文時代に石器として用いられたことで有名なサヌカイトはこの五色台が産地であった。サヌカイトは五色台や奈良の二上山から産出されて広く流通し,縄文時代にも大規模な交易が存在していたことを示している。しかし,サヌカイトは観光資源と見なされていないためか,現在では全く宣伝されておらず,五色台の観光資源はもっぱら森と眺望である。かく言う我々も目的の一つは眺望であった。

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言うだけのことはあって瀬戸内海が美しい。奥に見えるのは瀬戸大橋か。さて,五色台に行ったもう一つの目的が,四国お遍路の八十一番目の札所,白峯寺である。白峯寺は保元の乱に敗れて讃岐流罪となり,現地で亡くなった崇徳上皇を祀った御陵がある寺院である。日本最大の怨霊の一人がどう祀られているか,参拝しに行こうという話になったのであった。白峯寺から少し離れた場所にあって10分少々ながらアップダウンの続く山道を歩く。白峯寺内に遥拝所もあったので,足に自信がない人はそちらで参拝を済ませるとよいだろう。

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行ってみるとまずまず立派であった。過去に行った藤原道長の墓と比べると大事に祀られている。これならば祟られることもあるまい。なお,白峯寺自体もかなり立派な寺院で,本堂等は重要文化財であった。さすがは四国,このレベルの寺院がゴロゴロしている。そうして御陵とお寺に参拝した後は一気に徳島に移動。この日は珍しくも予約しておいた和食のお店に行ったが,またしても鱧が登場した。場所が徳島であるので香川よりは納得できるものの,こうもぽんぽんと鱧が出てくると京都で食べてもありがたみがなくなる。鱧を食べるなら京都よりも四国かもしれない。

起床しての三日目は大塚国際美術館。ここも約13年ぶりの再訪だが,前回は半分くらいしか見られなかったので,良いリベンジの機会であった。今回はやや駆け足ながら完全踏破に成功したので満足である。一方で,そのために同行者たちに再三「そのペースで見ていたら丸2日要るで」と言って急かしてしまった感もある。まあ,物足りなかったら後は個別で2回目に行ってほしい。それでも感動はしてもらえたようで,「これからは登山の時にもっとポカリとカロリーメイト持っていくわ」と言ってもらえたのは嬉しかった。最後に約13年前に行ったときに撮り忘れた重要な絵画と,約13年前に行った時にはまだ存在していなかったものを貼っておこう。

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そうして三日目も終わり,あとは一路鳴門大橋から四国を脱出して東へ東へ向かい,なんとか日付が変わる前に東京にたどり着いた。いろいろと約13年前の忘れ物を取りに行った感がある旅行であったが,その意味で再訪したいと思っている高知と宇和島を取り逃している。四国は(今度は太平洋側を目的に)もう一度くらい上陸したいところ。