2022年11月18日
タブ100個開きっぱなしはさすがに想像してなかった
・料理のおにいさん・リュウジ氏が嘆く「焼肉店でバイトの人が怒られてる現場に居合わせて肉の味を覚えてない」(Togetter)
→ わかる。人前で恥をかかせないと人間は成長しないという思想が世の中にはあるらしく,わざと人前で叱責する人種がいるが,飲食店でやられると飯がまずくなるのでやめてほしい。そもそもその思想自体に全く賛同できない。怒りで(それもビジネスな関係の)他人をコントロールすべきではない。百歩譲っても,顧客満足度より優先させることではない。 店側の人間に怒られている現場を見ている客は味がしなくなっている感覚が共有されていないのだろうから,客が「飯がまずくなるからやめてくれ」と言うべきなのかもしれないが,それこそ『孤独のグルメ』のように客側に怒りが回ってくる可能性もあるのでおいそれとは言えない。多くの人は井之頭五郎のように腕に自信があるわけではない。
→ もっとも,店の側ではどうしようもない事情で飯がまずくなったこともある。某ラーメン屋でラーメンをすすっていた時,客同士で仕事上の叱責が始まった時はマジでさっさと食って出ていくこと以外考えられなくなった。叱っていた側のガラがあまりにも悪く,全く無関係の第三者ながらけっこう怖かった。深夜帯ではあれ,普段は治安が良い店であんな光景を目にすることになるとは思わなかった。店が間に入って止めることもできなかったであろう。
→ はてブ等の反応を見ていると類例で「客同士が宗教やマルチの勧誘をしていると味がわからなくなる」という感想も見られたが,自分はそこは平気だった。勧誘されている方が不憫だとは思うが,怒気は本人にその気がなくても360度振りまかれているのに対し,勧誘は目の前の相手以外には言葉に感情が乗っていないように感じられるから,というのが自分なりに考える差分なのだが,皆様はどうだろうか。
・webブラウザのタブをたくさん開いたままにしてしまうのはブックマークの利便性が追い付いてないからでは?という話に集まるあるあるの声と便利情報(Togetter)
→ わかるぞ,スマホだと常に10個くらい開きっぱなしになるよなと思ってTogetter開いたらそういうレベルじゃなかった。主題についてはタイトルの通りだと思う。Togetter内にある通り,PCやタブレットはブックマークや履歴を開きやすい・検索しやすいのに対して,スマホのブラウザの画面だと常に使うページは開きっぱなしにしておいた方が見やすい。ブックマークをタブと同様に使えるかそうでないかの違いとも言える。画面の大きさの問題だと思うので,根本的には解決しないと思われる。最近だとChromeはスマホとPCでブックマークを共有しているので,ますますスマホの方にブックマークを作る意味が無くなってしまった。
・全卓樹「ピーター・ターチンの数理的歴史学」――『不和の時代(仮)』(ピーター・ターチン著、青野浩ほか訳、今秋刊行予定)に寄せて(晶文社|note)
→ まだ全然読んだり調べたりしていないが,ピーター・ターチンの「エリートの過剰生産度」という概念は興味深いと思っている。普遍性の高そうなビッグ・ヒストリーの概念が来たなという感覚はある。買って積むリストに入れておこうか……と思ってからはや半年,今秋刊行予定の秋になってしまった。どうせ買ってもすぐには読まないから別にいいのだが,先に『国家興亡の方程式』 を読むべきなのだろうかとも考え始めた。日本の歴史学界隈の,あるいは市井の歴史好きの界隈的には,ターチンの評価ってどうなんでしょうかね。そもそも後者にはまだ全然知られていない?
・「最終戦争を戦った仲間たち、前世の記憶がよみがえったら連絡ください」 “転生戦士”があふれかえった80年代の日本(文春オンライン)
→ おっさんエロゲーマーとしては『終ノ空』を思い出す話であり,1980年代のこうしたブームを下敷きに書かれたのが1999年の『終ノ空』なのだろう。それが『素晴らしき日々』という形で2010年まで引っ張られることになろうとは,当時のSCA自氏も思っていなかっただろうが。もっとも,おっさんエロゲーマーと言っておいてなんだが,私にとっては1980年代の出来事は完全に歴史上の出来事であり,『終ノ空』の前史としてこういう出来事があったんだな以上の感慨は無い。
→ 現代の転生物にこうした悲壮感はないという指摘はおっしゃる通りで,邪気眼も30年経って形が変わった,ないし現代の転生物はそもそも邪気眼ジャンルではないということなのだろう。
→ わかる。人前で恥をかかせないと人間は成長しないという思想が世の中にはあるらしく,わざと人前で叱責する人種がいるが,飲食店でやられると飯がまずくなるのでやめてほしい。そもそもその思想自体に全く賛同できない。怒りで(それもビジネスな関係の)他人をコントロールすべきではない。百歩譲っても,顧客満足度より優先させることではない。 店側の人間に怒られている現場を見ている客は味がしなくなっている感覚が共有されていないのだろうから,客が「飯がまずくなるからやめてくれ」と言うべきなのかもしれないが,それこそ『孤独のグルメ』のように客側に怒りが回ってくる可能性もあるのでおいそれとは言えない。多くの人は井之頭五郎のように腕に自信があるわけではない。
→ もっとも,店の側ではどうしようもない事情で飯がまずくなったこともある。某ラーメン屋でラーメンをすすっていた時,客同士で仕事上の叱責が始まった時はマジでさっさと食って出ていくこと以外考えられなくなった。叱っていた側のガラがあまりにも悪く,全く無関係の第三者ながらけっこう怖かった。深夜帯ではあれ,普段は治安が良い店であんな光景を目にすることになるとは思わなかった。店が間に入って止めることもできなかったであろう。
→ はてブ等の反応を見ていると類例で「客同士が宗教やマルチの勧誘をしていると味がわからなくなる」という感想も見られたが,自分はそこは平気だった。勧誘されている方が不憫だとは思うが,怒気は本人にその気がなくても360度振りまかれているのに対し,勧誘は目の前の相手以外には言葉に感情が乗っていないように感じられるから,というのが自分なりに考える差分なのだが,皆様はどうだろうか。
・webブラウザのタブをたくさん開いたままにしてしまうのはブックマークの利便性が追い付いてないからでは?という話に集まるあるあるの声と便利情報(Togetter)
→ わかるぞ,スマホだと常に10個くらい開きっぱなしになるよなと思ってTogetter開いたらそういうレベルじゃなかった。主題についてはタイトルの通りだと思う。Togetter内にある通り,PCやタブレットはブックマークや履歴を開きやすい・検索しやすいのに対して,スマホのブラウザの画面だと常に使うページは開きっぱなしにしておいた方が見やすい。ブックマークをタブと同様に使えるかそうでないかの違いとも言える。画面の大きさの問題だと思うので,根本的には解決しないと思われる。最近だとChromeはスマホとPCでブックマークを共有しているので,ますますスマホの方にブックマークを作る意味が無くなってしまった。
・全卓樹「ピーター・ターチンの数理的歴史学」――『不和の時代(仮)』(ピーター・ターチン著、青野浩ほか訳、今秋刊行予定)に寄せて(晶文社|note)
→ まだ全然読んだり調べたりしていないが,ピーター・ターチンの「エリートの過剰生産度」という概念は興味深いと思っている。普遍性の高そうなビッグ・ヒストリーの概念が来たなという感覚はある。買って積むリストに入れておこうか……と思ってからはや半年,今秋刊行予定の秋になってしまった。どうせ買ってもすぐには読まないから別にいいのだが,先に『国家興亡の方程式』 を読むべきなのだろうかとも考え始めた。日本の歴史学界隈の,あるいは市井の歴史好きの界隈的には,ターチンの評価ってどうなんでしょうかね。そもそも後者にはまだ全然知られていない?
・「最終戦争を戦った仲間たち、前世の記憶がよみがえったら連絡ください」 “転生戦士”があふれかえった80年代の日本(文春オンライン)
→ おっさんエロゲーマーとしては『終ノ空』を思い出す話であり,1980年代のこうしたブームを下敷きに書かれたのが1999年の『終ノ空』なのだろう。それが『素晴らしき日々』という形で2010年まで引っ張られることになろうとは,当時のSCA自氏も思っていなかっただろうが。もっとも,おっさんエロゲーマーと言っておいてなんだが,私にとっては1980年代の出来事は完全に歴史上の出来事であり,『終ノ空』の前史としてこういう出来事があったんだな以上の感慨は無い。
→ 現代の転生物にこうした悲壮感はないという指摘はおっしゃる通りで,邪気眼も30年経って形が変わった,ないし現代の転生物はそもそも邪気眼ジャンルではないということなのだろう。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)