2023年02月12日
高校世界史における「古代」と「中世」の切れ目はいつか
久々の高校世界史深掘りシリーズ。時代の区分はそれを定めた人の歴史観が現れるところであり,好きに定めてくれればよいし,便宜的なものだから不要なら決めてくれなくていいものである。とはいえ設定してくれた方が教育や議論の上で便利なのは,高校世界史でも同じである。教育指導要領では,中世と近世の切れ目と,近世と近代の切れ目が定められている。中世と近世の切れ目は,東アジアは明の成立(1368年),東南アジアは15世紀,南アジア(インド)はムガル帝国の成立(1526年),西アジアと中央アジアはティムール朝とオスマン帝国の成立(1370年・1300年頃),ヨーロッパは15世紀(象徴的な年号で言えば1453年だがバラ戦争は中世で扱う)である。一見すると法則性が無いように見えるが,どの地域もモンゴル帝国の解体と大航海時代(大交易時代)の始まりの影響という共通点があり,異論が出にくい切り方だろう。近世と近代の切れ目は,欧米が産業革命とアメリカ独立で,その他の地域はいずれも「西洋の衝撃」が始まった時期であるから,こちらもわかりやすく異論はまず出ない。
これに対して,古代と中世の切れ目は教育指導要領が定めていない。結果的に,実は教科書ごとに切れ目に多様性があり,教科書執筆者の歴史観がよく現れる部分になっている。また,南アジアや東南アジアのように切れ目がわかりにくい(設定の必要が薄いとも言える)地域は,教育指導要領に従って中世という時代区分を設定していない教科書もある。これはこれで面白い現象だろう。以下,各教科書の定める切れ目を見ていく。検討するのはいつもの5冊である。なお,山川『用語集』と『詳説世界史研究』は,山川『詳説世界史』に完全に沿っているので今回は検証の意味がない。色分けは多数派意見を赤字に,珍しい意見を青色・緑色にした。
【ヨーロッパ&地中海】
・山川『詳説世界史』:476年(375年)
・山川『新世界史』:476年
・東京書籍:476年/610年頃
・実教出版:476年(375年)
・帝国書院:476年(375年)
オーソドックスなのは476年(375年)である。古代史の章ではゲルマン人の大移動は存在と西ローマ帝国の滅亡の要因の一つであることだけを教えて,各ゲルマン系民族の定住地は中世初期で扱っている。ゲルマン人の大移動はその後のフランク王国の伸長にかかわるので,古代史の中で定住先まで扱うと,読者が理解しづらくなってしまう。教育上の措置としてこうした切り分けになっていると思われる。その結果,375〜476年の100年間が宙に浮いてしまうが,これがどちらに入るかというのは些末な議論であり無意味だろう。
山川の『新世界史』はほぼ同じであるが,ゲルマン人の大移動を全て古代に入れて,この100年間が宙に浮く現象を避けている。山川『新世界史』は時代区分論に明確な意識があり,教科書の本文で古代・中世・近世・近代・現代を定義し,それに沿った章立てをとっている唯一の教科書である。このため,杓子定規な切り方になったのだろう。東京書籍も西欧については同様の処理をしている。
さて東京書籍は,ユスティニアヌス帝時代のビザンツ帝国を古代史に入れている。ピレンヌ=テーゼに則って古代地中海世界の解体が中世の始まりであると考えるなら東京書籍の主張は正しく,この構成はイスラーム教の勃興という大事件を読者に印象づけやすい。またビザンツ帝国史だけで考えてもユスティニアヌス帝とヘラクレイオス1世の間の変貌も捉えやすいから利点はある。弱点は前述の通り,古代史の範疇でゲルマン人の大移動を扱い,間に他地域の古代史を挟むため,中世ヨーロッパ史の冒頭で読者が「西ゴート王国ってなんだっけ???」になりがちであること。また西欧との進度の差が130年くらい開くので何となく気持ち悪い。
【中東】
・全教科書:610年頃
610年頃はイスラーム教の成立した時期である。高校世界史はイスラーム教勃興をもって中東の中世の始まりと見なしていて,これは異論が存在しない。ここまで綺麗に一致している切れ目は他にない。また,この章を中世全体の冒頭に置いている教科書が多く,世界史全体としてもイスラーム教の勃興が中世の幕開けというのが共通見解とさえ言えそうだ。
【東アジア】
・山川『詳説世界史』:960年(907年)
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:907年
・実教出版:907年
・帝国書院:220年? 907年? 1276年?
907年は唐の滅亡年である。つまり多くの教科書は唐の滅亡をもって古代が終焉したと見なしていて,これには私も異論が無い。しかし,その中で山川『詳説世界史』だけが五代十国を古代史に入れている。にもかかわらず契丹を中世東アジアの冒頭に入れているので,後晋の名前は古代史で登場するのに燕雲十六州は中世史で出てくるという不思議なことが起きてしまう。理由は学術的・教育的観点から考えても思いつかず,ひょっとして単純な紙幅の都合ではないかと疑っている。
『新世界史』は異端児で,東アジアでは後漢末までが古代ということは宮崎市定説をとっているのかなと思われた読者もいるかもしれないが,実は宋・元まで中世に入れているのでそういうわけでもない。これは『新世界史』が古代を「文明の揺籃から古代帝国」の時代,中世は混乱と遊牧民の活動による「人びとの大規模移動」の時代と定義しているためである。とすると後漢末の群雄割拠から元末までを中世でくくるのは斬新ながら理に適っている。ただ,この構成だと中国史の中世が長くなりすぎ,他の時代と比較した際のバランスは悪い。
どっちつかずなのが帝国書院で,この教科書は東アジアにおける古代・中世の切れ目を明確にしておらず,後漢末〜南宋をどちらに入れているのかが不明瞭になっている。他の地域は割と明瞭に区切っているので,意図的にこの期間を宙に浮かせているのかもしれない。1276年まで引っ張っているとするとこれは豪快な構成で,中国の中世は100年にも満たない元朝のみということになる。
【中央アジア(中央ユーラシア)】
・山川『詳説世界史』:840年
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:1038年
・実教出版:840年
・帝国書院:840年
マジョリティの840年はウイグル帝国の滅亡であり,これを契機にトルコ系の西走が本格化する。同時期にはちょうど西からイスラーム教の浸透が始まっており,確かにトルコ化とイスラーム化をもって中央アジアの中世とするのがわかりやすい(トルコ化もイスラーム化も数百年かかった現象であり,それらの進行自体が中央アジアの中世と言える)。また840年というと唐の末期であり,唐の衰退・滅亡は朝鮮半島やベトナムの王朝交代,日本の遣唐使停止といったように他地域に強く影響を及ぼした。ウイグル帝国の滅亡もその先駆けと捉えると,隣接地域との関連性も見えやすい。
山川『新世界史』は東アジアと完全に同期させていて,理由も東アジアに書いた通りである。他の教科書よりも隔絶して早いが,理由がわかれば違和感はない。
東京書籍はなんとセルジューク朝の成立まで古代を引っ張っている。これは極めて特徴的な構成で,イスラーム教の勃興を古代史に入れない原則の数少ない例外である。この構成は完全に謎で,メリットも思いつかない。
【南アジア(インド)】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・山川『新世界史』:550年頃(グプタ朝の滅亡)
・東京書籍:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・実教出版:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・帝国書院:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
まず,南アジアの古代・中世とはというところから書かなければならないだろう。学術領域では意外とちゃんと共通見解があるようで,グプタ朝の滅亡(550年頃)またはヴァルダナ朝の滅亡(647年)をもって中世に入るとするのが一般的なようだ。たとえば,最近出た『岩波講座 世界歴史 04 南アジアと東南アジア 〜15世紀』も,やはりヴァルダナ朝滅亡をもって中世と見なしている(p.22等)。私の意見もこれと一致する。ヴァルダナ朝滅亡後に,北インドは群雄割拠のラージプート時代に入る。グプタ朝末期の頃から遊牧民の侵入があって,土地を媒介にした政治・社会制度が生まれて小領主が乱立し,商工業や貨幣経済が衰退しているから,いろいろと他地域の中世に近い。中世の後半からイスラーム系王朝の進出が始まり,ムガル帝国の成立をもって近世に入る。南インドはやや事情が異なるものの,同時期から海上交易の相手がムスリム商人に変わっていくことをもって,同時期を区切りとしてよいだろう。
そこからすると,多くの高校世界史の教科書がとっている10〜11世紀頃は不自然な切れ目のように見える。しかし,これは実際に本文を読んでみると謎が解ける。実は各教科書とも,グプタ朝滅亡またはヴァルダナ朝滅亡をもって時代が大きく変わったことを明確に記述している。だが,そこで章を区切っていないのだ。では古代の章に中世の説明を入れ込んでしまっているのはなぜか。その理由も読んでみると明白で,高校世界史上の中世のインド史はイスラーム教の進出というトピック以外はほとんど説明すべきことがなく,独立した章立てをする分量がない。ラージプート時代・バクティ運動・チョーラ朝の名前を出してほぼ終わりである。こうした事情から中世のインド史を二分割し,ヒンドゥー教・仏教の話題は古代南アジア史の章で消化,イスラーム教の進出は中世の中東の章に記述するという苦肉の策をとっているのではないだろうか。結果的に,中世の南アジア史で独立した章を置いている教科書は『新世界史』しかない。
【東南アジア】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
・山川『新世界史』:6世紀
・東京書籍:9世紀
・実教出版:9世紀
・帝国書院:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
東南アジアも南アジアと同様に,教科書上の切れ目が不明瞭である。しかし南アジアと違うのは,そもそも古代と中世の区分にあまり意味が無く,不要と言ってもいいことだろう。入試問題でも「中世の東南アジア」というような言い回しはめったに見ない。さらに言えば,大陸部と島嶼部で時代の大きな変わり目,画期が異なるので,東南アジアという単位で切れ目を作るのが難しいという事情もありそうだ。明確な切れ目がないということは,逆に言えばそこに教科書執筆者の歴史観が現れやすいということで,細かく見ていくとなかなか面白い。
専門家の見解はどうだろうと探してみると,たとえば2021年に出た岩波新書『東南アジア史10講』は第2講の章題を「中世国家の展開 10〜14世紀」としている(目次を参照のこと)。とすると古代史は9世紀までということになるが,これは東京書籍と実教出版が同じ見解である。確かに9世紀と10世紀は島嶼部の覇者シュリーヴィジャヤとシャイレンドラ朝が衰退し,三仏斉とクディリ朝が成立する。海上交易でも中国の民間商人が来航するようになって朝貢貿易と並立するようになるという大きな変化がある。大陸部は9世紀までの範囲だとまだほとんど語ることがなく,実質的な語りはアンコール朝・李朝・パガン朝が出そろう10世紀からと踏ん切りをつけやすい。
山川『詳説世界史』と帝国書院の13〜14世紀は,島嶼部のイスラーム化が始まる頃で,ここでもイスラーム教の勃興・浸透がその地域の中世の始まりという思想が貫徹している。しかし,この切り方は弊害も大きい。上述の通り東南アジアの近世は15世紀から始まるから,中世はほぼ存在しないということになってしまう。実際に山川『詳説世界史』を読むと,マラッカ王国の改宗が中世の中東の章で一瞬だけ出てきて終わる。南アジア史と同様,当然東南アジアの独立した章立ては無い。
『新世界史』の6世紀は,7世紀のマラッカ海峡の開通をもって中世に入ったと見なしているためである。『新世界史』は東アジアの切れ目を220年とかなり早く置いているので,それに合わせて早めに切りたかったという背景もありそうだ。結果として扶南とチャンパーしか登場する王朝がなく,1ページ未満という極めて小さな節で終わっているが,潔さはある。
【まとめと感想】
メジャーな構成をとっているのは山川『詳説世界史』と実教出版と帝国書院だが,『詳説世界史』と帝国書院は東アジア史をなんとかしてほしい。また両教科書とも東南アジア史の引っ張りすぎがちょっと気になる。実教出版の教科書はこれらの欠点も無く,よくまとまっている。
山川『新世界史』は時代区分に最も強い意識がある分,意識が強すぎて特殊性が高い区切り方になった。しかし,理解できる理屈をちゃんと立てている点と,南アジアをきっちりとグプタ朝の滅亡で区切った点は評価したい。
東京書籍はビザンツ帝国の置き方が特徴的で,実はルネサンスを中世末に置いている唯一の教科書でもある。執筆者によほどヨーロッパ史の時代区分にこだわりがある人がいそう。しかし,イスラーム教を古代史で扱わないという禁を破ってまで中央アジアを11世紀まで引っ張っているのがあまりにも不可解である。
これに対して,古代と中世の切れ目は教育指導要領が定めていない。結果的に,実は教科書ごとに切れ目に多様性があり,教科書執筆者の歴史観がよく現れる部分になっている。また,南アジアや東南アジアのように切れ目がわかりにくい(設定の必要が薄いとも言える)地域は,教育指導要領に従って中世という時代区分を設定していない教科書もある。これはこれで面白い現象だろう。以下,各教科書の定める切れ目を見ていく。検討するのはいつもの5冊である。なお,山川『用語集』と『詳説世界史研究』は,山川『詳説世界史』に完全に沿っているので今回は検証の意味がない。色分けは多数派意見を赤字に,珍しい意見を青色・緑色にした。
【ヨーロッパ&地中海】
・山川『詳説世界史』:476年(375年)
・山川『新世界史』:476年
・東京書籍:476年/610年頃
・実教出版:476年(375年)
・帝国書院:476年(375年)
オーソドックスなのは476年(375年)である。古代史の章ではゲルマン人の大移動は存在と西ローマ帝国の滅亡の要因の一つであることだけを教えて,各ゲルマン系民族の定住地は中世初期で扱っている。ゲルマン人の大移動はその後のフランク王国の伸長にかかわるので,古代史の中で定住先まで扱うと,読者が理解しづらくなってしまう。教育上の措置としてこうした切り分けになっていると思われる。その結果,375〜476年の100年間が宙に浮いてしまうが,これがどちらに入るかというのは些末な議論であり無意味だろう。
山川の『新世界史』はほぼ同じであるが,ゲルマン人の大移動を全て古代に入れて,この100年間が宙に浮く現象を避けている。山川『新世界史』は時代区分論に明確な意識があり,教科書の本文で古代・中世・近世・近代・現代を定義し,それに沿った章立てをとっている唯一の教科書である。このため,杓子定規な切り方になったのだろう。東京書籍も西欧については同様の処理をしている。
さて東京書籍は,ユスティニアヌス帝時代のビザンツ帝国を古代史に入れている。ピレンヌ=テーゼに則って古代地中海世界の解体が中世の始まりであると考えるなら東京書籍の主張は正しく,この構成はイスラーム教の勃興という大事件を読者に印象づけやすい。またビザンツ帝国史だけで考えてもユスティニアヌス帝とヘラクレイオス1世の間の変貌も捉えやすいから利点はある。弱点は前述の通り,古代史の範疇でゲルマン人の大移動を扱い,間に他地域の古代史を挟むため,中世ヨーロッパ史の冒頭で読者が「西ゴート王国ってなんだっけ???」になりがちであること。また西欧との進度の差が130年くらい開くので何となく気持ち悪い。
【中東】
・全教科書:610年頃
610年頃はイスラーム教の成立した時期である。高校世界史はイスラーム教勃興をもって中東の中世の始まりと見なしていて,これは異論が存在しない。ここまで綺麗に一致している切れ目は他にない。また,この章を中世全体の冒頭に置いている教科書が多く,世界史全体としてもイスラーム教の勃興が中世の幕開けというのが共通見解とさえ言えそうだ。
【東アジア】
・山川『詳説世界史』:960年(907年)
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:907年
・実教出版:907年
・帝国書院:220年? 907年? 1276年?
907年は唐の滅亡年である。つまり多くの教科書は唐の滅亡をもって古代が終焉したと見なしていて,これには私も異論が無い。しかし,その中で山川『詳説世界史』だけが五代十国を古代史に入れている。にもかかわらず契丹を中世東アジアの冒頭に入れているので,後晋の名前は古代史で登場するのに燕雲十六州は中世史で出てくるという不思議なことが起きてしまう。理由は学術的・教育的観点から考えても思いつかず,ひょっとして単純な紙幅の都合ではないかと疑っている。
『新世界史』は異端児で,東アジアでは後漢末までが古代ということは宮崎市定説をとっているのかなと思われた読者もいるかもしれないが,実は宋・元まで中世に入れているのでそういうわけでもない。これは『新世界史』が古代を「文明の揺籃から古代帝国」の時代,中世は混乱と遊牧民の活動による「人びとの大規模移動」の時代と定義しているためである。とすると後漢末の群雄割拠から元末までを中世でくくるのは斬新ながら理に適っている。ただ,この構成だと中国史の中世が長くなりすぎ,他の時代と比較した際のバランスは悪い。
どっちつかずなのが帝国書院で,この教科書は東アジアにおける古代・中世の切れ目を明確にしておらず,後漢末〜南宋をどちらに入れているのかが不明瞭になっている。他の地域は割と明瞭に区切っているので,意図的にこの期間を宙に浮かせているのかもしれない。1276年まで引っ張っているとするとこれは豪快な構成で,中国の中世は100年にも満たない元朝のみということになる。
【中央アジア(中央ユーラシア)】
・山川『詳説世界史』:840年
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:1038年
・実教出版:840年
・帝国書院:840年
マジョリティの840年はウイグル帝国の滅亡であり,これを契機にトルコ系の西走が本格化する。同時期にはちょうど西からイスラーム教の浸透が始まっており,確かにトルコ化とイスラーム化をもって中央アジアの中世とするのがわかりやすい(トルコ化もイスラーム化も数百年かかった現象であり,それらの進行自体が中央アジアの中世と言える)。また840年というと唐の末期であり,唐の衰退・滅亡は朝鮮半島やベトナムの王朝交代,日本の遣唐使停止といったように他地域に強く影響を及ぼした。ウイグル帝国の滅亡もその先駆けと捉えると,隣接地域との関連性も見えやすい。
山川『新世界史』は東アジアと完全に同期させていて,理由も東アジアに書いた通りである。他の教科書よりも隔絶して早いが,理由がわかれば違和感はない。
東京書籍はなんとセルジューク朝の成立まで古代を引っ張っている。これは極めて特徴的な構成で,イスラーム教の勃興を古代史に入れない原則の数少ない例外である。この構成は完全に謎で,メリットも思いつかない。
【南アジア(インド)】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・山川『新世界史』:550年頃(グプタ朝の滅亡)
・東京書籍:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・実教出版:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・帝国書院:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
まず,南アジアの古代・中世とはというところから書かなければならないだろう。学術領域では意外とちゃんと共通見解があるようで,グプタ朝の滅亡(550年頃)またはヴァルダナ朝の滅亡(647年)をもって中世に入るとするのが一般的なようだ。たとえば,最近出た『岩波講座 世界歴史 04 南アジアと東南アジア 〜15世紀』も,やはりヴァルダナ朝滅亡をもって中世と見なしている(p.22等)。私の意見もこれと一致する。ヴァルダナ朝滅亡後に,北インドは群雄割拠のラージプート時代に入る。グプタ朝末期の頃から遊牧民の侵入があって,土地を媒介にした政治・社会制度が生まれて小領主が乱立し,商工業や貨幣経済が衰退しているから,いろいろと他地域の中世に近い。中世の後半からイスラーム系王朝の進出が始まり,ムガル帝国の成立をもって近世に入る。南インドはやや事情が異なるものの,同時期から海上交易の相手がムスリム商人に変わっていくことをもって,同時期を区切りとしてよいだろう。
そこからすると,多くの高校世界史の教科書がとっている10〜11世紀頃は不自然な切れ目のように見える。しかし,これは実際に本文を読んでみると謎が解ける。実は各教科書とも,グプタ朝滅亡またはヴァルダナ朝滅亡をもって時代が大きく変わったことを明確に記述している。だが,そこで章を区切っていないのだ。では古代の章に中世の説明を入れ込んでしまっているのはなぜか。その理由も読んでみると明白で,高校世界史上の中世のインド史はイスラーム教の進出というトピック以外はほとんど説明すべきことがなく,独立した章立てをする分量がない。ラージプート時代・バクティ運動・チョーラ朝の名前を出してほぼ終わりである。こうした事情から中世のインド史を二分割し,ヒンドゥー教・仏教の話題は古代南アジア史の章で消化,イスラーム教の進出は中世の中東の章に記述するという苦肉の策をとっているのではないだろうか。結果的に,中世の南アジア史で独立した章を置いている教科書は『新世界史』しかない。
【東南アジア】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
・山川『新世界史』:6世紀
・東京書籍:9世紀
・実教出版:9世紀
・帝国書院:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
東南アジアも南アジアと同様に,教科書上の切れ目が不明瞭である。しかし南アジアと違うのは,そもそも古代と中世の区分にあまり意味が無く,不要と言ってもいいことだろう。入試問題でも「中世の東南アジア」というような言い回しはめったに見ない。さらに言えば,大陸部と島嶼部で時代の大きな変わり目,画期が異なるので,東南アジアという単位で切れ目を作るのが難しいという事情もありそうだ。明確な切れ目がないということは,逆に言えばそこに教科書執筆者の歴史観が現れやすいということで,細かく見ていくとなかなか面白い。
専門家の見解はどうだろうと探してみると,たとえば2021年に出た岩波新書『東南アジア史10講』は第2講の章題を「中世国家の展開 10〜14世紀」としている(目次を参照のこと)。とすると古代史は9世紀までということになるが,これは東京書籍と実教出版が同じ見解である。確かに9世紀と10世紀は島嶼部の覇者シュリーヴィジャヤとシャイレンドラ朝が衰退し,三仏斉とクディリ朝が成立する。海上交易でも中国の民間商人が来航するようになって朝貢貿易と並立するようになるという大きな変化がある。大陸部は9世紀までの範囲だとまだほとんど語ることがなく,実質的な語りはアンコール朝・李朝・パガン朝が出そろう10世紀からと踏ん切りをつけやすい。
山川『詳説世界史』と帝国書院の13〜14世紀は,島嶼部のイスラーム化が始まる頃で,ここでもイスラーム教の勃興・浸透がその地域の中世の始まりという思想が貫徹している。しかし,この切り方は弊害も大きい。上述の通り東南アジアの近世は15世紀から始まるから,中世はほぼ存在しないということになってしまう。実際に山川『詳説世界史』を読むと,マラッカ王国の改宗が中世の中東の章で一瞬だけ出てきて終わる。南アジア史と同様,当然東南アジアの独立した章立ては無い。
『新世界史』の6世紀は,7世紀のマラッカ海峡の開通をもって中世に入ったと見なしているためである。『新世界史』は東アジアの切れ目を220年とかなり早く置いているので,それに合わせて早めに切りたかったという背景もありそうだ。結果として扶南とチャンパーしか登場する王朝がなく,1ページ未満という極めて小さな節で終わっているが,潔さはある。
【まとめと感想】
メジャーな構成をとっているのは山川『詳説世界史』と実教出版と帝国書院だが,『詳説世界史』と帝国書院は東アジア史をなんとかしてほしい。また両教科書とも東南アジア史の引っ張りすぎがちょっと気になる。実教出版の教科書はこれらの欠点も無く,よくまとまっている。
山川『新世界史』は時代区分に最も強い意識がある分,意識が強すぎて特殊性が高い区切り方になった。しかし,理解できる理屈をちゃんと立てている点と,南アジアをきっちりとグプタ朝の滅亡で区切った点は評価したい。
東京書籍はビザンツ帝国の置き方が特徴的で,実はルネサンスを中世末に置いている唯一の教科書でもある。執筆者によほどヨーロッパ史の時代区分にこだわりがある人がいそう。しかし,イスラーム教を古代史で扱わないという禁を破ってまで中央アジアを11世紀まで引っ張っているのがあまりにも不可解である。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)