2023年02月14日

文京ふるさと歴史館に行ってきた

吉田博《植物園の睡蓮》文京ふるさと歴史館。そういえば近所なのに行ったことがなかったなと思い。文京区の歴史資料館。入館料は100円。年間数千人程度の入場者数らしいので,明らかに採算度返しである。倍とっても入場者が減らないと思うが……1・2階が常設展で地下1階が企画展になっている。文京区は「弥生時代」の語源になった弥生地区が含まれているように古代は出土品が多く,狭いスペースの割には弥生土器を中心に展示が充実している。一方,中世はほとんど資料が残っておらず,常設展でもほぼすっ飛ばされていた。資料が残っていないというよりも,発掘しても生活の痕跡がほとんど見当たらないそうで,本郷台地も白山・小石川も,何らかの理由でそもそも人があまり住んでいなかったのではないかと疑われているらしい。これはこれで興味深い。

近世に入ると江戸幕府が成立したため,一気に建築物が増加し,現在の本郷には中山道と日光道中が通り,加賀藩の藩邸が建てられて栄えた。文京区民には有名な言葉「本郷もかねやすまでは江戸のうち」は実際には特に根拠がなく(大岡忠相がかねやすよりも内側は火事対策で土蔵造りとすることを命じたためという説は胡散臭い),語感が良すぎて広まったのではないかという話は面白かった。実際には現在の本郷三丁目よりも奥も建物が並んでいて江戸と見なされていたらしい。そもそも加賀藩邸がかねやすよりも奥なのだから,それはそうである。19世紀初頭の朱引では,文京区は全域がはっきりと江戸の内側であった。なお,江戸時代のかねやすは歯医者・歯磨き粉売りであったそうで,近代のどこかの時期に雑貨屋となり,それが2017年頃に閉店したため,現在はかねやすという店舗が存在していない。

明治時代以降は東京(帝国)大学ができて一気に文教地区になっていく。さすがに居住した文学者・知識人が多く,出版社も激増し,今度はそうした紹介が増える。一応,どこの資料館にもありそうな近代の庶民の暮らしの様子を紹介した展示もあった。ついでに私が行った時の地下1階の企画展は小石川植物園の歴史であったので,まとめて東大のキャンパスの歴史を学べた。全然知らなかったのだが,小石川植物園の元は徳川綱吉が上野館林の藩主時代に住んでいた御殿が原初で,この時に掘削された堀が概ね現在の植物園の枠組みになっている。建てたのは加賀藩のお手伝い普請であると推測されているが,裏付けになる史料が見つかっていない。この仮説が正しければ運命的である。なお,文京区としては護国寺・湯島聖堂を建て居住歴もあることから綱吉は大恩ある人物らしい。その護国寺を建てる際,大塚にあった薬草園を,廃墟と化していた御殿跡に移し,さらに吉宗がこれを大幅に拡充して小石川養生所が成立した。明治維新後に東京帝国大学の付属機関となり,以降は知られている通りである。面白かったのはジョサイア・コンドルが小石川植物園を好んでいて,彼が残した写真が多く展示されていた。また,版画家の吉田博が東京の名所を描くシリーズ「東京拾弐題」で,文京区の代表に小石川植物園を選んでおり,これが今回の展示の目玉であった。これがよくできた絵で,今回の企画展のフライヤーやポスターに使われており,実際にそれを見て私も行こうと思った。素晴らしい選択である。