2023年06月04日

栃ノ心引退に寄せて

栃ノ心ことレヴァン・ゴルガゼはジョージア(サカルトヴェロ,グルジア)の出身で,レスリング経験者が多い欧州勢の中では珍しく,柔道を出自とする。1987年生まれ,2004年から相撲を始め,春日野部屋に入門,2006年3月の初土俵から急激に番付を駆け上がり,2008年初場所で新十両,同年五月場所で新入幕となった。黒海以来二人目のジョージア出身の関取である(なお,栃ノ心はジョージアの呼称を気に入っていて大使館が呼称の変更を呼びかけるより前からジョージアを使用しているとのこと。本記事はそれに沿う)。ヨーロッパ人らしい力強さがあり,柔道ベースであるがゆえに相撲への順応も早かったため,大いに期待された。一方,不器用で身体が固くてばたつくところは琴欧州によく似ており,右四つにならないと相撲にならないと多くの弱点が露呈し始め,前頭をエレベーターすることが続いた。

そうして時間が経つうちに,2010年に春日野親方から素行不良を咎められてゴルフクラブで殴られた事件が発覚した。2023年現在であれば協会から懲戒されるのは春日野親方の方であるが(当時もゴルフクラブは無いだろうと春日野親方を批判する声がファンからは上がってはいた),当の栃ノ心本人が被害届を出さず,世間にも春日野親方を批判しないよう世間にお願いするにいたって事態は終息した。以後,むしろ栃ノ心は春日野親方からまわしを譲ってもらって身につけるなど親密になり,不思議な師弟である。2013年名古屋場所には徳勝龍戦で右膝の靭帯を損傷して休場,さらに3場所全休となった。この時の映像は協会が公開しているが,よくある下がって土俵から転げ落ちてのケガではなく,四つ相撲でこの取組自体は栃ノ心が寄り切りで勝っている。大ケガを負う相撲には見えず,勝った直後に栃ノ心が顔を歪めて一人では立てなくなったのだから,徳勝龍も驚いたことだろう。

再出発は2014年の大阪場所,幕下55枚目からとなったが,右膝の大ケガ以外も治し,身体を作り直す良い機会となったか,急速に番付を戻した。昔の角界は「ケガは稽古しながら直す」と言われ,比較的短期間で場所に戻らされていたが,ちょうど栃ノ心くらいから長期休場で一度関取の地位を失ってでも完全に直してから復帰した方がいいという風潮が広がり始めた。栃ノ心はその最初期の成功例と言ってよく,この後に照ノ富士が続く。とはいえ再出発後もエレベーターが長く続き,このまま終わるかに思われた矢先の2018年に突如として覚醒し,まず初場所に前頭3枚目の平幕で14勝の優勝。翌春場所は10勝,五月場所は13勝し,起点の場所が平幕であったものの3場所計37勝で大関取りに成功した。ヨーロッパ人としては琴欧州(ブルガリア)・把瑠都(エストニア)に続く3人目の大関である。この頃になるといきなり右四つにいくことをやめて,不格好ながら威力のある突きである程度崩してから組むようになり,これがよく効いた。左四つでも相撲がとれるようになり,本筋の右四つも力強さを増していた。

しかし栃ノ心の全盛期はこの2018年の前半で,大関として初めて土俵に上がった名古屋場所でいきなり右足親指を痛めて途中休場,次の秋場所はなんとかカド番を脱出したが,2019年初場所は右太ももが肉離れを起こして途中休場,その後も大関としては低空飛行となり,一度関脇で10勝して復帰したが,結局は累計5場所で陥落となった。特に古傷の右膝が再び悪化していて,一度下がると引き技をうつ間もなく土俵を割るしかなかったから,どうしようもなかったかもしれない。

それでも前頭中盤で,上手く右四つになれた時にはよくパワーを発揮して若手の壁となり,ベテラン力士の一人として長く地位を保った。衰えない膂力は驚嘆すべきものであった。負け越しても7勝か6勝というようにゆっくりと番付を下げつつも粘って3年続け,2023年の初場所に左肩を脱臼して休場,とうとう力尽きた。五月場所に十両の地位のまま引退した。


取り口は右四つ主体の四つ相撲であり,投げるよりは寄りで勝つ相撲が多かった。右下手よりも左上手が基盤になっており,左上手を取りさえすれば上位で通用する相撲になった。恐ろしい怪力であり,相手の体重が200kgを超えていようが大関だろうがつり上げて崩した。また前述の通り,不器用な力士であったが,2018年の全盛期にはそれを克服し,左四つでも相撲をとったり,突き押しでもある程度相撲になり,突いて崩してからの右四つが必勝パターンになった。一方で右四つになれば無双できたわけではなく,同じパワータイプである把瑠都には1勝12敗,照ノ富士には2勝11敗,何より白鵬には1勝27敗(唯一の勝利は大関取りの場所)といいようにやられている。前さばきが上手いわけでもなく,稀勢の里や琴奨菊には差し負けての左四つで,それぞれ9勝17敗・11勝25敗と大きく負け越している。豪栄道にも組んでもらえず10勝19敗。その不器用さゆえに右四つになれなかったり,なっても投げで打開されたりといったところが大関で定着できず,相撲人生の大半がエレベーター力士にとどまった理由かもしれない。むしろこれだけ苦手な力士が多くても大関にはなったのだから,得意にしていた力士も多いということで,合口の良し悪しの強い力士だったとも言えよう。引退後は未定とのこと。さしあたっては臥牙丸のYouTubeチャンネルに出演してほしいところ。お疲れ様でした。