2023年08月14日

2023年7月に行った美術館・博物館(ガウディ展,古代メキシコ文明展)

近美のガウディ展。前回の展覧会の感想のマティス展でも書いたが,19世紀末の芸術家は修業時代が面白く,ガウディもやはりいろいろなものに触れて広く勉強している。歴史主義建築が流行った時代であるから過去の建築の勉強をみっちりしておくのには意味があり,特にスペインであればムデハル建築に触れられるのは強みであった。その中でガウディが関心を持ったのはゴシック建築らしく,ガウディの建築業のベースはネオ・ゴシック建築になっていったようだ。と同時に発想が理系よりと言えばいいのか,幾何学模様にも関心が強く,これが合わさって「両端を固定した紐を吊り下げて放物線上の形の建築物を構想する」パラボラ・アーチという奇抜な発想に至ったのだろう。その流れがよくわかる展示になっていた。

それがわかったところで展示の後半はガウディの超大作,サグラダ・ファミリアに焦点が当たる。このサグラダ・ファミリアも最初はガウディ以外の設計者がネオ・ゴシック建築として構想したところから始まり,ガウディ自身もネオ・ゴシック建築として引き継いだはずであった。しかし,ガウディがそれで終わる人物ではなく,すぐに魔改造が始まる。この流れはガウディ自身がネオ・ゴシック建築から離陸して独自の作風を築いた流れと重なっていて,この観点でもサグラダ・ファミリアはガウディの代表作と言って差し支えないのだろうと気付き,展示の配置が絶妙である。言われてみるとサグラダ・ファミリアは骨組みやゴテゴテした外装にネオ・ゴシック建築の面影があり,それがわかるのが本展覧会の効果だろう。手っ取り早いところで下のTweetに貼った画像を参照してほしい。

ガウディ自身が「サグラダ・ファミリアの建設はゆっくりとしている。なぜなら,この作品の主人(神)が急がないからだ。」と述べている通り,建築の長期化は明らかであったが,ガウディは交通事故で不慮の死を遂げた。その後も彼が残した資料を元に建設が進んだが,元のコンセプトが「寄付金で建てる」であったところにスペイン内戦とフランコの独裁政権があり,寄付金が集まらず,しかもスペイン内戦の戦火でガウディの資料が燃えるという最悪の事件もあって,建設は神でも苛立ちそうなほど遅々として進まなくなった。20世紀末以降に急速に建設が進んでいるのは技術革新と観光地として開花して寄付金が急増したためである。展示の最後にあった寄付金のグラフも面白かったので,ぜひ確認してきてほしい。会期は長く,9/10まで。




東博の古代メキシコ文明展。高校世界史でも学習する通り,古代メキシコ文明は紀元前10世紀頃のオルメカ文明から始まり,メキシコ高原のテオティワカン文明,ユカタン半島のマヤ文明,最後にメキシコ高原に戻ってアステカ王国と続く。本展はオルメカ文明はさらっと触れるのみであったが,その他の3つは展示物が多く,珍しいものを見ることができた。展示の順は成立した時代順に沿ってテオティワカン→マヤ→アステカであったが,地理的に異なるため文化が少し異なるマヤ文明が挟まれて差異が強調される形になっていた。

改めて見るにテオティワカン文明は血生臭すぎる。トウモロコシで人が生えてくるから人が安く,マヤと比べても技術発展の方向性が偏った感じはした。少しずれるがメソポタミアに対するエジプトが比較的近い対比かもしれない。これに比べるとマヤは文字があって装飾品も繊細優美で,しっかりとした都市文明だなという印象になる。これだけいろいろと発展したのに鉄器も車輪も釉薬も無いのは不思議に思えてしまうが,それは旧大陸目線かもしれない。最後のアステカ王国はメソアメリカ文明の集大成になるが,地理的に当然ながらマヤよりはテオティワカンの影響の方が強そうに見えた。

今回の展示で気づいたのは釉薬が無いことの特異さである。鉄器や車輪が無い,文字もマヤ文字以外は無いか絵文字の段階というのは有名だし私も知っていたが,釉薬も無いというのは意外であった。3つの文明に共通して建築・彫刻・土器の成型技術が非常に高く,それぞれ同時代の旧大陸の文明と比べても遜色がない。にもかかわらず,である。鉄器が無いのも合わせると炉に関心が無かったのだろうか。インターネットで簡単に調べただけだと有力な情報は出てこなかったので,詳しい専門書を読まないとわからないのかもしれない。それにしても,土器だという認識で展示物を見ると,よくもまあ割れやすい土器でこれほどの造形を驚かされる。これを知ってしまうと縄文土器は世界史スケールでそこまで特異ではないのかもしれないと思わされた。と同時に,釉薬が鉄器や車輪ほど強調されない理由も気になった。釉薬が無いという言い方だと伝わりにくいかもしれないが,要するに陶器が無いというのは文明の比較として大きいと思うのだが,どうか。