2024年01月30日

2023年8-12月に行った美術館・博物館(ポーラ美術館,テート美術館展,キュビスム展他)

溜め込んでしまったので一気に書いていく。

ポーラ美術館のシン・ジャパニーズ・ペインティング展。宝永山に登って富士屋ホテルに泊まり,翌日は無計画という状況だったため,都内で開催されているポーラ美術館展には何度も行っているのにポーラ美術館自体には行ったことがないことに気付いて,良い機会と捉えて行くことにした。したがって,ねらって行った企画展ではなく,行ったら偶然この企画展だったという形である。「新たな日本画の創造」をテーマとして所蔵品から明治から現代までの作品に,加えて現代作家から出品してもらったものを加えて大規模な展覧会を構成していた。とはいえ所蔵品からの出品は所蔵品であるがゆえの制限からそこまで統一性が無く,また現代の作家が「新たな日本画の創造」等という抽象的なテーマで素直な出品をするはずもなく,結果として総花的な展覧会と化していたのは否めない。が,個々の作品はなかなか面白かった。有名な現代作家では金魚の人こと深堀隆介や李禹煥の作品があった。しかしまあ,なんだかんだで同行者ともども一番盛り上がったのは天野喜孝の巨大な作品であった。

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常設展的な展示では,やはり印象派からアール・ヌーヴォーあたりが充実していて良い。ハンマスホイの作品もあり,抜け目なく所蔵しているものだなと。ちょうどメアリー・カサットの新収蔵品があって,これが目玉となっていた。


サントリー美術館の虫めづる日本の人々展。虫は多くの地域で描かれるモチーフであるが,江戸時代の江戸の日本人は虫との距離が近く,草虫図がよく描かれた。江戸では虫を飼うことがしばしば流行していて,鈴虫などを売る店や蛍狩りの様子もよく画題になった。画家からすると細かい部位が多い虫は腕を振るうに適した題材だったのだろう。そうした虫が描かれた絵画や工芸品を,江戸時代のものを中心に紹介する展覧会であった。個人的には,虫は生き物の中では好まない部類であったが,登山をするようになってから割りと慣れたくらいの存在だったりする。本展も怖いもの見たさが2割くらいの感覚であったのだが,やはり実物と描かれたものは違い,どれだけリアルであっても嫌悪感はゼロであった。

なお,虫というテーマ設定ゆえに普段のサントリー美術館よりも親子連れが多かった。多くの美術館は自らの公共性を自覚して子供が来館しやすい展覧会を心がけるものであるが,虫というテーマはテーマ自体がよく効くようだ。自分とほぼ同じペースで鑑賞していた親子は,男の子が親に画中の虫の名前を全部教えてくれていて頼もしかった。楽しんで帰ってもらえたなら,美術の側が好きで見に来た赤の他人ながら非常に嬉しい。




テート美術館展。現代アート混じりだったので行くかどうか迷ったが,19世紀までの作品もけっこう豪華であったのと,Twitterのフォロワーが何人か行っていたので,まあ行き惜しむことはないかと考えを改めた。本当はサントリー美術館の虫展とはしごする予定であったが,大混雑で60分待ちであったためにあきらめ,平日に有休をとって出直した。一応「光」というテーマ設定ではあったものの,「光」などという抽象的テーマ設定で総花的展覧会にならないはずが無いだろうということで,実際にテーマはそこまで重要ではなかったように思われる。そういうものだと割り切れば展示品自体は悪くなかった。来ていたのはライト・オブ・ダービー,ウィリアム・ブレイク,ジョン・マーティン,ターナー,コンスタブル,ラファエル前派の面々,ホイッスラー,印象派の面々,カンディンスキー,マーク・ロスコ,ゲアハルト・リヒター等。やはりイギリス人が多い。現代アートはキャプションによる説明不足であり,また体感型のものが多かったのでコメントのしようがない。

ちょっと嬉しかったのはハンマスホイの作品があったこと。本展は写真撮影可の作品が多かったが,作品保護のためか,「光」というテーマ設定を活かすためか会場が非常に暗く,あの環境下でフラッシュ無しにちゃんと撮影するのは相当に厳しい。意外と一眼レフが活躍する場面だったかもしれない。ハンマスホイの部屋は照明が比較的マシだった。

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国立西洋美術館のキュビスム展。2023年はキュビスム関連の展覧会が2つあり,2023-24年でマティスの大規模な回顧展も2つあり,20世紀初頭の流行年だったのかもしれない。このキュビスム展はわかりにくいキュビスムの流れがよく整理されていて面白かった。感想はほぼ全て直後のTwitterに書いてしまったのだが,Tweetが消える危険性も考慮して,ここに加筆しながら転記しておく。キュビスムの成立前史から1925年頃の下火になる頃までを追う展覧会で,前史から成立までの抽象化の過程や,これが抽象表現主義・シュールレアリスムに変わる過程が描かれたのは面白かった。一方,盛期のピカソやブラック,レジェの作品はやはり何も理解できないという感想になる。結局,私の理解が及ぶのはセザンヌやマティスから一歩はみ出たところまで,ということなのだろう。とはいえ,今まで敬遠していたキュビスムが少しは理解できるようになったので嬉しい。

キュビスムは地域的な広がりがちょっと面白く,エコール・ド・パリと同時代の潮流であることに加えて,伝統より理論で組むために,異国出身の貧しい前衛芸術家にキャッチアップしやすいという特徴がある。このため広がりやすかったのだろう。これは新しい発見だった。近代西洋によらず美術は中心から周辺にかけて広がっていくので周辺の流行は遅れがちになるのが普通である(それゆえに前近代だと古い様式の作品は周辺の方がよく保存されているなんて言われたりすることもある)。前衛の概念が誕生すると,この法則も崩れるようだ。

ロシアでは,フランスのキュビスムとイタリアの未来派が同時に入ってきたので,どうせなら合体させてみようという発想から立体未来主義(Cubo-futurism)が成立したこともあったらしい。全く相容れない概念を無理やり合体させていて,周辺だからこそできる荒業という感じもした。実際の作品を見るとキュビスム異常によくわからない。

また,そういう国際的な潮流だったことに加え,ピカソがスペイン人であり,ピカソやブラックのパトロンがドイツ人の画商だったため,一次大戦時に愛国的な美術ではないと因縁をつけられ,フランス人のキュビストが怒って論争になったということもあったそうだ。21世紀の現在はそのキュビスムがフランス現代美術の象徴になっているのだから,未来のことは予測がつかない。なお,キュビスムの発想の源泉の一つにプリミティヴィスムがあり,それが多分にオリエンタリズムを帯びていたものであったことはちゃんと指摘されていた。それだけに同じ西美で開催されていたブルターニュ展でオリエンタリズムの視点が欠如していたのは返す返すも残念である。