2023年12月09日
書評:深田久弥『日本百名山』
『日本百名山』について,深田久弥自身はあくまで自分が登ったことがある山から選んだこと,深田久弥の選定であって日本の登山家の決定版的に選んだわけではないことを強調しているが,結果として日本百名山は神聖視されている。日本百名山の選定に対する不満としては,
・深田久弥が喧騒を嫌ったために過度に観光地化した山は外された(御在所岳など)
・深田久弥が登っていないために選ばれなかった(石狩岳など)
・標高が1500mよりも低い山は,筑波山・天城山・伊吹山・開聞岳の例外を除いて一律外された(比叡山など)
・選定が東日本,特に北アルプスと北関東に偏っていて西日本からの選出が少ない(蒜山・氷ノ山など)
辺りがよく聞かれるところで,これらの批判自体は当てはまっている。私自身,低山が外されたことについては疑問に思う。しかし,刊行から60年を経て,結局深田の百名山に代わる権威は出現しなかった。深田自身は神聖視を拒否し,困惑していたのだから皮肉なものだ。これらの批判はあっても,結局のところ選定が多くの登山好きにとって妥当性の高いものであったのだろう。
私自身は元々散歩・散策は好きで,また寺社仏閣巡りも好きであったから,その延長線上で登山を始めた。なにせ登山の最初の大きな目標は投入堂であったし,二番目の目標は富士山の浅間大社奥宮であった。これらを達成してもなお登山を続けているのは,結局のところ登山自体の魅力に惚れ込んだからである。どこに登るかを決める上で日本百名山は指標として大きな役割を果たしていて,私と深田の好みは少しずれているが,それでも結果的に大当たりの山であることが多い。選定されるような山は多様な魅力を持っているということだろう。また,因果が逆転しているが,自治体や観光業者が日本百名山の選定に沿って整備を進めたため,選ばれた山の魅力が増したことも理由として挙げられよう。これもまた喧騒を嫌った深田には申し訳ない事態であるが。
これらを踏まえて『日本百名山』を読んでみると,確かに本人はこれを神聖視されても困るだろうなと思う。元が雑誌での連載であったため,ほとんどの山は1座に4ページ(一部は6ページ)という紙幅であり,非常に短い。さらに山の名前の由来や信仰の歴史,麓までの紀行文がほとんどを占め,自らの山行記録は4ページのうちの最後の1ページまたは半ページに過ぎない。山の名前の由来や信仰の歴史はよく調べてあって勉強になるが,自らの山行記録は短すぎて物足りない。また,難易度への言及はほぼ全く無く,登山ガイドとしては片手落ちである。深田としては難易度を気にするような層が読むことを想定していなかったのであろう。代わって意外と紙幅を費やしているのがアクセス性や世俗さで,これは喧騒を嫌った深田の好みをよく示している。
刊行から60年経った今,あえて原著を読む意味はどこにあるか。原著から離れて日本百名山の選定だけが独り歩きしがちな現状,その選定基準に疑問を持たれることも増えているのだから,疑問を解消するなら原著を読むのが最も適している。特に登ったことのある山について読むと,確かに深田の基準ならこれを百名山に入れるのだろうと納得することがほとんどである。深田は読者に自身の百名山を選んでみることを勧めているから,原著の記述はその参考にもなるだろう。また,刊行が60年も前であり,前述の通り百名山に選定されたことで開発が進んだ山も多いため,それぞれの山の状況は大きく変わっている。その差分を探しながら読むのも面白い。現代でも読まれるべき古典的名著である。
なお,本書で一番面白いのは後書きである。まず,幕末の画家の谷文晁が日本の名山を選抜して『日本名山図会』を描いているが低山が多く,しかも日本アルプスから選ばれているのは立山・御嶽・木曽駒ヶ岳の三座だけであるが,これは時代の制約から言って無理もないと指摘している。その上で,昭和の自分にはその制約が無いというのを百名山執筆の最初の動機として挙げており,これは割りと意外であった。選定の基準として山の品格・山の歴史性・山の個性の3つを重視したことや,七十座くらいまではすぱっと決まったが残りは断腸の思いで選別したことが語られ,そのぎりぎり落選にした山々も挙げられている。どれが当落線上の三十座に当たるのか,考えながら読むのも面白いだろう。そしてこれだけ悩んで選定したにもかかわらず,あとがきの最後に「一番好きな山は最近に行ってきた山」とか書いてしまうあたりに,深田の本書に対する良い意味での適当さが読み取れよう。
・深田久弥が喧騒を嫌ったために過度に観光地化した山は外された(御在所岳など)
・深田久弥が登っていないために選ばれなかった(石狩岳など)
・標高が1500mよりも低い山は,筑波山・天城山・伊吹山・開聞岳の例外を除いて一律外された(比叡山など)
・選定が東日本,特に北アルプスと北関東に偏っていて西日本からの選出が少ない(蒜山・氷ノ山など)
辺りがよく聞かれるところで,これらの批判自体は当てはまっている。私自身,低山が外されたことについては疑問に思う。しかし,刊行から60年を経て,結局深田の百名山に代わる権威は出現しなかった。深田自身は神聖視を拒否し,困惑していたのだから皮肉なものだ。これらの批判はあっても,結局のところ選定が多くの登山好きにとって妥当性の高いものであったのだろう。
私自身は元々散歩・散策は好きで,また寺社仏閣巡りも好きであったから,その延長線上で登山を始めた。なにせ登山の最初の大きな目標は投入堂であったし,二番目の目標は富士山の浅間大社奥宮であった。これらを達成してもなお登山を続けているのは,結局のところ登山自体の魅力に惚れ込んだからである。どこに登るかを決める上で日本百名山は指標として大きな役割を果たしていて,私と深田の好みは少しずれているが,それでも結果的に大当たりの山であることが多い。選定されるような山は多様な魅力を持っているということだろう。また,因果が逆転しているが,自治体や観光業者が日本百名山の選定に沿って整備を進めたため,選ばれた山の魅力が増したことも理由として挙げられよう。これもまた喧騒を嫌った深田には申し訳ない事態であるが。
これらを踏まえて『日本百名山』を読んでみると,確かに本人はこれを神聖視されても困るだろうなと思う。元が雑誌での連載であったため,ほとんどの山は1座に4ページ(一部は6ページ)という紙幅であり,非常に短い。さらに山の名前の由来や信仰の歴史,麓までの紀行文がほとんどを占め,自らの山行記録は4ページのうちの最後の1ページまたは半ページに過ぎない。山の名前の由来や信仰の歴史はよく調べてあって勉強になるが,自らの山行記録は短すぎて物足りない。また,難易度への言及はほぼ全く無く,登山ガイドとしては片手落ちである。深田としては難易度を気にするような層が読むことを想定していなかったのであろう。代わって意外と紙幅を費やしているのがアクセス性や世俗さで,これは喧騒を嫌った深田の好みをよく示している。
刊行から60年経った今,あえて原著を読む意味はどこにあるか。原著から離れて日本百名山の選定だけが独り歩きしがちな現状,その選定基準に疑問を持たれることも増えているのだから,疑問を解消するなら原著を読むのが最も適している。特に登ったことのある山について読むと,確かに深田の基準ならこれを百名山に入れるのだろうと納得することがほとんどである。深田は読者に自身の百名山を選んでみることを勧めているから,原著の記述はその参考にもなるだろう。また,刊行が60年も前であり,前述の通り百名山に選定されたことで開発が進んだ山も多いため,それぞれの山の状況は大きく変わっている。その差分を探しながら読むのも面白い。現代でも読まれるべき古典的名著である。
なお,本書で一番面白いのは後書きである。まず,幕末の画家の谷文晁が日本の名山を選抜して『日本名山図会』を描いているが低山が多く,しかも日本アルプスから選ばれているのは立山・御嶽・木曽駒ヶ岳の三座だけであるが,これは時代の制約から言って無理もないと指摘している。その上で,昭和の自分にはその制約が無いというのを百名山執筆の最初の動機として挙げており,これは割りと意外であった。選定の基準として山の品格・山の歴史性・山の個性の3つを重視したことや,七十座くらいまではすぱっと決まったが残りは断腸の思いで選別したことが語られ,そのぎりぎり落選にした山々も挙げられている。どれが当落線上の三十座に当たるのか,考えながら読むのも面白いだろう。そしてこれだけ悩んで選定したにもかかわらず,あとがきの最後に「一番好きな山は最近に行ってきた山」とか書いてしまうあたりに,深田の本書に対する良い意味での適当さが読み取れよう。
Posted by dg_law at 18:28│Comments(0)
