2024年02月23日

東博・本阿弥光悦展と中尊寺金色堂展(2024年2月)

東博の本阿弥光悦展。多才で活動領域が広かった本阿弥光悦をかけて「大宇宙」と銘打ち,その展示であるから「始めようか,天才観測。」と宣伝を打ったところ,バンプ・オブ・チキンと本阿弥光悦って無関係では? という方向でバズってしまっていた。大宇宙のフレーズが舟橋蒔絵硯箱の帯の黒さや漆器の漆黒に浮かぶ蒔絵の美しさにもかかっているので個人的には名文句だと思うのだが,これだけ明後日の方向にバズってしまうとなると,少しひねりすぎていたのかもしれない。バンプ・オブ・チキンと1ミリも関係がないのは事実であるし。

閑話休題,本阿弥光悦は本当に多才で,本業は刀剣鑑定師,もう一つの本業と言えるのが能書家である。茶の湯の名人であり,京の数寄者の人的ネットワークの中心にいたから,文化行政の指導者・プロデューサーでもあった。晩年には自ら陶芸にも手を出していて,樂焼の名作が多い。にもかかわらず,まさかその端の方の漆芸で最も名が残るとは,本人も思わなかっただろう。本展で知って驚いたのだが,舟橋蒔絵硯箱があまりにも傑作であるがゆえに隠れがちな事実として,光悦蒔絵という独自の様式を生み出したにもかかわらず,実は本阿弥光悦が自ら制作したとわかっている漆器はほとんどないらしい。書や陶芸は自らの手で作ることにこだわりを見せていた節があるから,漆芸は何らかの理由でデザイナーに徹したのかもしれない。舟橋蒔絵硯箱からして実際にはどの程度光悦が関与したのかわかっていないようだ。それでも舟橋蒔絵硯箱はやはり傑作で,山形という奇矯な形をとり,金箔をふんだんに使っただけではつまらないと言わんばかりに鉛の帯を貼っている。一方で散らされた銀による和歌の字がリズムよく,瀟洒である。一言で言うとあまりにもセンスが良い。

本阿弥光悦の作品群の共通点は質感への執着であり,行方不明気味の本業刀剣鑑定という出自や,陶芸では樂焼に集中したことからそう思われる。今回の展覧会でも最近の東博ではよくある8Kを使った映像が流れていたが,本阿弥光悦の質感への執着に共感する上で相性が良かったように思われた。




同時開催,東博の中尊寺金色堂展。大規模な企画展ではなく,本館の1階を使ったものである。ただし観覧料は1,600円と高い。CGや再現模型が豪華だったので,そこに経費がかかったのだろうか。中尊寺金色堂は現地で見ているものの,美術館の展示だとケースのアクリル板越しとはいえ間近で見られる。現地の臨場感(本来の環境)か,細部の観察かは永遠のテーマで解決することはない。昨今の風潮では近代批判の一環で,美術館の権力性を批判して前者が尊重される傾向が強い。とはいえ,凝視して見た仏像は柔和で都の流行りの定朝様であった。美術館の展示にも意義はあるということを再確認した展示であった。

そのまま常設展へ。時間が無かったので早足で見て回った。1階の奥には,すっかり定着して常設展の一部と化している森倉円の和服ミクさんがいた。これが日本美術史の到達点……と決定するには早すぎるが,東博の常設展にあるということはそういうことになってしまう。あと目についたのは志野茶碗「橋姫」,青井戸茶碗,灰被天目,やたらとかわいい若冲の鶏,広瀬台山筆「日金山頂望富嶽図」は現在でいう十国峠からの富士山だそうで,実物と見比べたいところ。伊豆はまだ金時山と天城山に登っただけで本格的に攻略していない。東洋館の中国書画は呉昌碩を中心とする清末特集で珍しい作品が多かった。