2024年03月11日

出光美術館の池大雅展(2024年2月)

出光美術館の池大雅展。儒学知識豊富にして豪放磊落な文人であるが,記録上で少なくとも富士山,立山,白山,浅間山,伊吹山と後の百名山を五座登頂している。特に日本三霊山の完登は当人もそれを誇っていて「三岳道者」を名乗っていたらしい。前近代の日本の登山は修行や巡礼の意味合いが強く,近代登山のようなピークハントや眺望は重視されなかった。池大雅は早すぎた近代登山家だったのかもしれない。画業は登山の成果であろう,大量のスケッチを書き残している。登山は基本的に親友の儒学者・篆刻家の高芙蓉,書家の韓天寿の3人で行ったそうで,「仲良三人組」とまで書かれていた。美術館のキャプションらしからぬ砕けた表現に笑ってしまった。三人とも博覧強記であり,この三人の旅行は絶対に楽しかったに違いない。なお,3人の合作として旅行で描いたスケッチや韓天寿が作っていた旅程・旅費のメモを屏風に貼り付けた作品があり(《三岳紀行図屏風》),今回はそれも展示されていた。3人の感じた楽しさがほとばしっていたという点で非常に良い。それによると1760年(宝暦10年),6/27に突然思い立って旅立ち,7/3-5で白山登山,7/10-14で立山登山(途中で暴風雨に遭う),7/27に浅間山登山,8月に富士山登山(詳細不明),9月中旬に帰宅している。なお,富士山はこの翌年と翌々年にも登っていて,少なくとも3回登っている。

池大雅は日本を舞台とした山水画が多いが,瀟湘八景をはじめとする江南舞台の山水画も多く描いている。実地検証した日本の風土と異なり,日本の山岳と中国から取り寄せた地理書からの想像である。相互の海禁下でなければさぞ渡航したかったことだろう。国宝指定されている《楼閣山水図屏風》は江南が舞台であるが,浅間山の山頂から見た風景を描いた《浅間山真景図》の方が生き生きとしていて良い作品のように見えた。

技術的な面では中国画の遠近法である三遠(六遠)への関心が強く,それを研究した作品が多く展示されていた。西洋絵画の透視図法にも関心があったそうで,山水画を描くためには遠近法が最重要と考えていたのかもしれない。もろもろ考えると池大雅の代表作が山水画ではない《十便十宜図》というのはよくわからない選出である。与謝蕪村との合作であるとか川端康成が所有していたといった付加情報でかなり得点を稼いでいるのはわかるが,画業の頂点としては《楼閣山水図屏風》の方が適切なのでは。

トータルで満足度が高い面白い展覧会ではあったが,目玉展示《十便十宜図》がなんと4日に1回の展示替えで2枚ずつしか展示されず,全点を生で見るには10回来場する必要があったのだった。それだったらいっそこれを外して,どうせなら仲良三人組にクローズアップして高芙蓉と韓天寿の作品も展示してほしかった気はする。なお,高芙蓉は青木木米の師匠であり,池大雅は木村蒹葭堂の師匠であるから(中国の地理書は木村蒹葭堂の蔵書だったようだ),京都の知識人人脈がつながる。