2024年03月16日

2024受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大をお届けする。入試は7学部で収録した問題は16問であるが,そのうち2つの学部が10問を占めた(教育と商)。昨年もそうだったが,偏りが激しい。


18.早稲田大 文化構想学部
<種別>難問
<問題>2 設問7 下線部Gの事態は(編註:アメリカ大陸にはそれまで存在しなかった感染症が持ち込まれ,ヨーロッパ大陸にはトウモロコシやトマトなどがもたらされた),アメリカ大陸に到達した航海者の名にちなみ,何と呼ばれるか,記述解答用紙の所定欄に記しなさい。

<解答解説>
 盲点事項。歴史好きは当たり前に使っている言葉だが,言われてみると高校世界史にはなかった。正解は「コロンブス(の)交換」。なお,新課程の世界史探究の教科書・用語集には記載されるようになった。フライング出題である。


19.早稲田大 文化構想学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>3 次の史料は,桑原隲蔵『考史遊記』(岩波書店,2001 年。初版:弘文堂書房,1942年)の一部である。この史料を読み,設問1〜9に答えなさい。

 五時半出でて〔 A 〕の城墟を訪う。……もと開平という。蒙古の憲宗の六年有名なる天文地理家劉秉忠に命じて城く所。地は桓州の東に当り,灤水を南にし,竜岡を北にす。元の世祖フビライ,実にこの城において皇帝の宝位に即く。ついて開平を以て〔 A 〕となす。爾来〔 A 〕開平は大都燕京と併せて都会の所となり,当時称して両都という。かくて〔 A 〕は元一代の間,繁盛を極めしが,順帝の至正十八年関先生〔 A 〕を陥れて宮闕を焚く。……幾ならずして順帝大都を追われて〔 A 〕に来り,ついで応昌に去る。明の洪武二年明将常遇春,開平を陥る。明初この地に開平衛を置き,北辺の重鎮となす。

設問1 空欄Aに当てはまる語を記述解答用紙の所定欄を記しなさい。

<解答解説>
 シンプルな難問。元の両都で大都ではない方だから,正解は「上都」。北京(大都)の真北に位置し,現在は内モンゴル自治区の草原に還っていて,遺跡がわずかに残るのみである。北京とモンゴル高原を結ぶ中継地点,避暑地として機能したが,中国皇帝の宮廷となるには立地が悪すぎた。


20.早稲田大 文化構想学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 設問5 下線部Eに関連して(編註:ヤソ教徒張誠(Gerbillon)),イエズス会宣教師が関係した次のア〜エの事柄を時代順にならべたとき, 古いほうから二番目に来るものを選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア ブーヴェらが測量に従事した『皇輿全覧図』が完成した。
イ ジェルビヨンらがロシアとのネルチンスク条約締結の際に通訳を務めた。
ウ カスティリオーネが設計に加わった西洋式宮殿が,北京郊外の円明園に建てられた。
エ アダム=シャールが暦を作成し,欽天監監正(天文台長)に就任した。

<解答解説>
 エのアダム=シャールは明の崇禎帝に仕え,清が北京を占領するとそのまま清の順治帝に仕えた。ゆえにこの中で最も早い。ウのカスティリオーネは康熙・雍正・乾隆の3代に仕え,円明園の造営は雍正帝から乾隆帝の時期にかけてであるから,この中で最も遅い。イのネルチンスク条約は康熙帝治世の1689年で,ここまでは簡単。しかし,最後に残ったアはブーヴェが康熙帝に仕えたことしか学習しない。したがって『皇輿全覧図』の完成が1689年より前か後かを知らないと,アとイのいずれが二番目か確定しない。正解は,『皇輿全覧図』の完成が康熙帝治世の末期,1717年のことであるからイが二番目になる(エ→イ→ア→ウ)。二分の一の運ゲー。
 文化構想学部は例年収録数が少ないが,2024年は3つとなった。収録した問題以外もやや難しい問題が並び,例年との違いに風邪を引きそうになった受験生が多かったのではないか。


法学部は収録なし。


21.早稲田大 文学部
<種別>誤植
<問題>4 この戦争は,1492年,フランス=ヴァロワ朝の〔 A 〕のイタリア遠征によって始められ,この過程で,フィレンツェのメディチ家が追放された。

<解答解説>
 この戦争が指しているものはイタリア戦争であり,空欄Aの正解はシャルル8世であるが,イタリア戦争の勃発年は1494年なので誤植がある。厳密に言えば空欄Aに当てはまる語句がなくなってしまうが,正誤判定ではないのでなんとかセーフだろう。収録を迷っていたが,早稲田大当局からお詫びと特別な措置はとらない旨の発表があったので収録。文学部も全体としてつくりが良く法学部とともに収録なしになりそうだったが,変なところで誤植が見つかってしまった。河合塾から同様の指摘あり。


22.早稲田大 人間科学部
<種別>難問
<問題>5 パリでは万国博覧会が何度も開催され,フランス革命100周年を記念する万国博覧会では鉄骨を編むようにして作られたエッフェル塔が建造され,〔 A 〕年の万国博覧会では「電気館」が名物となり,電気の時代の到来を印象づけた。

設問X 文中の空欄〔 A 〕に入る最も適切なものをa〜dの中から一つ選びなさい。

a 1893   b 1900   c 1904   d 1926

<解答解説>
 1893年は1889年から近すぎ,1926年は遠すぎる(電気が当たり前な時代)として切って,2択で迷うか。正解は1900年。東京書籍の教科書に記載があるが(p.292),普通は覚えないところだろう。万博で年号が必要なのは1851年の第1回万国博覧会(ロンドン)のみである。残りの選択肢の1893年はシカゴ(コロンブスのアメリカ大陸発見400年),1904年はセントルイス(ミシシッピ以西のルイジアナ買収100年),1926年はフィラデルフィア(アメリカ独立150周年)で開催されている。
 2024年で地歴での受験が最後になる人科であるが,無傷で終わるわけではなく,大爆発することもなく,平常通りに終わった。日本史は難化して大爆発したらしいので,最後の最後で平均点に大きな差がついたことになり,美しい終わりではない。


23.早稲田大 教育学部
<種別>悪問
<問題>1 (10) 産業革命について述べた次の文,鉢△寮妓蹐料塙腓擦箸靴董だ気靴い發里呂匹譴。

 .ぅリスと比較すると,西ヨーロッパ諸国での産業革命は大きく遅れ,ほぼ1830年代に本格化した。
◆.ぅリス初の鉄道の営業運転は,綿工業の中心地マンチェスターと綿製品の輸出港リヴァプールを結んで行われた。

a  歙機 ´◆歙機  b  歙機 ´◆欷
c  欷蹇 ´◆歙機  d  欷蹇 ´◆欷

<解答解説>
 △牢霑壇な知識で正文とわかる。一方,,亙犬琉嫐が曖昧で正誤判定が不可能である。産業革命の開始時期は一般にイギリスが1760年代,フランスとベルギーとアメリカ北部が1830年代,ドイツが1830〜40年代,ロシアは1860年代,日本が1870年代以降と考えられている(ロシアと日本はもっと遅い年代とする説もある)。このうち西ヨーロッパ諸国はフランス・ベルギー・ドイツと考えると“ほぼ1830年代”には適合している。ドイツの存在を考えて“ほぼ”を付したのだろう。またイギリスの1760年代から見ると70年経過しているから「大きく遅れた」と言えそうである。
 しかしながら,一般に産業革命に出遅れたとされるのは日本やロシアであって,相対的に早いイギリス以外の西欧諸国を指して「大きく遅れた」と表現することは少ない。また,近年ではイギリスの産業革命の動きは緩慢であったことが指摘されている。他国の産業革命はある程度「上からの改革」として進められたのに対し,イギリスの産業革命は自然発生的なものであったから,緩やかに進んだのは自然な現象である(が,人類は長らく産業革命の革命性の神話に捕らわれていた)。すなわち,イギリスの1760年代という時期は象徴的な意味合いが強く, 他国との比較で用いるべきものではない。
 以上のことを踏まえると,,麓膣僂忘険Δ気譴覦文であり,作問者は古い知識で,鮴喫犬箸靴萄遒辰燭里世蹐Δ箸い推測を要求されるエスパー問題である。産業革命研究を追えていないような研究者に近代経済史の問題を作らせてはいけない。とはいえ,受験生は「大きく遅れたかどうかはよくわからんけど,西欧諸国が1830年代なのは正しいな」とそこだけで割り切って考えて,鮴喫犬犯獣任任たのではないか。


24.早稲田大 教育学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>3 (6) シリアは1920年3月に王国として独立したが,同年8月のセーヴル条約によってフランスの委任統治領とされた。独立時に国王に即位したのは誰か。

a アブド=アルアジーズ  b ナセル  c ファイサル   d フセイン(フサイン)

<解答解説>
 シリア王国は1920年にフセイン・マクマホン協定に則って成立が宣言されたが,セーヴル条約でシリアを委任統治領とすることが認められたフランスが侵攻し,イギリスが協定を反故にして見捨てたため,短期間で消滅した。受験世界史では極めてマイナーな存在で,用語集のシリア独立の説明に小さく記載があるものの,私も今回初めて載っているのに気付いたくらいである。アブド=アルアジーズ(イブン=サウード)とナセルは絶対に違うとして,残りの2人から選ぶのは難しい。ファイサルは初代イラク国王,その父親のフセインはヒジャーズ国王であり,どちらもシリアではない国の王として習う。ファイサルがマイナーな用語であるため知らない受験生は「ファイサルだけ聞いたことがないから,これが正解っぽい」とcを選んだかもしれない。逆にファイサルを知っている受験生は正解が無いように見えたことだろう。
 実は前者の受験生の推測が正しく,ファイサルは最初シリア王国を樹立したが,上述の経緯でフランスによって放逐され,イギリスに身柄を確保された。その後,イギリスが補償としてイラク国王の座を提供し,ファイサルはシリアからイラクにスライドすることになった。相対的に世界史が得意ではない受験生ほど解きやすかったという点で作りの悪い難問である。


25.早稲田大 教育学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>4 (5) インド文明について述べた次の文,鉢△寮妓蹐料塙腓錣擦箸靴董だ気靴い發里呂匹譴。

 .献礇鐡腓覆匹捻蕕犬蕕譴討い訖遊善導┠爛錺筌鵑蓮悒泪蓮璽弌璽薀拭戮覆匹離ぅ鵐標電気鬚發箸砲靴燭發里多い。
◆.ぅ好蕁璽牴修すすんだインドネシアにあって,バリ島には現在もヒンドゥー文明が残っている。

a  歙機 ´◆歙機  b  歙機 ´◆欷
c  欷蹇 ´◆歙機  d  欷蹇 ´◆欷

<解答解説>
 ,楼廚靴て睛討農喫検△眄喫犬農飢鬚aになるが,バリ島は高校世界史の盲点で通常触れないところであり,一般教養として知っているかが問われた。私もバリ島って範囲外だっけ? という点で随分戸惑ってしまい,教科書を再確認することになった。インドネシアにはワヤンを含めてヒンドゥー教の痕跡がけっこう残っているということや,19世紀後半以降に「作られた伝統」として復活したものもあるという指摘は教科書上けっこう載っているが,ピンポイントでバリ島のヒンドゥー教を示したものは見当たらなかったように思う。
 教育学部はこの他にグレーゾーンとしてマレーシアで実施されたブミプトラ政策が問われた(地理ではよく問われるが世界史では稀)。


26.早稲田大 教育学部(4つめ)
<種別>出題ミス?

<問題>3 (10) オランダのインドネシアにおける植民地支配について,誤っている説明はどれか。

a アンボイナ事件を機にイギリス勢力をインドネシアから締め出した。
b カルティニがオランダからの独立を掲げてイスラーム同盟(サレカット=イスラーム)を結成した。
c 19世紀,オランダ政庁はジャワ島の農産物に対して強制栽培制度を導入した。
d オランダ本国でインドネシアでの植民地政策に世論の批判が高まり,20世紀初頭,「倫理政策」が開始された。

<解答解説>
 不可解な出題ミス公表その1。a・c・dは正文,bはカルティニがサレカット=イスラムを創設したわけではないので明確な誤文=正解である。しかし,大学当局からお詫びとb・dの複数正解を認める旨の発表があった。仕方ないのでdを再検討する。とはいえ「20世紀初頭」以外の部分は疑う余地がない。調べてみると,倫理政策と正式に銘打ったのは1901年であるが,それ以前から蘭領東インド住民の教育や福祉を拡充する政策が少しずつ実施されていて,最初に倫理政策の名前が提唱されたのは1899年だったようである。これを気にしたのではないか。しかし,高校世界史の範疇では倫理政策の開始は1901年と定義されていて,かつ1901年説を否定する専門家の議論も無いようである。ゆえに本問を不成立と見なせるような強い根拠にはならない。大学当局の過剰反応ではないだろうか。


27.早稲田大 教育学部(5つめ)
<種別>出題ミス?

<問題>3 (12) ギリシアについて,誤っている説明はどれか。

a イギリス・フランス・ロシアはギリシアを支援して独立戦争に介入した。
b 1829年,オスマン帝国はロシアとの条約でギリシアの独立を受け入れた。
c 第一次世界大戦後,ギリシア軍はアナトリアに侵攻した。
d 第二次バルカン戦争において,ギリシアはオスマン帝国と戦った。

<解答解説>
 不可解な出題ミスの公表その2。a〜cが正文,dが誤文=正解として成り立っているようにしか見えないが,大学当局からお詫びと「選択肢の記述に不適切な部分があったため,適切な解答に至らないおそれがある」として全員正解とする旨の発表があった。問題が不成立ということは,a〜cが全て誤文だったか,またはdが正文だったことになる。a〜cの一部が誤文だっただけなら,同学部・同大問の26番との整合性を考えるに複数正解の処理になるはずだからだ。しかし,a〜cが全て誤文というパターンは無理がある。一応bについては疑義をつけられる。1829年のアドリアノープル条約はロシアとオスマン帝国間の単独講和であって,この時に認められたギリシアの独立は不完全なものであった。ギリシアの真の独立は英仏が承認した翌1830年のロンドン議定書による(ただし,高校世界史では一般にアドリアノープル条約の時点でギリシアが独立したとするのが通例)。それでも残ったaとcを誤文と解釈する手段は全く無い。
 ということはdが正文というパターンしか考えられないが,これも極めて困難である。理由をあれこれ考えてみたが全く糸口が見えなかったのでバルカン史の専門家の知り合いに尋ねたところ,その人も考えこんでしまった。二人であれこれ意見を出して最終的に固まった検討結果は以下の2つである。
・当時のギリシアとオスマン帝国はエーゲ海の島嶼部を巡って常に揉めていたので,小競り合いであれば第二次バルカン戦争中でも発生していた可能性はある。しかし,具体的な戦闘名を挙げられるのは,バルカン史の専門家どころかバルカン戦争史の専門家レベルだと思われる。
・日本語の問題として「ギリシアはオスマン帝国と」の部分が「ギリシアVSオスマン帝国」ではなく「ギリシアwithオスマン帝国(VSブルガリア)」と読まれてしまうことを考慮した可能性がある。しかし,後者の意味なら普通は「とともに」と書くのが自然であり,「と」と書かれている以上は,a〜cが明確な正文であることも加味して,前者で解釈されるべきである。
したがって,いずれにせよ過敏すぎる対応であり,出題ミスとしてしまう方が害悪ではないか,とのことであった。私もこの意見に賛成で,本問は問題不成立とすべきではない。前問も本問も指摘している予備校は見当たらなかったし,受験生が指摘するとも思えない内容である。専門家からの指摘か,学内からの指摘ではないか。


28.早稲田大 商学部
<種別>難問
<問題>1 問G 下線部Gについて(編註:イタリア半島),イタリア半島内の都市でないものを選べ。

1.メッシナ  2.タレントゥム(タラント)  3.ポンペイ  4.カプア

<解答解説>
 商学部は古代ローマ史・前近代東アジア史・近現代アメリカ史(+時事ネタ)の3つで難問・奇問を出題する傾向があるが,2024年もその傾向が踏襲された。まずは古代ローマ史から。標準レベルの地名が選択肢に一つもないが,タレントゥムはアッピア街道の南の終点,ポンペイは文化史の早慶対策で目にするから,世界史が得意な受験生なら2択までは絞れたかもしれない。そこからは厳しかろう。しかし,実はカプアは2020年の早稲田大・商学部で出題があり(3巻2020早慶32番,p.66・ブログ版では31番),当該問題はスパルタクスの反乱が始まった場所が問われて(今見てもひどい問題である),正解がカプアであった。4年前まで過去問をさらっていた受験生なら見覚えがあったかもしれない。スパルタクスの反乱はイタリア半島を右往左往していたのでカプアもイタリア半島の都市だろうと当たりをつければ正解を導ける。メッシナ(メッシーナ)のみシチリアの都市である。海外サッカーが趣味の受験生だったらメッシーナは見覚えがあるかもしれない……と思ったが,メッシーナに日本人選手がいたりセリエAに参加していたりしたのは2000年代半ばで,最近は弱いからダメかもしれない。


29?.早稲田大 商学部(2つめ)
<種別>奇問または番外編
<問題>2 問L 下線部Lについて(編註:高句麗),7世紀末,高句麗の旧領土に渤海が建国されるが,渤海の舞楽と推定され,日本の宮中雅楽に残されている曲として適切なものを一つ選べ。

1.越殿楽  2.甘州  3.蘭陵王  4.新靺鞨

<解答解説>
 お次は前近代東アジア史から。本問は作問者の良心を信用するかどうかを試されている問題である。当然,高校世界史で雅楽はほぼ全く扱われない。雅楽が趣味の人でもなければ越殿楽(越天楽)と蘭陵王の曲名を知っているかどうかくらいで,雅楽方面からは全く手がかりがない。ここで渤海の建国経緯を想起するに,高句麗の遺民と靺鞨人が建国したものであるから,新靺鞨はいかにも渤海に由来していそうである。問題文にわざわざ「高句麗の旧領土に渤海が建国される」と書いてくれているのはヒントなのだろうと素直に受け取って新靺鞨を選ぶと,これが正解である。残りの3つはいずれも唐の舞楽に由来する。
 というように本問は思考力が求められているし,素直な人が得をするという点でも良問と言っていい。しかし,我々は過去に早稲田大・商学部に何度もそうした素直な推測で裏切られている上に,本問は4つの選択肢が実在する雅楽の曲名という保証が無い。それで「良問を作ったので,信用して解いてくれ」と言われても,作問者と受験生の間に信頼関係が無いので機能しない。とはいえ,受験という場においては作問者が圧倒的な上位者・権力者であるので(この自覚がない大学教員は多い),受験生は信用して付き従うほかないのである。毒親と子のようだ。本問は良問ながら,受験世界史の問題点の一つを象徴する問題とも言えよう。なお,この信頼関係は次の問題でいきなり裏切られる。
 極めてどうでもいい私的な余談になるが,中学校時代に放送委員だった私の友人が,給食の時間の放送で「放送することがないので,越天楽今様をやります。ちゃーーちゃーーちゃー」と越天楽今様を口頭で再現する放送を流した結果,校内が爆笑の渦に包まれ,笑いすぎて牛乳を吹き出す人が続出し,掃除が大変だったという事件があった。越天楽の字面を見るたびにそれを思い出して笑ってしまう。


30.早稲田大 商学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 問D 下線部Dに関連して(編註:合衆国憲法),制定時には内容として含まれておらず,1791年に修正条項を加える形で内容が加えられたものはどれか。

1.人民主権  2.連邦政府による条約の締結  3.権利章典  4.連邦政府による徴税

<解答解説>
 そして近現代アメリカ史から。正解は3で,当初の合衆国憲法では基本的人権の具体的な規定が存在せず,直後に修正第1〜第10条として追加された。この追加部分を「権利(の)章典」と呼ぶ。このアメリカ版権利章典は高校政経では触れられるが,世界史では範囲外である。消去法で対応できるかどうかを考えてみると,1は外せるだろうが,2と4を自信を持って外せた受験生は少なかろう。アメリカは独立戦争中の1777年に実質的な最初の憲法としてアメリカ連合規約を制定したが,連合規約では中央政府の権限が外交権と貨幣鋳造権等に限定されていて狭く,特に財政と軍事面で州の権限が優越していた。このため中央政府の権限強化を主導する連邦主義の主張が強まり,独立戦争後の1787年に改めて合衆国憲法が制定されている。したがって,2の条約締結権は連合規約の時点で存在し,4の徴税権は合衆国憲法で規定された。この経緯は受験生の間でも知られているので,消去法で解けなくもないが,とはいえ受験生的に権利の章典と言えばイギリスのものであるから,1・2・4を消したとしても3は極めて選びづらい。まさかアメリカにも権利の章典があるとは思うまい。意図してか意図せずかはわからないが,意図してのものなら非常に性格が悪く,こういうことをしておいて信頼関係を訴えられても醸成されるわけがないのである。


31.早稲田大 商学部(4つめ)
<種別>難問
<問題>3 問E 下線部Eに関連して(編註:連邦派のハミルトン),ハミルトンに関する記述として誤っているものはどれか。

1.『ザ・フェデラリスト』の執筆陣の1人だった。
2.財務長官時代に連邦政府の財政を安定させるべく戦時公債のデフォルトを提案し,実行させた。
3.財務長官時代に貨幣法の制定および貨幣の鋳造を主導した。
4.独立戦争時にワシントンの副官だった。

<解答解説>
これも近現代アメリカ史から。普通の受験生が判断できる選択肢が1つもない。早慶対策をやりこんでいた人でやっと1が正文と判断できるくらいではないだろうか。4はワシントンの副官といえばコシューシコと習うのでいかにも誤文に見え,これを正解として選んだ受験生は多かろう。しかし,副官は複数人おり,ハミルトンも副官だった。ゆえに4も正文である。実は用語集にワシントンの副官だったことが記載されているが,ハミルトンの用語集頻度は,任△蝓ざ畴出題が少ないために読んでいた受験生は少なかろう。残った2・3はどちらもそれっぽく,まあ運で選ぶしかない。3は正文で,誤文=正解は2である。私も知らなかったので調べてみたところ,ハミルトンは大規模な借り換えで戦時公債をデフォルトなしに償還したようである。現代のアメリカは些細なことで議会の承認が得られずにデフォルトを起こすので,ニュースをよく見聞きしていてそれを知っていると,かえって昔からそうだったのかなと想像してしまい,3を選んでしまう。「高校の教科に閉じこもらず,普段から時事をよく吸収して」云々とはよく言われることであるが,言われた通りにしてきた子ほど不利になる。またしても受験生からの信頼を裏切る問題であった。


32.早稲田大 商学部(5つめ)
<種別>悪問・誤植
<問題>4 ディズレーリ首相は〔 6 〕財閥の協力を得てスエズ運河会社の株式を大量に取得して同社への影響力を強め,1877-78年の14ロシア=トルコ戦争にも干渉してインドヘの道を確保した。(編註:中略)他の列強諸国に比べて経済的に遅れをとったロシアでは,フランスからの資本導入によって1880年代に大工場生産が始まり東アジア・中央アジアや〔 10 〕方面への進出をはかった。
(編註:空欄6の正解はロスチャイルド。下線部14については問14「二つの講和条約をあげ,締結の経緯と両条約がもたらした結果を100字以内で説明せよ」という出題が付されている。今回の論点は空欄10。)

<解答解説>
 久々の予備校の解答が割れたシリーズ。ロシアは1877-78年の露土戦争で勝利するとサン=ステファノ条約を締結したが,実質的にロシアがバルカン半島を手中に収める内容であったため,イギリスとオーストリアが猛反発し,ドイツのビスマルクが仲介してベルリン会議が開かれた。結び直されたベルリン条約ではロシアの権益が大きく後退し,このためロシアは一度黒海・バルカン半島方面への進出を諦めて東アジア・中央アジア方面への進出に注力するようになる。なお,問14の解答は上述の内容のうち「サン=ステファノ条約を締結したが」から「ロシアの権益が大きく後退し」までで117字なので,適当に約20字削ればそのまま解答になる。
 ひるがえって空欄10を検討すると,上述の説明を読めばわかる通り,当てはまる語句がない。ベルリン条約後にロシアが進出を図ったのは東アジア・中央アジアであって,追加で〔 10 〕方面と書かれても困ってしまう。とはいえ,求められているのだからひねり出すしかない。「バルカン半島」と入れるのはそれっぽいが,問14の解答と矛盾してしまうから入れにくい。東アジア・中央アジアと平仄を合わせるなら,広すぎるが「西アジア」だろう。ロシアはアフガニスタンやイランへの進出を目論んでいたから,イランを指してこの語を入れるのが妥当に思える。あるいは国連による分類だとアフガニスタンもイランも南アジアなので「南アジア」と解答する手もある。さらに,「や」で区切られているのだから東アジア・中央アジアと平仄をそろえる必要が無いという立場に立つなら「イラン」や「アフガニスタン」という解答もありうる。ここで全く別の発想もある。そもそもフランスの資本が導入されて工業化が本格化したのは1890年代なので,1880年代は誤植であると推測できる。こうなると前提が変わってくる。ロシアはベルリン条約で南下政策を阻止されたため東アジア・中央アジアへの進出を図ったが,1890年にビスマルクが引退し,続く1891年に露仏同盟を締結したことで外交事情が好転し,再びバルカン半島への進出を図るようになった。つまり誤植説を採るなら「バルカン半島」が正解になる。
 ここで各予備校の解答を見ると,河合塾は「西アジア」と「イラン」と「バルカン半島」を併記していて,許容範囲が一番広い。駿台は「バルカン半島」または「イラン」としていた。「バルカン半島」については誤植説を採る旨を暗示していた(明示してもよかったのでは)。代ゼミは「西アジア」としつつ「『アフガニスタン』や『イラン』という解答もありうる」と注記し,唯一バルカン半島を解答から外していた。東進は「バルカン半島」のみで,唯一バルカン半島以外の解答を示さなかった。公式解答例は「バルカン」としつつ,「※上記はあくまで解答例であり、他にも別解がある場合があります。」と注記してあった(この注記は記述解答のある全ての学部・科目の公式解答例に付されている)。やはり年号の誤植だったのではないだろうか。


33.早稲田大 社会科学部
<種別>悪問
<問題>4 問5 下線部(E)に関連する次の記述のうち(編註:アイルランド),最も適切なものを1つ選べ。

a.1801年に正式にイギリスに併合されたが,高い自治が維持され,19 世紀を通じて経済的な発展を遂げた。
b.1916年にアイルランド独立を求めるシン=フェイン党などの急進派が武装蜂起したが,イギリス軍によって鎮圧された。
c.1922年に北部のアルスターを除いてアイルランド自由国として独立すると同時に,イギリス連邦からも離脱した。
d.北アイルランドではイギリスからの独立を目指すプロテスタント勢力がカトリック勢力と対立したが, 1998年に両者の間に和平が成立した。

<解答解説>
本企画でもう何度も批判しているイースター蜂起シリーズ。aは高い自治が与えられていないので誤り,cはアイルランドのイギリス連邦離脱が1949年なので誤り,dはプロテスタントとカトリックが逆。消去法で考えてもbが正文=正解になるが,シン=フェイン党はイースター蜂起の主力ではなかったので完全な正文とは言えない(3巻コラム1,p.206を参照)。本問について言えば「など」がついているので,ぎりぎり出題ミスは避けているかなと思う。
 受験世界史に数々の伝説を残してきた早稲田大・社会科学部であるが,2024年度をもってその歴史に幕を閉じることになった。その最後の年の問題は全体として易しく,特徴と言えるような特徴も無かった。穏やかな死を選んだかと思いきや,このような平凡な悪問1問を収録することになった。これはこれで社学らしい最後と言えるのかもしれない。
この記事へのコメント
更新ご苦労さまです。

商学部はいつも通りクソに近い問題でしたが、教育学部も変な問題が多かった印象ですね。なお、教育学部は日本史のほうで、寧波と杭州の位置を問わせる鬼畜問題が出されましたw

日本史世界史含め、社学はおとなしい印象でしたが、人間科学部が暴走気味でしたね。やはり、最後の年はヤバいというジンクスが証明されてしまったように思えます。
Posted by 歴史科目の入試問題が好きな学生 at 2024年03月16日 19:26
「コロンブスの交換」は,旧課程でも帝国書院の世界史Bの教科書に掲載されています(『新詳世界史B』p.152)。帝国の教科書は構成がすぐれていますが,採択率が低く残念です。『詳説』が悪いとは言いませんが,それにしても・・・。
Posted by きょーこりん at 2024年03月17日 01:02
今年も読みごたえたっぷりで(よくないことですが)、興味深く拝見しております。
29について、私の使った音楽の教科書は「越天楽」表記しか載せていなかった気がするので、「越殿楽」を見て「実在曲名をひねった誤答が混ぜてあるかも」と思ってしまった受験生がいるかもなあと思いました。
Posted by 砂屋 at 2024年03月17日 16:14
更新楽しみにしておりました。

個人的には、22はスポーツ好きだったら簡単に分かるんじゃないかなあと感じました。
一度昔のオリンピックに興味を持ったことがあれば、第2回1900年大会がパリ開催だったこと、昔は五輪と万博が同時開催だったことは印象に残りやすいので
Posted by qwop at 2024年03月18日 00:21
28.の該当問題は2020年の早稲田大・商学部の33番ではなく、31番ではないでしょうか?
Posted by ナナ氏 at 2024年03月18日 00:22
26の早稲田教育の問題ですが、試験の際にdの選択肢が訂正されたそうなので、訂正前の選択肢に基づき複数正解にした可能性もありますかね?(訂正が全受験生に行き渡ってなかったとかで)
Posted by ガリ at 2024年03月18日 17:50
25の△誤である場合、ちょっとした風習なども含めて一切何の影響も見られないということになるので、
さすがにそれはないであろうということで正だと導ける
「文明が残っている」を確実に否定することは難しいだろうという日本語的な読み解き方で解ける(クイズでも用いられるテクニック)
Posted by エド・ヒーガン at 2024年03月19日 01:16
こちらも皆さんコメントありがとうございます。

>歴史科目の入試問題が好きな学生さん
教育学部は去年も割とひどかったので,難易度はともかく,質はワースト2の地位を築いてきた感があります。そんな地位を築くなという話ではありますが。
>教育学部は日本史のほうで、寧波と杭州の位置を問わせる鬼畜問題が出されましたw
それは世界史で出すべき問題ですねw。日本史でやることではない。
>やはり、最後の年はヤバいというジンクスが証明されてしまったように思えます。
そもそもこれ以上「最後の年」になってしまう学部が出てこないでほしい(切実)

>きょーこりんさん
見つけていませんでした。ありがとうございます。
ということは用語集が拾っていないという,早慶にありがちなやつですね。

>砂屋 さん
言われてみると,私も越天楽で習っています。おっしゃる通りの推測をした受験生はいたと思います。

> qwop さん
オリンピックやサッカーワールドカップに詳しいと解きやすくなる問題は,世界史だとあるあるですね。

>ナナ氏さん
ご指摘の通りです。直しました。ありがとうございます。

>ガリさん
なるほど,その可能性はありますね。訂正前の(d)の文だと,「20世紀初頭にオランダ本国でインドネシアでの植民地政策に世論の批判が高まった」という解釈が成立してしまって誤文になるので。書籍版が出せたら(未確定),その説明も足しておきます。
Posted by DG-Law at 2024年03月21日 02:06
>エド・ヒーガンさん
実はそれもちょっと考えたのですが,「イスラーム化がすすんだインドネシアにあって」と手前についているということは,バリ島は相対的に見て色濃く残っているかどうかを問われていると解釈すべきということになります。
実際に,わずかでも文明が残っていればよしということにしてしまうと,インドネシア全域で残っていると言えてしまうので(おっしゃる通り文明の痕跡を完全に否定するのは難しい),バリ島の名前を出す意味がなくなってしまうんですよね。
Posted by DG-Law at 2024年03月21日 02:22