2024年06月03日
2024年3-5月に行った美術館・博物館(有楽斎,北欧,吉原)
サントリー美術館の織田有楽斎展。織田の血筋や波乱の人生のために派手なイメージがあるが,その実,古田織部や小堀遠州と比べるに堅実な茶人だったのだろうと思われた。あまり奇抜な茶器がなく,保守的で王道を行く茶人だったのだろう。その中では数少ない珍しい茶器にあたる狸形壺が目玉展示で,ちょうど狸がネットで話題になる幸運は有楽斎らしいのかもしれない。
そうした茶器の玄人好みを反映してか,茶器の展示はさほど多くなく,書状が主体であった。血筋と茶の湯の腕前のため,外交や人間関係の調整を任されがちで御茶湯御政道の真ん中にいた人という印象が強まる。『へうげもの』ファンなら顔が浮かんでくる面々とのやりとりである。茶器は青磁の銘「鎹」,大ぶりで青みがかった有楽井戸,欠けた茶碗に割れた染付をあてがった呼継茶碗が良かった。狸形壺と呼継茶碗は公式のTwitterアカウントが公開してくれているので以下に貼っておく。
SOMPO美術館の北欧の神秘展。ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの国立美術館から借りてきた豪華な展覧会で,あまり宣伝されていないのが不思議であった。来客はぼちぼち多かったようなので,これで失敗ではないのかもしれない。
英仏以外のヨーロッパ諸国の近代美術史は様式の変遷がフランスの20-30年遅れでの後追いになり,20世紀初頭に追いつくというところが多いが,北欧もそういう様子であった。ロマン主義から自然主義,印象派,象徴主義に単線的に流れていく。ロマン主義はドイツの影響が色濃い風景画中心で,それもそのはず,北欧にロマン主義を持ち込んだのはカスパー・ダーヴィド・フリードリヒの親友のノルウェー人画家ヨハン・クリスティアン・ダールである。そのダールの作品も来ている時点で本展のキュレーションがしっかりしていることがわかる。
しかし,ロマン主義が成功しすぎたために長く引っ張られ,自然主義以降の受容が遅れた側面もありそうだ。ロマン主義から象徴主義に直接ジャンプした雰囲気すらあった(画法はともかく精神面で)。そういう土壌だからこそ,象徴主義で世界をとったムンクが登場しえたのかもしれない。この企画展の直接のテーマは象徴主義の掲げた北欧の神秘であるが,ロマン主義的景画は愛すべき国土を表現するものであり,これが北欧では暗い森や荒れる海を通じて北欧神話や妖精,トロルへの愛着に転じて象徴主義に合流したという流れらしい。それがよくわかる展示だった。こういう名作がずらっと並べられているというだけでなく,美術史の理解が深まる展覧会こそ良い展覧会なのである。今年の上半期の最高の企画展候補。
芸大美術館の大吉原展。「吉原の上澄みだけを採取し,美化を促進している」「女性を搾取していたという観点が薄い」と開催前に批判を受けた。そのため入口のムービー等で「女性の人権無視を絶対に許してはなりません」と散々書かれていたが,かえって言い訳じみていて気分は良くない。やるならちゃんと吉原の負の部分の展示物を出すなり,展示がなくともキャプションを充実させるなりといった工夫はありえたと思うのだが,批判後も展示自体は変えなかったようで,吉原の風習や文化の紹介に終始していた。表層的な展示と言われても仕方がないだろう。
とはいえ「吉原で生まれた文化の紹介というコンセプトなんだから,上澄みだけの紹介という批判自体がナンセンス気味であり,吉原に影の部分があったことなぞ紹介せずとも自明であろう」とも,「このご時世,本当に”文化だけ”の紹介という無邪気な企画が通ると思ってんのか」という意見,どちらも筋が通っていて,私の中でも決着がついていない。とはいえ,批判もあったことだから,さぞ影の部分の展示も充実させたのだろうという期待は私にもあって,全く無かったことから肩透かしを食らった気分になった。さらに言えば,批判後も変えなかったのだろう展示の能天気さを見ると,批判が来なかったら全面的に明るい吉原で通したのだろうと思われ,その無邪気さは少し怖い。監修に田中優子氏がついていてこうなったのも解せない。
展示は多様に見えて大半が浮世絵だったために単調で,そもそも面白くなかった。企画の無邪気さのせいで私の気持ちが乗らなかった点は否定しがたいが,楽器や囲碁,着物の展示を増やす,浮世絵以外の絵を置く等,その面でももっとやりようがあったように思われる。センセーショナルなテーマ設定だけで客が呼べてしまうのが良くなく,実際に混雑していたから,興行的に成功しやすかったので,かえって手抜きになった面は否めないだろう。
そうした茶器の玄人好みを反映してか,茶器の展示はさほど多くなく,書状が主体であった。血筋と茶の湯の腕前のため,外交や人間関係の調整を任されがちで御茶湯御政道の真ん中にいた人という印象が強まる。『へうげもの』ファンなら顔が浮かんでくる面々とのやりとりである。茶器は青磁の銘「鎹」,大ぶりで青みがかった有楽井戸,欠けた茶碗に割れた染付をあてがった呼継茶碗が良かった。狸形壺と呼継茶碗は公式のTwitterアカウントが公開してくれているので以下に貼っておく。
\《狸形壺》展示中/
— サントリー美術館 (@sun_SMA) March 18, 2024
ぶんぶく茶釜!?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらは高さ6センチにも満たないサイズの壺。短い手足に、ぽってりとした尻尾がなんとも愛らしいです。#織田有楽斎展 https://t.co/OdKv3LXOM8 pic.twitter.com/sbR3Iwkq2A
\呼継(よびつぎ)茶碗/
— サントリー美術館 (@sun_SMA) February 11, 2024
呼継とは、欠けた部分を別の陶磁器の破片で継ぎ合わすことです。こちらは欠けた部分に染付の陶片をあて、黒漆で繕った筒茶碗。有楽斎が所持し、細川三斎所用と伝わります。#織田有楽斎展 https://t.co/OdKv3LXOM8 pic.twitter.com/P855MQgSyP
SOMPO美術館の北欧の神秘展。ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの国立美術館から借りてきた豪華な展覧会で,あまり宣伝されていないのが不思議であった。来客はぼちぼち多かったようなので,これで失敗ではないのかもしれない。
英仏以外のヨーロッパ諸国の近代美術史は様式の変遷がフランスの20-30年遅れでの後追いになり,20世紀初頭に追いつくというところが多いが,北欧もそういう様子であった。ロマン主義から自然主義,印象派,象徴主義に単線的に流れていく。ロマン主義はドイツの影響が色濃い風景画中心で,それもそのはず,北欧にロマン主義を持ち込んだのはカスパー・ダーヴィド・フリードリヒの親友のノルウェー人画家ヨハン・クリスティアン・ダールである。そのダールの作品も来ている時点で本展のキュレーションがしっかりしていることがわかる。
しかし,ロマン主義が成功しすぎたために長く引っ張られ,自然主義以降の受容が遅れた側面もありそうだ。ロマン主義から象徴主義に直接ジャンプした雰囲気すらあった(画法はともかく精神面で)。そういう土壌だからこそ,象徴主義で世界をとったムンクが登場しえたのかもしれない。この企画展の直接のテーマは象徴主義の掲げた北欧の神秘であるが,ロマン主義的景画は愛すべき国土を表現するものであり,これが北欧では暗い森や荒れる海を通じて北欧神話や妖精,トロルへの愛着に転じて象徴主義に合流したという流れらしい。それがよくわかる展示だった。こういう名作がずらっと並べられているというだけでなく,美術史の理解が深まる展覧会こそ良い展覧会なのである。今年の上半期の最高の企画展候補。
SOMPO美術館の北欧美術展。ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの国立美術館から借りてきた、実は豪華な展覧会。周辺ヨーロッパ諸国の近代美術史は様式の変遷がフランスの20-30年遅れ、20世紀初頭に追いつく感じで、北欧もそういう様子。ロマン主義から自然主義、印象派、象徴主義に流れていく。 pic.twitter.com/kYmMVJBbHG
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) March 30, 2024
芸大美術館の大吉原展。「吉原の上澄みだけを採取し,美化を促進している」「女性を搾取していたという観点が薄い」と開催前に批判を受けた。そのため入口のムービー等で「女性の人権無視を絶対に許してはなりません」と散々書かれていたが,かえって言い訳じみていて気分は良くない。やるならちゃんと吉原の負の部分の展示物を出すなり,展示がなくともキャプションを充実させるなりといった工夫はありえたと思うのだが,批判後も展示自体は変えなかったようで,吉原の風習や文化の紹介に終始していた。表層的な展示と言われても仕方がないだろう。
とはいえ「吉原で生まれた文化の紹介というコンセプトなんだから,上澄みだけの紹介という批判自体がナンセンス気味であり,吉原に影の部分があったことなぞ紹介せずとも自明であろう」とも,「このご時世,本当に”文化だけ”の紹介という無邪気な企画が通ると思ってんのか」という意見,どちらも筋が通っていて,私の中でも決着がついていない。とはいえ,批判もあったことだから,さぞ影の部分の展示も充実させたのだろうという期待は私にもあって,全く無かったことから肩透かしを食らった気分になった。さらに言えば,批判後も変えなかったのだろう展示の能天気さを見ると,批判が来なかったら全面的に明るい吉原で通したのだろうと思われ,その無邪気さは少し怖い。監修に田中優子氏がついていてこうなったのも解せない。
展示は多様に見えて大半が浮世絵だったために単調で,そもそも面白くなかった。企画の無邪気さのせいで私の気持ちが乗らなかった点は否定しがたいが,楽器や囲碁,着物の展示を増やす,浮世絵以外の絵を置く等,その面でももっとやりようがあったように思われる。センセーショナルなテーマ設定だけで客が呼べてしまうのが良くなく,実際に混雑していたから,興行的に成功しやすかったので,かえって手抜きになった面は否めないだろう。
Posted by dg_law at 07:00│Comments(2)
この記事へのコメント
大吉原展は、いちおう主に第一・第二会場のキャプションを丁寧に読むと、闇の部分も書かれてはいたかと思います。
遊女の待遇の悪さのあまりに付け火が続発した、衣装代が遊女持ちのためどんどん借金がかさんだ、下級遊女の環境は特に悪かった、明治期の遊女解放令のために却って他に仕事がなくて遊女を続けている方たちが「好きで職業を選んだ」と町の人の同情を失ってさげすまれるようになった、など。
割合としては多いとは言えないものの、全くの無邪気な展示ではなく、闇があったことを暗に示して、「闇を孕んでおり其れを当時の人々も認識したうえでなお、煌びやかな文化の発信地でもあった」と構成したいのかなと感じました。
ただ、最初の興醒めな動画でそのあたりの記述の印象が全く薄れてしまっておりましたが。
加えて、多人数で混雑することを一切想定していないかのような地下の順路設定で、キャプションを読むのがなかなか大変だったため、よりいっそう闇の部分は見えづらくなっていたような印象です。
遊女の待遇の悪さのあまりに付け火が続発した、衣装代が遊女持ちのためどんどん借金がかさんだ、下級遊女の環境は特に悪かった、明治期の遊女解放令のために却って他に仕事がなくて遊女を続けている方たちが「好きで職業を選んだ」と町の人の同情を失ってさげすまれるようになった、など。
割合としては多いとは言えないものの、全くの無邪気な展示ではなく、闇があったことを暗に示して、「闇を孕んでおり其れを当時の人々も認識したうえでなお、煌びやかな文化の発信地でもあった」と構成したいのかなと感じました。
ただ、最初の興醒めな動画でそのあたりの記述の印象が全く薄れてしまっておりましたが。
加えて、多人数で混雑することを一切想定していないかのような地下の順路設定で、キャプションを読むのがなかなか大変だったため、よりいっそう闇の部分は見えづらくなっていたような印象です。
Posted by 葉萵苣 at 2024年07月26日 18:32
確かにそうですね。全く無かったかのような書きぶりはちょっと筆が滑っていました。
地下一階は導線が悪かったですね。加えてやはり鑑賞者を遊郭の客に見立てる構成はどうかと思いました。
地下一階は導線が悪かったですね。加えてやはり鑑賞者を遊郭の客に見立てる構成はどうかと思いました。
Posted by DG-Law at 2024年08月02日 17:57