2024年06月14日

2024年5-6月に行った美術館・博物館(法然展,利休・織部・遠州展,キリコ展)

東博の法然展。浄土宗としては全開でご開帳している。秋に京博に巡回予定のようなので,むしろそっちが本番か。割と真っ金金な仏像や仏具が多く,金が残りやすい材質ということもあってか,保存状態よくいろいろ残している。この系譜に増上寺の「五百羅漢図」があると思うと納得する。東博での企画展ゆえに「五百羅漢図」も増上寺から借りてきて多数展示されていた。他だと浄土宗というわけではない當麻寺が曼荼羅を多数出展していて謎に気合が入っていた。當麻寺の曼荼羅の流布に浄土宗がかかわっていたとのこと。
 仏像以外だと『往生要集』・『日本往生極楽記』(と慶滋保胤書状)・『選択本願念仏集』・高麗版大蔵経(増上寺所蔵)と,高校日本史や倫理の教科書で著者と作品名だけ載っていて機械的に覚える書籍類の実物があり,個人的にはこっちの方が楽しめた。逆に言えば文字だけの史料や墨跡が多いので,有名な絵や仏像をメインで見たい人はやや肩透かしかもしれない。特に「五百羅漢図」は増上寺で見ているという人だと目玉作品を欠くかもしれない。


三井記念美術館の利休・織部・遠州展。利休が完成させたわび・さびの美を基盤としつつ,破格の面白さを取り入れた織部,理知的で綺麗な方向性を追求した遠州という3人の美意識の違いが読み取れる良い展覧会だった。先日サントリー美術館でやっていた有楽斎展の展示品も重ねると,意外と有楽斎は利休に一番近いと思われてなお面白い。三井記念美術館内には如庵の再現茶室があって有楽斎にかかわる展示もあったので,実質的に4人分の茶人の展示であった。実は去年に犬山市に行く用事があり,そこで如庵の実物を見てきたので,私的には尚更理解が深まる展示であった。利休の展示品には炉の縁というレアなものもあった。利休のレベルになると炉の縁さえ文化財になるというのは笑ってしまった。織部所持品では備前肩衝(名前の通り備前焼の肩衝の茶入),遠州の所持品では古手屋高麗が面白かった。備前肩衝は名前の通りだが,備前焼の肩衝は非常に珍しい。
 余談1。織部の展示品の中に大井戸茶碗の銘十文字があり,そこのキャプションに「漫画『へうげもの』でおなじみの」とあったのを見つけて嬉しくなった。完全に客層(の年齢層)がわかっている。ここに来るような人たちは当然皆読んでいたでしょと。余談2。今回は利休の展示室の一部だけ写真撮影OKであった。不思議といえば不思議で,他の展示品との違いがわからなかったが,貸出者の許可が出たものを一室に集めたということだろうか。




都美のキリコ展。シュルレアリスムの巨人にして,20世紀前半に登場するイタリア人である。イタリア美術は綺羅星のごとく有名人がいるロココまでと異なり,新古典主義以降は途端に登場する芸術家が減ってしまい,私もぱっと思いつくのはロマン主義のフランチェスコ・アイエツとジョルジュ・デ・キリコくらいである(モディリアーニはエコール・ド・パリなので例外,未来派は集団としては知っているが個人名を想起できない)。
 キリコはギリシアで生まれてアテネで修行し,父の死とともにイタリアに帰ったが,すぐにミュンヘンに留学している。ミュンヘン時代に概ね我々の知る画風が形成され,卒業後はイタリアに戻ったが,1915年からは第一次世界大戦に従軍した。大戦終結後はパリやニューヨークを含めて居住地をかなり点々としており,晩年になってローマに定住した。画風はもろにシュルレアリスムであるが,セザンヌらしいポリフォーカスを用いつつ,無人の都市(またはマネキンしかいない都市)を描くことで不安を表現するシュルレアリスムは無二の存在である。都市の景観も幻想的というよりも現実的で,それが余計に不安感を煽る。雰囲気としてはベックリーンの《死の島》あたりに近いが,それもそのはず,ミュンヘンの修行時代に私淑したのがベックリーンであった。キリコはニーチェやショーペンハウアーも好んでいたというから,気質が北方寄りである。美術史上,ドイツ人がイタリアに留学して陽光に触れて画風が変わるというパターンはよく見るが,逆は珍しい。キリコがこの逆パターンに当てはまっていることを知らなかったので,非常に勉強になった。
 近代化により表情を奪われた人間としてマネキン(フランス語ではマヌカン)を用いるのは,やはり後世に強い影響を及ぼした発明と言える。感情を奪われたというよりは表情を奪われたというべきで,感情が読めない人型の存在だからこそ鑑賞者の不安を煽る。世代的に私はFF8のアルティミシア最終形態を想起したが,同じ発想の人はいるだろう……と思ったが検索してみたら全然いなかった。まあ直接的な関係は無さそうではある。同様に多用される三角定規もデジタルの無機質さの象徴として機能していた。今日になって突然に人が姿を消したかのような無人の都市に,マネキンと三角定規だけが闊歩している様子は,日本語の俗語表現でいうところの「シュールさ」があり,語源と俗語が合流した不思議な納得感がある。




この記事へのコメント
炉縁も立派な茶道具かと思うのですが、なぜ笑いの対象になるのか教えていただけないでしょうか。茶室に炉を切る事を確立したのが利休だからこその展示と考えますが。それとも、珠光以前の風炉こそが茶の湯に相応しいというお考えでしょうか?
Posted by は at 2024年06月16日 01:11
炉縁が茶道具の一種であり,重要な文化財だから展示されているのは否定していません。その上でこれまでの他の美術館の常設展・企画展等も含めて炉縁はほとんど展示されることがなかったものです。美術館の茶道具といえば陶器か漆器を展示するのが主ですから。そこで突然,炉縁が出てきた意外性に面白みを感じて笑みが浮かんだだけの話です。あえて言えば,炉縁さえ文化財になり,こうして展示される利休はやはりもう一段格上の茶人だなという感心も混じっています。「利休のレベルになると炉の縁さえ文化財になるというのは笑ってしまった。」と書いたのはその意味です。
Posted by DG-Law at 2024年06月16日 13:15