2024年07月06日
登山記録27(大峰山,大台ケ原)
No.71 大峰山(山上ヶ岳)
〔標高〕1719m
〔標高差〕約800m(清浄大橋から)
〔百名山認定〕百名山(山上ヶ岳単体では三百名山)
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕2A/2B+
大峰山は山域が非常に広く,どれを主峰とすべきかは難しい。最高峰は八経ヶ岳であるが,麓の洞川温泉の宿の人に言わせると「信仰的な価値でも,深田久弥が『日本百名山』で重視したという点でも,山上ヶ岳が大峰山の主峰である」とのことだったので,それを信用しておきたい。ともあれ,山上ヶ岳は非常にすばらしい山で,ところどころに修験道だった歴史を感じさせつつも,眺望の良いスポットが多く,紅葉も非常に美しかった。眺望は切り立った崖もよければ,遥か遠くまで続く山並みもまた良い。
難易度について。途中で平成新道と行者用の旧道に分岐するが,平成新道は2A,旧道は2B+。平成新道を使うと危ないところが全て階段になっている。旧道はところどころに岩場・鎖場があるが,滑落してもまず死なない。B+と聞いてひるまないなら挑戦されたい。新道・旧道ともに眺望がよく,眺望の方向性が違うので,行きと帰りで道を変えるのがベストと思われる。
4〜9月がハイシーズンで混雑するとのことだが,9/23に山頂の本堂が閉鎖して常住のお坊さんが皆下山してしまうため,一気に空く。それでも紅葉は残っているので,紅葉・眺望目当てなら本堂閉鎖後の10・11月が狙い目かもしれない。下山後に宿の人に寒くなかったかと頻繁に聞かれたが,この辺りの人の感覚では,本堂の閉鎖後の山頂はもう寒いということなのだろう。私としてはむしろまだまだ暑く,半袖での登山であった。また,女人禁制ということになっているが,オフシーズンの登山者は無視して登っていた。実際に昭和30年代の時点で深田久弥が「万人に勧めたい山」という基準に反するため百名山に選出すべきか悩んだとのことで,やっぱり令和にそぐわない信仰になっているんのではないか。非常に長く続く伝統なので難しいが,有名無実化していることは公的に言ってしまってもよい気はした。
そうそう,下山後に宿泊した洞川温泉のあたらしや旅館で,廊下に深田久弥の色紙が飾ってあり,同行者と「何か縁があるのかな」と話していたところ,仲居さんに「深田さんはここに泊まって山上ヶ岳に登られたのですよ」と返された。その後,夕飯の牡丹鍋に舌鼓を打っていると,古株の従業員が話しかけてきて,深田久弥の思い出話を聞かせてもらい,なんと深田の宿帳まで見せてもらった。
その深田は『日本百名山』で,大峰山について,日本人の登山としては最古の山なだけあって書けることが多すぎるためか,歴史パートは役行者が開山したことから書き始めて存外すぐに終わる。その中で確かに「(山上ヶ岳が)大峰山の代表と見なしていいだろう」と書いている。ただし,修験道の道場としての大峰山は山脈全域であって,特定のピークではないことも強調していた。
山行記録について,深田は「泉州山岳会の仲西政一郎さんの案内で大峰山を訪れた」と書き始める。あたらしや旅館の宿帳にはこの仲西政一郎氏の署名もあり,確かに二人で泊まっていたのが確認できる。私は宿帳を見てから『日本百名山』を読んだので順番が逆になってしまったが,『日本百名山』を読んでから宿帳を見た方が感動するだろうと思う。なお,この仲西政一郎氏は父親も当人も修験者(山伏)であった筋金入りの登山家であり,関西の登山ガイドを多数執筆したことでも知られる。
そうして深田は洞川温泉を出発して山上ヶ岳に登り,「女人不許入」の石標から入って洞辻茶屋,「西の覗き」と見て山頂の宿坊に泊まった。翌日に山頂を踏んだ後に南下し,大普賢岳・行者還岳・弥山と縦走して,八経ヶ岳の山頂から下山している。確かに山上ヶ岳以外の記述は淡白であった。なお,修験道としての縦走路はまだ南に続いていたが,「私はその最高峰を踏んだことに満足して山を下った」そうなので,深田の本質は登山家であって修験者ではないのである。
No.72 大台ケ原(日出ヶ岳)
〔標高〕1695m
〔標高差〕約120m(ビジターセンターから)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕2A+/1A
世間的にはマイナー百名山,登山家には大人気の山。かく言う私も登山を始めるまで全く知らない山であった。それもそのはず,近隣の大峰山と異なり,奈良県南部の奥地すぎる立地のためか,江戸時代まではほとんど人が踏み入った記録がない。深田久弥が『日本百名山』で「享保六年に蘭学者の野呂元丈が薬草採取のために登った記録がある」と引いていたくらいである。開発が進んだのは近代になってからなので,歴史は非常に浅い。しかも年間の降水量が4,500〜5,000mmと言われており,明確な乾季があるわけでもないから快晴を引くのが非常に難しく,気候から言えば過酷な山である。戦後の1961年になってドライブウェイが開通してから人気スポットになったが,深田久弥が訪れたのは当然それよりも前である。先見の明があったというべきか。『日本百名山』に載ったからこそ人気が高まってドライブウェイが開通したとも言えるので,鶏と卵の関係かもしれない。
名前の通り明確なピークがなく,比較的平たい二つの台地で構成されている。このうち西大台は1日50名程度の立ち入り制限がかかっていて,事前の申請が必要。通常登るのは東大台で,一応のピークである日出ヶ岳があるのも東大台である。日出ヶ岳は奈良県と三重県の県境で,三重県の最高峰でもある。難易度は非常に易しく,東大台をぐるっと一周するルートで2A+,日出ヶ岳をピストンするなら1A。眺望は絶景も絶景で,奈良・和歌山の山々はもちろんのこと,大阪湾と伊勢湾が両方見える。山容も美しく,特に伊勢湾台風の時に森林がなぎ倒され,なぜか植生が回復せず,立ち枯れた樹林の疎林が広がる正木ヶ原はここにしかない風景である。大台ケ原の中では有名スポットである大蛇ぐらも岩稜が突き出ていて,ドイツ・ロマン主義的で美しい。総合して今まで登った全ての山で上から5座に入るくらい好きな山である。
一つだけ難点を述べると,前述の通り大台ケ原は歴史が非常に浅く,明治期に神道系の新興宗教の開祖がこの地を修行の地とし,登山道を整備した。そのため,気にしなければ気にならない程度ではあるが,新興宗教の雰囲気がある。その最たるものは,実は特に縁の無い神武天皇の銅像が登山道の途中に立っていて,登山者を驚かせている。この銅像は深田久弥が登った時にはすでにあったようで『日本百名山』に記述がある。ということはドライブウェイ以前から立っていたということで,大台ケ原の中の歴史としては古い(1928年設置とのこと)。
〔標高〕1719m
〔標高差〕約800m(清浄大橋から)
〔百名山認定〕百名山(山上ヶ岳単体では三百名山)
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕2A/2B+
大峰山は山域が非常に広く,どれを主峰とすべきかは難しい。最高峰は八経ヶ岳であるが,麓の洞川温泉の宿の人に言わせると「信仰的な価値でも,深田久弥が『日本百名山』で重視したという点でも,山上ヶ岳が大峰山の主峰である」とのことだったので,それを信用しておきたい。ともあれ,山上ヶ岳は非常にすばらしい山で,ところどころに修験道だった歴史を感じさせつつも,眺望の良いスポットが多く,紅葉も非常に美しかった。眺望は切り立った崖もよければ,遥か遠くまで続く山並みもまた良い。
難易度について。途中で平成新道と行者用の旧道に分岐するが,平成新道は2A,旧道は2B+。平成新道を使うと危ないところが全て階段になっている。旧道はところどころに岩場・鎖場があるが,滑落してもまず死なない。B+と聞いてひるまないなら挑戦されたい。新道・旧道ともに眺望がよく,眺望の方向性が違うので,行きと帰りで道を変えるのがベストと思われる。
4〜9月がハイシーズンで混雑するとのことだが,9/23に山頂の本堂が閉鎖して常住のお坊さんが皆下山してしまうため,一気に空く。それでも紅葉は残っているので,紅葉・眺望目当てなら本堂閉鎖後の10・11月が狙い目かもしれない。下山後に宿の人に寒くなかったかと頻繁に聞かれたが,この辺りの人の感覚では,本堂の閉鎖後の山頂はもう寒いということなのだろう。私としてはむしろまだまだ暑く,半袖での登山であった。また,女人禁制ということになっているが,オフシーズンの登山者は無視して登っていた。実際に昭和30年代の時点で深田久弥が「万人に勧めたい山」という基準に反するため百名山に選出すべきか悩んだとのことで,やっぱり令和にそぐわない信仰になっているんのではないか。非常に長く続く伝統なので難しいが,有名無実化していることは公的に言ってしまってもよい気はした。
そうそう,下山後に宿泊した洞川温泉のあたらしや旅館で,廊下に深田久弥の色紙が飾ってあり,同行者と「何か縁があるのかな」と話していたところ,仲居さんに「深田さんはここに泊まって山上ヶ岳に登られたのですよ」と返された。その後,夕飯の牡丹鍋に舌鼓を打っていると,古株の従業員が話しかけてきて,深田久弥の思い出話を聞かせてもらい,なんと深田の宿帳まで見せてもらった。
その深田は『日本百名山』で,大峰山について,日本人の登山としては最古の山なだけあって書けることが多すぎるためか,歴史パートは役行者が開山したことから書き始めて存外すぐに終わる。その中で確かに「(山上ヶ岳が)大峰山の代表と見なしていいだろう」と書いている。ただし,修験道の道場としての大峰山は山脈全域であって,特定のピークではないことも強調していた。
山行記録について,深田は「泉州山岳会の仲西政一郎さんの案内で大峰山を訪れた」と書き始める。あたらしや旅館の宿帳にはこの仲西政一郎氏の署名もあり,確かに二人で泊まっていたのが確認できる。私は宿帳を見てから『日本百名山』を読んだので順番が逆になってしまったが,『日本百名山』を読んでから宿帳を見た方が感動するだろうと思う。なお,この仲西政一郎氏は父親も当人も修験者(山伏)であった筋金入りの登山家であり,関西の登山ガイドを多数執筆したことでも知られる。
そうして深田は洞川温泉を出発して山上ヶ岳に登り,「女人不許入」の石標から入って洞辻茶屋,「西の覗き」と見て山頂の宿坊に泊まった。翌日に山頂を踏んだ後に南下し,大普賢岳・行者還岳・弥山と縦走して,八経ヶ岳の山頂から下山している。確かに山上ヶ岳以外の記述は淡白であった。なお,修験道としての縦走路はまだ南に続いていたが,「私はその最高峰を踏んだことに満足して山を下った」そうなので,深田の本質は登山家であって修験者ではないのである。
大峰山の山上ヶ岳。一応は女人禁制の修験道の山だけど、修験道は5月くらいから9月くらいまでしか営業してないので10月はほとんど人もいないし、女の人もわりと登っていた。修験道シーズン中は富士山並みに混雑する山らしいが、この紅葉の季節にほぼ無人というのはちょっともったいないのでは。 pic.twitter.com/swHV8Up6FO
— しいかあ (@c_shiika) October 25, 2022
山上ヶ岳 / 稲田義智さんの山上ヶ岳の活動データ | YAMAP / ヤマップ
No.72 大台ケ原(日出ヶ岳)
〔標高〕1695m
〔標高差〕約120m(ビジターセンターから)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕2A+/1A
世間的にはマイナー百名山,登山家には大人気の山。かく言う私も登山を始めるまで全く知らない山であった。それもそのはず,近隣の大峰山と異なり,奈良県南部の奥地すぎる立地のためか,江戸時代まではほとんど人が踏み入った記録がない。深田久弥が『日本百名山』で「享保六年に蘭学者の野呂元丈が薬草採取のために登った記録がある」と引いていたくらいである。開発が進んだのは近代になってからなので,歴史は非常に浅い。しかも年間の降水量が4,500〜5,000mmと言われており,明確な乾季があるわけでもないから快晴を引くのが非常に難しく,気候から言えば過酷な山である。戦後の1961年になってドライブウェイが開通してから人気スポットになったが,深田久弥が訪れたのは当然それよりも前である。先見の明があったというべきか。『日本百名山』に載ったからこそ人気が高まってドライブウェイが開通したとも言えるので,鶏と卵の関係かもしれない。
名前の通り明確なピークがなく,比較的平たい二つの台地で構成されている。このうち西大台は1日50名程度の立ち入り制限がかかっていて,事前の申請が必要。通常登るのは東大台で,一応のピークである日出ヶ岳があるのも東大台である。日出ヶ岳は奈良県と三重県の県境で,三重県の最高峰でもある。難易度は非常に易しく,東大台をぐるっと一周するルートで2A+,日出ヶ岳をピストンするなら1A。眺望は絶景も絶景で,奈良・和歌山の山々はもちろんのこと,大阪湾と伊勢湾が両方見える。山容も美しく,特に伊勢湾台風の時に森林がなぎ倒され,なぜか植生が回復せず,立ち枯れた樹林の疎林が広がる正木ヶ原はここにしかない風景である。大台ケ原の中では有名スポットである大蛇ぐらも岩稜が突き出ていて,ドイツ・ロマン主義的で美しい。総合して今まで登った全ての山で上から5座に入るくらい好きな山である。
一つだけ難点を述べると,前述の通り大台ケ原は歴史が非常に浅く,明治期に神道系の新興宗教の開祖がこの地を修行の地とし,登山道を整備した。そのため,気にしなければ気にならない程度ではあるが,新興宗教の雰囲気がある。その最たるものは,実は特に縁の無い神武天皇の銅像が登山道の途中に立っていて,登山者を驚かせている。この銅像は深田久弥が登った時にはすでにあったようで『日本百名山』に記述がある。ということはドライブウェイ以前から立っていたということで,大台ケ原の中の歴史としては古い(1928年設置とのこと)。
年間降水量5,000mmの大台ヶ原で快晴SSRを引いてしまった。 pic.twitter.com/7Fg7nY18XQ
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 24, 2022
大台ヶ原山(日出ヶ岳) / 稲田義智さんの大台ヶ原山(日出ヶ岳)の活動データ | YAMAP / ヤマップ
Posted by dg_law at 07:00│Comments(0)