2024年10月04日
ウクライナ戦争の先行きは本当に不安である
・クリーム・スキミング(Wikipedia)
→ 一年くらい前に知った言葉。確かに交通インフラや中等教育で起きがちな現象で,必要な概念だけど,あまり定着しなさそうである。「高収益事業で公共性の高い赤字事業を支える」のを過度に許容すると今度は独占市場が成立する問題も副次的にはありそう。
・ウクライナの反攻作戦はどうして失敗したのか、計画に生じた誤算と対立(航空万能論)
→ 攻勢ラインを3つに分けたことによる戦力分散,1年目で大量の死傷者を出したことによるベテラン兵の不足,反攻開始が4月から6月に遅れてロシア側に長い準備期間を与えたこと,西側による訓練がドローンの出現に追いついていなかったこと……とウクライナの失敗要因が多数並べられている。どれか一つでも違っていれば結果も違ったのだろうか。この反攻作戦の失敗から現在で約1年だが,ウクライナはこの失敗の痛手からまだ回復していない。
・ウクライナ「継戦も地獄、停戦も地獄」 小泉悠氏が読む戦況(日経ビジネス)
→ これも昨年末頃の記事だが,残念ながら状況はここからさして変わっていない(前線は悪化している)。前にも書いた気がするが,ウクライナが実質的な現在の国際秩序の最終防衛線になっている中で,西側諸国の他人事感が強すぎる。記事中にある通り,支援が小出しなので結果的に長期戦になり,支援額が膨大に積み上がっていくという間抜けな事態になっている。どこかで本腰を入れて一度の本格的な支援を出すべきであったが,2024年10月現在,すでにそれも手遅れになりつつあるかもしれない。一度に大きな支援を出すことを許さなかった欧米各国の世論を踏まえるに,後世にこれがロシアという独裁国家に対する民主主義の敗北という歴史的意義を与えられる可能性はある(ウクライナ自身は民主主義国として未成熟であるにせよ)。
・専門知と民主主義を考える――行き過ぎた相対主義の中でーー『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波書店)刊行記念イベントから
>歴史総合と言って、生徒一人一人に資料を見せて、自分の考えを言わせることが重視されるようになっているんです。そのことをちょっと危惧している面もあって。
→ あたりは大変に同意できる話で,専門家不在の高校の歴史の授業で生徒に一次史料(ないし準ずるもの)に触れさせるのは,あまりにも無邪気に行われているが,やはりかなり怖いと思う。史料は無邪気に読めるものではないからこそ歴史家が世の中には必要であるわけで,一般市民にも歴史学の方法論を学ばせるべきというのは,高校の現場にはそぐわず別の場でやってほしい。また,元記事で田野先生が生徒に史料を読ませるのを危惧しているように,高校生に史料を読ませるのは歴史家の間でも必ずしもコンセンサスがとれているわけではないことであるにもかかわらず,推進する側があたかも歴史家なら誰でもそれをやってほしいと思っているかのように考えて押し売りしてきた感が正直あるのも問題だと思う。少なくとも私はそういう風潮を感じていた。
>我々が「研究者はすごい」と言ったら、もうただの自画自賛で権威主義の権化みたいになるから、それを誰が言うかが、すごく難しい問題ではある。
→ と小野寺先生が述べているのはごもっともであるので,専門知の重要性を知っている我々市井の好事家・歴史好きが補助していってあげるべきなのだろうなとも最近は思う。だからこそ逆に専門家にはなるべく軽薄なミスはしないでほしいと言いますか,私怨で言うと大学入試問題をとちらずに作ってほしい……大げさでもなんでもなく,専門知の権威はそういうところから綻びが出ると思うので。実際に私はあの企画を十何年と続ける中で作問者の知性を疑わざるを得ない場面が幾度となくあって幻滅している面も無くはない。あと高校世界史の教科書の古くて現在の定説から離れてしまっている記述,サボらずに直してください。
→ 一年くらい前に知った言葉。確かに交通インフラや中等教育で起きがちな現象で,必要な概念だけど,あまり定着しなさそうである。「高収益事業で公共性の高い赤字事業を支える」のを過度に許容すると今度は独占市場が成立する問題も副次的にはありそう。
・ウクライナの反攻作戦はどうして失敗したのか、計画に生じた誤算と対立(航空万能論)
→ 攻勢ラインを3つに分けたことによる戦力分散,1年目で大量の死傷者を出したことによるベテラン兵の不足,反攻開始が4月から6月に遅れてロシア側に長い準備期間を与えたこと,西側による訓練がドローンの出現に追いついていなかったこと……とウクライナの失敗要因が多数並べられている。どれか一つでも違っていれば結果も違ったのだろうか。この反攻作戦の失敗から現在で約1年だが,ウクライナはこの失敗の痛手からまだ回復していない。
・ウクライナ「継戦も地獄、停戦も地獄」 小泉悠氏が読む戦況(日経ビジネス)
→ これも昨年末頃の記事だが,残念ながら状況はここからさして変わっていない(前線は悪化している)。前にも書いた気がするが,ウクライナが実質的な現在の国際秩序の最終防衛線になっている中で,西側諸国の他人事感が強すぎる。記事中にある通り,支援が小出しなので結果的に長期戦になり,支援額が膨大に積み上がっていくという間抜けな事態になっている。どこかで本腰を入れて一度の本格的な支援を出すべきであったが,2024年10月現在,すでにそれも手遅れになりつつあるかもしれない。一度に大きな支援を出すことを許さなかった欧米各国の世論を踏まえるに,後世にこれがロシアという独裁国家に対する民主主義の敗北という歴史的意義を与えられる可能性はある(ウクライナ自身は民主主義国として未成熟であるにせよ)。
・専門知と民主主義を考える――行き過ぎた相対主義の中でーー『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波書店)刊行記念イベントから
>歴史総合と言って、生徒一人一人に資料を見せて、自分の考えを言わせることが重視されるようになっているんです。そのことをちょっと危惧している面もあって。
→ あたりは大変に同意できる話で,専門家不在の高校の歴史の授業で生徒に一次史料(ないし準ずるもの)に触れさせるのは,あまりにも無邪気に行われているが,やはりかなり怖いと思う。史料は無邪気に読めるものではないからこそ歴史家が世の中には必要であるわけで,一般市民にも歴史学の方法論を学ばせるべきというのは,高校の現場にはそぐわず別の場でやってほしい。また,元記事で田野先生が生徒に史料を読ませるのを危惧しているように,高校生に史料を読ませるのは歴史家の間でも必ずしもコンセンサスがとれているわけではないことであるにもかかわらず,推進する側があたかも歴史家なら誰でもそれをやってほしいと思っているかのように考えて押し売りしてきた感が正直あるのも問題だと思う。少なくとも私はそういう風潮を感じていた。
>我々が「研究者はすごい」と言ったら、もうただの自画自賛で権威主義の権化みたいになるから、それを誰が言うかが、すごく難しい問題ではある。
→ と小野寺先生が述べているのはごもっともであるので,専門知の重要性を知っている我々市井の好事家・歴史好きが補助していってあげるべきなのだろうなとも最近は思う。だからこそ逆に専門家にはなるべく軽薄なミスはしないでほしいと言いますか,私怨で言うと大学入試問題をとちらずに作ってほしい……大げさでもなんでもなく,専門知の権威はそういうところから綻びが出ると思うので。実際に私はあの企画を十何年と続ける中で作問者の知性を疑わざるを得ない場面が幾度となくあって幻滅している面も無くはない。あと高校世界史の教科書の古くて現在の定説から離れてしまっている記述,サボらずに直してください。
Posted by dg_law at 23:37│Comments(0)