2024年09月28日
貴景勝引退に寄せて
貴景勝は兵庫県芦屋市出身,芦屋ではトレーニングで坂道を後ろ向きで走っていたという奇行で目立っていたという。小学生時代はK-1のファンで,極真空手を習っていたが,判定で決着するのを嫌って相撲に転向した。突き押し相撲に徹したのは幼少期の経験ゆえだろうか。2014年に貴乃花部屋に入門,高校時代から活躍していたため,好角家の前評判は高く,その通りに出世していった。2016年五月場所に十両昇進,2017年初場所に新入幕と番付を駆け上がり,新入幕を契機に四股名を本名の佐藤から貴景勝に改名した。改名について,当時の私は「その四股名縁起が悪すぎないかという心配を勝手にしていた」と書き残している。正直に言えば今でも縁起が悪いなと思っている。どうせなら景虎で良かったような。
それから2018年頃まではエレベーター状態であったが,後述するように九月場所で独特の取り口に開眼して覚醒し,九州場所で小結で初優勝を飾った。22歳3ヶ月での優勝は年6場所制以降で史上8位(上は貴花田・大鵬・北の湖・白鵬・柏戸・朝青龍・若花田という錚々たる面々),初土俵から所要26場所は4位タイ(上に貴花田・朝青龍・照ノ富士,曙が同じ26場所)というスピード記録であった。この間に貴乃花が日本相撲協会を退職して貴乃花部屋が消滅し,千賀ノ浦部屋(現常盤山部屋)に移った。2019年初場所は大関取りがかかり,11勝しての計33勝と基準を満たしたものの,なんやかんや理由をつけられて見送られた。今考えてもこの2019年初場所の大関昇進見送りは不当で,まだ貴乃花騒動の残り火が燻っていたのではないかと邪推してしまう。とはいえ偉かったのは腐らなかった貴景勝で,次の2019年大阪場所で10勝し,計34勝で大関昇進を決めた。協会側にも不当に見送ってしまったという後悔があったのではないか。なお,この大阪場所の千秋楽の一番がカド番・7−7で来ていた栃ノ心との実質的な入れ替わり戦で,負けた栃ノ心は大関を陥落した。このような入れ替え戦は大相撲史上でこの一番が唯一である。大関昇進22歳7ヶ月は史上9位の年少記録,所要28場所も史上6位と非常に早い。
しかし,体格がそれほど大きいわけではなく,他の横綱・大関・三役常連の力士が四つ相撲ながら当たりも強いという中で,突き押し一辺倒でやっていくには身体に無理が生じた。大関に昇進した頃から大ケガが多発し,何度も力士生命が危ぶまれた。とりわけ2021年名古屋場所での首のケガが重く,この首のケガが3年後の引退の直接的な原因となった。なぜか綱取りのような場面で大ケガをすることが多く,貴景勝には不運と不屈のイメージがつきまとう。その中で在位30場所,小結時代のものを含めて優勝4度,年間最多勝1回(2020年)と,名大関として歴史に名を残す立派な成績を残した。28歳,まだまだ若く首のケガがなければ後5年はとれたと思われるし,綱取りの可能性も十分にあっただけに惜しまれる。
取り口は突き押し一辺倒であるが,回転よく突き続けるのでも,密着を気にせず押し込むでもなく,千代大海や千代大龍のようなぶちかまし&引き落としスタイルでもなく,低く突き起こしてから,いなして横を向かせ,これを何度も繰り返すことで相手を崩しきってから倒すという唯一無二の取り口であった。突きの威力はもちろんのことながら,いなしの威力が非常に強く,まともに食らうと横を向かないのは難しい。突きといなしが交互に飛んでくるので対応が難しく,独特の呼吸とリズムであるため相手はこれに付き合わざるを得ず,貴景勝のペースに飲まれて一方的に負けることになる。特に組むために密着しに来た相手に対するいなしが絶品で,組ませないための技術が高く,あれほど上手い左からのいなしは直近20年で見たことがない。幕内に入ってしばらくまでは突き続けて押し出す(突き出す)相撲であったが,2018年に徐々にこの取り口を身に着け,九月場所にて覚醒,九州場所の優勝につながった。以降は引退までこの取り口を磨き続けることになる。
突き押しの力士は成績が安定しない傾向があるが,大関時代の貴景勝はこの独特のスタイルゆえに例外的に安定した成績を残し,この点でも稀有な力士であった。動きが直線的でなく横の動きに強く,引き技を食うことが少なかったのも強みであろう。組んだら相撲にならないとは言われていて,実際に本人も大関に昇進した頃は四つ相撲も覚えないと綱取りは難しいのではという世間の声に対して「突き押し一本で横綱になりたい」と述べていた。しかし,大関に長く在位するうちに四つ相撲も磨かれていって,小手投げやすくい投げは意外と上手く,2023-24年はそれで拾った白星も多い。
とはいえ,立ち合いや突き押しの威力は横綱・大関として見るなら相対的に高かったとは言い難く,貴景勝の突き押しの威力はあくまでいなしが挟まることを前提とした強さであった。立ち合いや突きの強烈な一撃で崩すタイプにはなりたくてもなれなかったのだろう。逆に言えば,得意のいなしはある程度の突き押しの威力があってこそで,さりながら体調が悪かったりケガがあったりすると途端に突き押しの威力が落ちてしまうところがあって,全く突けずに相撲にならない負け方が目立った。特に引退直前の時期は組まれて負けるというより,四つ相撲の力士相手に離れたまま取って負ける場面が目立った。
これからの幕内で,あの独特のリズムから繰り出される突きといなしが見られないかと思うと寂しい。突き押しの名手と呼ばれるような後継者を育ててほしい。お疲れ様でした。
それから2018年頃まではエレベーター状態であったが,後述するように九月場所で独特の取り口に開眼して覚醒し,九州場所で小結で初優勝を飾った。22歳3ヶ月での優勝は年6場所制以降で史上8位(上は貴花田・大鵬・北の湖・白鵬・柏戸・朝青龍・若花田という錚々たる面々),初土俵から所要26場所は4位タイ(上に貴花田・朝青龍・照ノ富士,曙が同じ26場所)というスピード記録であった。この間に貴乃花が日本相撲協会を退職して貴乃花部屋が消滅し,千賀ノ浦部屋(現常盤山部屋)に移った。2019年初場所は大関取りがかかり,11勝しての計33勝と基準を満たしたものの,なんやかんや理由をつけられて見送られた。今考えてもこの2019年初場所の大関昇進見送りは不当で,まだ貴乃花騒動の残り火が燻っていたのではないかと邪推してしまう。とはいえ偉かったのは腐らなかった貴景勝で,次の2019年大阪場所で10勝し,計34勝で大関昇進を決めた。協会側にも不当に見送ってしまったという後悔があったのではないか。なお,この大阪場所の千秋楽の一番がカド番・7−7で来ていた栃ノ心との実質的な入れ替わり戦で,負けた栃ノ心は大関を陥落した。このような入れ替え戦は大相撲史上でこの一番が唯一である。大関昇進22歳7ヶ月は史上9位の年少記録,所要28場所も史上6位と非常に早い。
しかし,体格がそれほど大きいわけではなく,他の横綱・大関・三役常連の力士が四つ相撲ながら当たりも強いという中で,突き押し一辺倒でやっていくには身体に無理が生じた。大関に昇進した頃から大ケガが多発し,何度も力士生命が危ぶまれた。とりわけ2021年名古屋場所での首のケガが重く,この首のケガが3年後の引退の直接的な原因となった。なぜか綱取りのような場面で大ケガをすることが多く,貴景勝には不運と不屈のイメージがつきまとう。その中で在位30場所,小結時代のものを含めて優勝4度,年間最多勝1回(2020年)と,名大関として歴史に名を残す立派な成績を残した。28歳,まだまだ若く首のケガがなければ後5年はとれたと思われるし,綱取りの可能性も十分にあっただけに惜しまれる。
取り口は突き押し一辺倒であるが,回転よく突き続けるのでも,密着を気にせず押し込むでもなく,千代大海や千代大龍のようなぶちかまし&引き落としスタイルでもなく,低く突き起こしてから,いなして横を向かせ,これを何度も繰り返すことで相手を崩しきってから倒すという唯一無二の取り口であった。突きの威力はもちろんのことながら,いなしの威力が非常に強く,まともに食らうと横を向かないのは難しい。突きといなしが交互に飛んでくるので対応が難しく,独特の呼吸とリズムであるため相手はこれに付き合わざるを得ず,貴景勝のペースに飲まれて一方的に負けることになる。特に組むために密着しに来た相手に対するいなしが絶品で,組ませないための技術が高く,あれほど上手い左からのいなしは直近20年で見たことがない。幕内に入ってしばらくまでは突き続けて押し出す(突き出す)相撲であったが,2018年に徐々にこの取り口を身に着け,九月場所にて覚醒,九州場所の優勝につながった。以降は引退までこの取り口を磨き続けることになる。
突き押しの力士は成績が安定しない傾向があるが,大関時代の貴景勝はこの独特のスタイルゆえに例外的に安定した成績を残し,この点でも稀有な力士であった。動きが直線的でなく横の動きに強く,引き技を食うことが少なかったのも強みであろう。組んだら相撲にならないとは言われていて,実際に本人も大関に昇進した頃は四つ相撲も覚えないと綱取りは難しいのではという世間の声に対して「突き押し一本で横綱になりたい」と述べていた。しかし,大関に長く在位するうちに四つ相撲も磨かれていって,小手投げやすくい投げは意外と上手く,2023-24年はそれで拾った白星も多い。
とはいえ,立ち合いや突き押しの威力は横綱・大関として見るなら相対的に高かったとは言い難く,貴景勝の突き押しの威力はあくまでいなしが挟まることを前提とした強さであった。立ち合いや突きの強烈な一撃で崩すタイプにはなりたくてもなれなかったのだろう。逆に言えば,得意のいなしはある程度の突き押しの威力があってこそで,さりながら体調が悪かったりケガがあったりすると途端に突き押しの威力が落ちてしまうところがあって,全く突けずに相撲にならない負け方が目立った。特に引退直前の時期は組まれて負けるというより,四つ相撲の力士相手に離れたまま取って負ける場面が目立った。
これからの幕内で,あの独特のリズムから繰り出される突きといなしが見られないかと思うと寂しい。突き押しの名手と呼ばれるような後継者を育ててほしい。お疲れ様でした。
Posted by dg_law at 22:23│Comments(4)
この記事へのコメント
* ある時期の大相撲を振り返るときに真っ先に出てくる象徴的存在であった。
* 四股名「貴景勝」は、(「若元春」「若隆景」ともども、))今でも変だと思っている(もちろんもう慣れたけれども)。
(部屋の通字(この場合は「貴」)を何が何でも入れる、というのも含めてあんまり好みではない…)
* (もちろん会ったことなどないので実際は知らないが、)
本場所のインタビューでも、民放ヴァラエティ番組など見ても、
「純情無口でありながら、面白いことも言える」
というあの感じは私も含めてファンから慕われた。
「横綱を目指す」と公言していたのも好感が持てた
* 下位時代をちゃんとみていないが&うろ覚えで書くと、ベストバウトは
* 優勝決定戦で照ノ富士に勝った相撲
* 優勝決定戦で琴勝峰をすくい投げた相撲
あたりか
* DG-Lawさんの技術論はNHK解説等でも言及されない部分も多く、非常に参考になる
* 四股名「貴景勝」は、(「若元春」「若隆景」ともども、))今でも変だと思っている(もちろんもう慣れたけれども)。
(部屋の通字(この場合は「貴」)を何が何でも入れる、というのも含めてあんまり好みではない…)
* (もちろん会ったことなどないので実際は知らないが、)
本場所のインタビューでも、民放ヴァラエティ番組など見ても、
「純情無口でありながら、面白いことも言える」
というあの感じは私も含めてファンから慕われた。
「横綱を目指す」と公言していたのも好感が持てた
* 下位時代をちゃんとみていないが&うろ覚えで書くと、ベストバウトは
* 優勝決定戦で照ノ富士に勝った相撲
* 優勝決定戦で琴勝峰をすくい投げた相撲
あたりか
* DG-Lawさんの技術論はNHK解説等でも言及されない部分も多く、非常に参考になる
Posted by acsusk at 2024年09月29日 09:26
過分なお褒めの言葉ありがとうございます。技術論はいろいろな親方の話を読んだり聞いたりして参考にしています。新聞記事は各社で親方の解説が全然違ったりして面白いですね。
貴景勝,ヴァラエティ番組だと「純情無口でありながら、面白いことも言える」感じですか。稀勢の里がそうだったように,引退後は解説の席などでよく話してくれると嬉しいです。NHKが呼ばないはずはないと思うので,期待して待ちたいと思います。
ベストバウトに異論なしです。特に後者は「小手投げやすくい投げは意外と上手く,2023-24年はそれで拾った白星も多い。」という典型例という意味では象徴的な一番かもしれません。
貴景勝,ヴァラエティ番組だと「純情無口でありながら、面白いことも言える」感じですか。稀勢の里がそうだったように,引退後は解説の席などでよく話してくれると嬉しいです。NHKが呼ばないはずはないと思うので,期待して待ちたいと思います。
ベストバウトに異論なしです。特に後者は「小手投げやすくい投げは意外と上手く,2023-24年はそれで拾った白星も多い。」という典型例という意味では象徴的な一番かもしれません。
Posted by DG-Law at 2024年10月01日 00:42
2020年代前半にかけては照ノ富士と貴景勝の時代だったといっても良い名大関でした。
貴景勝は、相撲スタイルに細かい改良を続けており、割といつの時代を見るかで印象も変わるような気がします。
2回目の優勝あたりは体重増加もあり、立ち合いの威力も最盛期に思えますし、そのあたりが全盛期だったのかなと今になっては思います。過去の映像が流れた際に、私の母が太りすぎたんじゃない?と言ってましたが、こればかりは難しい。力士寿命は長くなったかもしれませんが、大関5年は厳しかったかなと思ったり。
首の怪我があり少々低迷した時期がありながらも、22年後半からは復調。あの時期の意地の小手投げ・掬い投げは印象的でした。しかしながら、結果として早すぎる円熟期となったのは、もの悲しくも思えます。
合口としては負け越しているのが、最初期に対戦した白鵬・鶴竜・豪栄道、あとは晩年期の大の里、平戸海は致し方なし。対戦が多くて負け越しているのは照ノ富士と、阿炎・翔猿(といっても後ろ2人はほぼ互角ですが)基本的に、対処方法はわかるけれども、それを実行するのが難しかったという印象です。バリエーションが多い最近の大関陣とは一線を画している感じがしました。
割とノリのいいところもあるので、解説を聞けるのは楽しみです。
貴景勝は、相撲スタイルに細かい改良を続けており、割といつの時代を見るかで印象も変わるような気がします。
2回目の優勝あたりは体重増加もあり、立ち合いの威力も最盛期に思えますし、そのあたりが全盛期だったのかなと今になっては思います。過去の映像が流れた際に、私の母が太りすぎたんじゃない?と言ってましたが、こればかりは難しい。力士寿命は長くなったかもしれませんが、大関5年は厳しかったかなと思ったり。
首の怪我があり少々低迷した時期がありながらも、22年後半からは復調。あの時期の意地の小手投げ・掬い投げは印象的でした。しかしながら、結果として早すぎる円熟期となったのは、もの悲しくも思えます。
合口としては負け越しているのが、最初期に対戦した白鵬・鶴竜・豪栄道、あとは晩年期の大の里、平戸海は致し方なし。対戦が多くて負け越しているのは照ノ富士と、阿炎・翔猿(といっても後ろ2人はほぼ互角ですが)基本的に、対処方法はわかるけれども、それを実行するのが難しかったという印象です。バリエーションが多い最近の大関陣とは一線を画している感じがしました。
割とノリのいいところもあるので、解説を聞けるのは楽しみです。
Posted by gallery at 2024年10月01日 09:26
>2回目の優勝あたりは体重増加もあり、立ち合いの威力も最盛期に思えますし、そのあたりが全盛期だったのかなと今になっては思います。
なるほど,あの体重増加はそういう解釈が。確かに,いなしに頼らない突き押しを目指して立ち合いの圧力を増そうと思っていたのであれば辻褄が合います。その後は身体への負担が重すぎてケガを誘発する結果になってしまった可能性があるのが残念です。
私もそうですが,皆割りと晩年の小手投げ・掬い投げ好きなんですかねw。意外性があったのと,実際に有効だったからでしょうか。
対戦相手を見ると合口が悪い力士が少なく,誰としてもある程度は勝負になっていたのが見て取れ,これも安定感があった理由かもしれないなと思いました。その中で比較的苦手だったのが阿炎・翔猿で,これはなんとなくわかる気がします。
>割とノリのいいところもあるので、解説を聞けるのは楽しみです。
やはり稀勢の里と同じタイプですかね。期待を増しておきます。
なるほど,あの体重増加はそういう解釈が。確かに,いなしに頼らない突き押しを目指して立ち合いの圧力を増そうと思っていたのであれば辻褄が合います。その後は身体への負担が重すぎてケガを誘発する結果になってしまった可能性があるのが残念です。
私もそうですが,皆割りと晩年の小手投げ・掬い投げ好きなんですかねw。意外性があったのと,実際に有効だったからでしょうか。
対戦相手を見ると合口が悪い力士が少なく,誰としてもある程度は勝負になっていたのが見て取れ,これも安定感があった理由かもしれないなと思いました。その中で比較的苦手だったのが阿炎・翔猿で,これはなんとなくわかる気がします。
>割とノリのいいところもあるので、解説を聞けるのは楽しみです。
やはり稀勢の里と同じタイプですかね。期待を増しておきます。
Posted by DG-Law at 2024年10月04日 22:25