2024年12月27日
2024年7〜10月に行った展覧会
東博の神護寺展。和気清麻呂が建立し,空海が経営した真言宗の古刹。火災に遭って院政期に崩壊したが,「鎌倉殿の13人」にも登場する文覚が源頼朝の支援で再興したという。文覚は大河だとかなりアレな人物だったが,今回出品された寺宝の中には重文指定された文覚の著作もあり,こんな真っ当な方面で歴史に名を残していた。むしろ大河ドラマでの描き方はなぜあんな風になっていたのか。その文覚の孫弟子がかの明恵である。 明恵は高山寺のイメージしかなかったので,明恵所縁の寺とは思っていなかった。というよりも神護寺の場所を知らなかったので,高山寺の近隣で,高山寺は神護寺の別院だったというのをこの展覧会で知った。ただし,高山寺は明恵が神護寺の後に東大寺で修行していたために華厳宗である。別に神護寺と喧嘩別れして宗派が変わったわけではない。
今回の展覧会の目玉展示は有名な伝源頼朝像で,やはり文覚つながり,なるほど神護寺の所有物なら伝源頼朝となった理由もわかる。また日本史クラスタなら必見の紀伊国桛田荘絵図が展示されていた。これもまたこの展覧会で初めて知ったのだが,桛田荘は神護寺の荘園だったのだな。他では「風信帖」か。これは東寺の所蔵品であり,本展覧会のために借りてきたようだ。その他,国宝・重文指定の仏像が多数展示されていたが,仏像の国宝・重文は多いのでさして珍しくもなく。やはり見どころはどちらかというと史料系の展覧会だったように思われる。
サントリー美術館の英一蝶展。狩野派に学んで確かな技術を持ちながら,ユーモア混じりの風俗画に全力を注いだ元禄期の奇才。吉原では有名な太鼓持ち(幇間)であったらしい。松尾芭蕉に学んで俳諧の道にも進み,こちらの面でも活躍している。今回の展覧会では俳諧師としての英一蝶が重点的に紹介されており,彼の作った俳句が載った句集の展示が多かった。しかし,遊びが過ぎて47歳から58歳までの約10年間,三宅島に流罪となった。この島流しの原因について,展示では生類憐みの令を風刺した作品を描いたからという説と,幇間として活躍しすぎて武家の風紀を乱した(ある殿様に花魁を見受けさせた)からという説を取り上げていた。この流罪の間も伊豆諸島の社寺に作品を納めているほか,江戸から発注を受けて画業を積んでいたから,流石は当時の人気画家である。通史の画集に載っているような代表作もこの「島一蝶」の時期に描かれた。後に恩赦で江戸に戻ると,一度は脱風俗画宣言をして仏画に専念するも,結局風俗画を捨てきれなかった。ユーモアの業は深い。実際に江戸に帰ってきてからの作品の方が垢抜けていて面白いように思われた。
三井記念美術館のバーミヤン大仏展。展示品は東博の東洋館と根津美術館の常設展に行けば見られるようなものが多く,期待していたよりは面白くなかった。一応,バーミヤン東大仏の天井に太陽神が,西大仏には弥勒菩薩が描かれていることに掛けてそれぞれの信仰の伝播を追う形でまとめられていたのは特徴的だったか。文明の十字路に位置していただけあって,西はギリシア・イランから,南はインドから様々な図像が流れ込み,バーミヤン石窟の図像を形成している。しかし,そろそろ目新しい,2016年の東博のアフガニスタン展を超えるような,シルクロードメインの企画展を見たい。
三の丸尚蔵館の花鳥風月展。三井記念美術館の後にはしごで行った。秋の花鳥風月を表す江戸後期から大正期の工芸品・絵画が展示されており,全般的にまずまず良い。途中で犬山城と竹島を描いた掛け軸が出てきて東三河民として微妙に嬉しかった。風光明媚な観光名所ではあるが,まさかここで出会うとは全く思っておらず。犬山城はともかく,竹島を明治・大正期の美術作品の題材として見たのは初めてだと思う。
今回の展覧会の目玉展示は有名な伝源頼朝像で,やはり文覚つながり,なるほど神護寺の所有物なら伝源頼朝となった理由もわかる。また日本史クラスタなら必見の紀伊国桛田荘絵図が展示されていた。これもまたこの展覧会で初めて知ったのだが,桛田荘は神護寺の荘園だったのだな。他では「風信帖」か。これは東寺の所蔵品であり,本展覧会のために借りてきたようだ。その他,国宝・重文指定の仏像が多数展示されていたが,仏像の国宝・重文は多いのでさして珍しくもなく。やはり見どころはどちらかというと史料系の展覧会だったように思われる。
昼間に行った東博の神護寺展。和気清麻呂が建立し,空海が経営した真言宗の古刹。火災に遭って院政期に崩壊したが,「鎌倉殿の13人」にも登場する文覚が源頼朝の支援で再興したという。大河だとかなりアレな人物だったが,こんな真っ当な方面で歴史に名を残していた。その孫弟子がかの明恵である。 pic.twitter.com/0dntotGhlf
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) July 21, 2024
サントリー美術館の英一蝶展。狩野派に学んで確かな技術を持ちながら,ユーモア混じりの風俗画に全力を注いだ元禄期の奇才。吉原では有名な太鼓持ち(幇間)であったらしい。松尾芭蕉に学んで俳諧の道にも進み,こちらの面でも活躍している。今回の展覧会では俳諧師としての英一蝶が重点的に紹介されており,彼の作った俳句が載った句集の展示が多かった。しかし,遊びが過ぎて47歳から58歳までの約10年間,三宅島に流罪となった。この島流しの原因について,展示では生類憐みの令を風刺した作品を描いたからという説と,幇間として活躍しすぎて武家の風紀を乱した(ある殿様に花魁を見受けさせた)からという説を取り上げていた。この流罪の間も伊豆諸島の社寺に作品を納めているほか,江戸から発注を受けて画業を積んでいたから,流石は当時の人気画家である。通史の画集に載っているような代表作もこの「島一蝶」の時期に描かれた。後に恩赦で江戸に戻ると,一度は脱風俗画宣言をして仏画に専念するも,結局風俗画を捨てきれなかった。ユーモアの業は深い。実際に江戸に帰ってきてからの作品の方が垢抜けていて面白いように思われた。
サントリー美術館の英一蝶展。狩野派に学んで確かな技術を持ちながら、ユーモア混じりの風俗画に全力を注いだ元禄期の奇才。遊びが過ぎて三宅島に流罪になり、約10年後に恩赦で江戸に戻ると、一度は脱風俗画宣言をして仏画に専念するも、結局風俗画を捨てきれなかった。ユーモアの業は深い。 pic.twitter.com/h55GD00NY2
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 18, 2024
三井記念美術館のバーミヤン大仏展。展示品は東博の東洋館と根津美術館の常設展に行けば見られるようなものが多く,期待していたよりは面白くなかった。一応,バーミヤン東大仏の天井に太陽神が,西大仏には弥勒菩薩が描かれていることに掛けてそれぞれの信仰の伝播を追う形でまとめられていたのは特徴的だったか。文明の十字路に位置していただけあって,西はギリシア・イランから,南はインドから様々な図像が流れ込み,バーミヤン石窟の図像を形成している。しかし,そろそろ目新しい,2016年の東博のアフガニスタン展を超えるような,シルクロードメインの企画展を見たい。
三井記念美術館のバーミヤン大仏展。展示品は東博の東洋館と根津美術館の常設展に行けば見られるようなものが多かった。一応、バーミヤン東大仏の天井に太陽神が、西大仏には弥勒菩薩が描かれていることに掛けてそれぞれの信仰の伝播を追う形でまとめられていたのは特徴的だったか。 pic.twitter.com/AW8gmqw8cy
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 19, 2024
三の丸尚蔵館の花鳥風月展。三井記念美術館の後にはしごで行った。秋の花鳥風月を表す江戸後期から大正期の工芸品・絵画が展示されており,全般的にまずまず良い。途中で犬山城と竹島を描いた掛け軸が出てきて東三河民として微妙に嬉しかった。風光明媚な観光名所ではあるが,まさかここで出会うとは全く思っておらず。犬山城はともかく,竹島を明治・大正期の美術作品の題材として見たのは初めてだと思う。
三の丸尚蔵館の花鳥風月展。秋の花鳥風月を表す江戸後期から大正期の工芸品、絵画を展示。全般的にまずまず良い。犬山城と竹島を描いた掛け軸が出てきて東三河民として微妙に嬉しかったり。 pic.twitter.com/5q8KLnKPIr
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 19, 2024
Posted by dg_law at 00:06│Comments(0)