2025年05月13日

2025年4月に行った展覧会

サントリー美術館のガレ展。美術史紹介VTuberとして活躍している儒烏風亭らでんさんがPR案件を受けていたので,応援の意味も兼ねて鑑賞。ガレは作品数が多いがためにいろいろなところで見ていてやや食傷気味ではあったが,こうして画業を追う形で整理されたものを見ると新鮮で面白く,結果的に行って良かった。自分のガレ像が晩年に偏っていたのを確認できた。初期は普通の造形をしていて,色も月光色ガラスに代表される薄い色彩の方が多い。また,ガレといえばジャポニスムの愛好家として有名であるが,それは我々が日本人であるからこその視点であり,むしろガレは様々なものから着想を得ていて,日本美術はその一環でしかなかったようである。ガラスで青磁を再現したらしきものや,アラベスクを採用したイスラーム風の陶器もあって,芸の幅が広い。アール・ヌーヴォーだけがガレの型ではないのだ。一方で晩年の作品は従来持っていたイメージ通りの作品が多い。美しさと毒々しさの境界をねらったかのような色彩と造形。代表作のきのこのランプは,今回15年ぶりの点灯とのこと。
 動画内でらでんさんも触れていたが,今回は万博出品物の注文リストが展示されていた。これがあるから来歴を辿れるという点で,美術史学的には重要であり,ろくに読めやしないが,やはり展示されていると嬉しい。
 また,ガレは地元(ロレーヌのナンシー)愛が強く,若い頃には同郷のジャック・カロの絵を使った作品も残していた。郷土愛の強い作家というイメージが無かったので新鮮だった。しかし,ガレが老境に入った19世紀末のフランスはドレフュス事件が国論を二分しており,ガレは熱心なドレフュス擁護派であった。それ自体はパリの知識人として不思議ではないが,故郷のナンシーはロレーヌの割譲されなかった側であったために反ドレフュス派が強く,ガレは板挟みに苦しんだとのこと。田舎と都会の価値観の相違や,ナショナリズムと郷土愛の相違など,現代にも通じるものが多いエピソードで,きのこのランプを眺めながらちょっと悩んでしまった。





科博の「古代人のDNA」展。実質的には白保人のお披露目会。縄文人以前の南西諸島人の完全なDNAが発見されたことで研究が飛躍的に進み,縄文人は東南アジアから来た人々と北東アジアから来た人々の混血と判明しつつある。これに東アジア系の弥生人が混血して現生日本人が形成された……ということが説明されていた。現生日本人が縄文人と弥生人の混血であること,その割合が概ね2:8くらいであること等は知っていたが,縄文人もさらに混血だったというのは知らなかったので,新鮮な知識が得られた。ついでにノーベル生理学・医学賞をとっているスバンテ・ペーボ教授が今は沖縄科学技術大学院大学にいることも知らなかったので驚いた。沖縄科学技術大学院大学は大学院大学であることもあって知名度が低いが,理系の研究環境は非常に良くて実績も上がっているという話は聞くが,ノーベル賞受賞者までいるとは。
 また,縄文時代と弥生時代の境目についての研究も自分が知っているところから随分と進歩している印象を受けた。弥生時代の開始がさかのぼって前9世紀説があるのは知っていたが(というよりも高校日本史にも下りてきている),とうとう前11世紀の稲作伝播の痕跡まで見つかっていたとは。また,今回の展示は縄文人と弥生人の交雑を深掘りしていてかなり面白かったが,豊橋に重要な遺跡があったというのも知らなかった。完全に豊橋市民にしかわからない地名を出すと,今の石巻には弥生人が住んでいた白石遺跡が見つかっており,今の牟呂には縄文人が住んでいた大西遺跡(貝塚)が見つかっている。伊勢湾岸にはこうした縄文人と弥生人の集落が近隣に位置していて,交流があったことが発掘調査でわかっていて,おそらく縄文人と弥生人の交雑もこうしたところから進んだのではないか,というようなことが説明されていた。……という話を友人にしたところ「ということは,縄文人の八奈見さんと弥生人の温水くんがいたということでは」という返しが来て笑ってしまった。異常にしっくり来るのはなぜだろう。貝ばっか食ってる八奈見さんはやはりラッコ。
 その他,北海道と南西諸島の展示も豊富で,ちゃんと「日本の」古代人を網羅しようという意気込みを感じた。高校日本史だと貝塚時代の一言で終わってしまう貝塚時代も弥生人との交流の様子がわかって良かった。おまけであった犬の歴史と猫の歴史も面白く,極めて行く価値が高い企画展だと思う。




芸大美術館の相国寺展。京都五山の第二位,足利義満が発願し,春屋妙葩を実質的な創建者とする室町幕府の重要拠点。如拙・周文を輩出し,雪舟も修行した。末寺には鹿苑寺・慈照寺がある。それだけに貴重な史料が多い展覧会で,義堂周信・絶海中津と聞いて高校日本史を懐かしめる人は行くべきである。彼らの史料が多く展示されており,春屋妙葩の漢文訓読の勉強ノートや雪舟の修行時代の絵,永楽帝が「源道義」宛に送った勅書あたりは相国寺らしい宝物で良かった。春屋妙葩の漢文訓読の勉強ノートは,春屋妙葩も現代の高校生同様,返点やふりがなを振って勉強していた様子が見て取れ,漢文という科目の面白さを感じる。雪舟の若書きも後の作品と違ってどこか硬い。
 相国寺は室町幕府の重要拠点だっただけあって応仁の乱で壊滅的な打撃を受けたが,豊臣政権と江戸幕府の支援で復興した。京都の寺院にはよくあるパターンで,江戸幕府が作った平和は京都にとっても影響が大きかった。江戸後期には伊藤若冲と縁があり,鹿苑寺の大書院襖絵は若冲作である。今回の展示で最も見応えがあったのはこれで,室町時代からの一級品が並ぶ本展覧会の中でも,やはり伊藤若冲は異常に上手い。最後に,承天閣美術館を建てただけあって相国寺は文化財保護に熱心であり,これからも収集を続けるというアピール……というよりも宣言があって展示が終わる。承天閣美術館は行ったことがないので,そこまで言うなら一度見に行ってみようかな。