2025年07月04日
現代のイスラーム主義運動・組織を高校世界史上でどう呼び表すべきか
久々の高校世界史深掘りシリーズ。近現代のイスラーム世界において,反欧米・反近代化へのイデオロギー,あるいはナショナリズムの柱としてイスラーム教が用いられることが多く,それらは「イスラーム主義」と総称される。しかし,その発露は「ムハンマドに立ち返れ」というスローガンを掲げてアラビア半島のアラブ人ナショナリズムと結びついたワッハーブ派から,アフガーニーのようにイスラーム教徒間の差異を乗り越えて団結を促したパン=イスラーム主義まで,イスラーム主義と言ってもその幅は広い。「ムハンマドに立ち返れ」というのも,精神だけの話なのか,本当にシャリーアを厳格に運用すべきという話なのかによって内実が違うし,達成手段が民衆の支持を広げる穏健的なものか,武装闘争によるものかでも違う。対英仏で反帝国主義闘争の色彩が強かった近代のイスラーム主義と,対米・対イスラエルの色彩が強い現代のイスラーム主義を分けずに継続して扱ってよいものかという論点もある。つまり,単に「イスラーム主義」と呼ぶのは何も示していないに近い。
とりわけ現代のイスラーム主義系の組織をどう呼び表すべきかは難しい。一般に通りが良いのは「イスラーム原理主義」だが,元となる英語のファンダメンタリズムはキリスト教を対象とした言葉である上に蔑称気味の用法であるため価値中立的ではないとして近年では忌避される傾向がある。代わって登場したのが「イスラーム復興運動(復興主義)」であるが,人口に膾炙しているとは言いがたい。私自身は特にこだわりがないことに加えて,原理主義の言い換えであると伝わりやすく,かつ不快に思う人がいる可能性に鑑みて,自分が書く文章ではなるべく復興運動を使う。しかし,蔑視すべきというニュアンス含みなら原理主義の語を用いるのは正当であると思うし,他人が使っている分には咎めないというくらいの立場である。
さらに,イスラーム主義の達成手段が穏健的であるか過激であるかで分類されるが,現代のイスラーム主義組織は概ね全て復興運動である。そのまま全てつなげると「イスラーム復興運動過激派(穏健派)」となるが,漢字が7字も続くのは冗長である。このため復興運動の部分を省略する「イスラーム過激派」という呼称が一般的になっている。イスラーム過激派とほぼ同義語で「イスラーム急進派」の語が使われることもある。また,過激派と穏健派という軸はグラデーションであって,イラン=イスラーム革命やハマース等は人により意見が分かれる。これらに対してはあえて分類せず,「復興運動」とだけ呼ぶ逃げ方がある。
以上の呼称を整理すると以下の通り。
・イスラーム主義:イスラーム教の価値観を元に団結を促したり,それに沿った社会の形成を目指したりする思想・運動。あまりにも意味の範囲が広く多様。
・イスラーム原理主義:「ムハンマドに立ち返る」ことをスローガンとした思想・運動。蔑視するニュアンスを含むため現在では使用を忌避されることが多い。
・イスラーム復興運動:原理主義の柔らかな言い方,言い換え。
・イスラーム過激派:イスラーム主義の達成のため手段を選ばない運動・組織。現代では概ね復興運動であり,実質的にイスラーム復興運動過激派の省略形。
・イスラーム急進派:過激派とほぼ同義語。
というように一般社会や研究者のレベルで用語が混乱しているため,当然高校世界史上でも混乱している。これを整理した表を作成し,各教科書の執筆者の立場を観察したところ,面白い調査結果が得られた。調査対象は世界史探究の教科書の全7冊と山川の用語集『詳説世界史研究』の計9冊。「用語なし」とは用語を使わずに(特に分類せずに)記載があるという意味,「―」はその用語が教科書に記載されていないという意味である。例によって表はライブドアブログでは直貼りできないので,別途はてなブログに掲載しておく。文字データが欲しい人はそちらを使ってほしい。

山川の『詳説世界史』は,イスラーム主義の語を推して,穏健派を含む言い方と定義している。イラン革命とターリバーンとムスリム同胞団を並べて,一度は合法的な選挙でエジプトの政権をとったムスリム同胞団を相対的な穏健派と表すことで,幅が広い語であることに説得力を持たせている。アル=カーイダに対しては急進派,ISには過激派の語を用いているが,十分な過激派と思われるターリバーンにはどちらも使っていないのはやや不可解である。二度も政権をとった組織に対する配慮なのだろうか。また,過激派と急進派の使い分けについては説明が無い。おそらく単なるミスか,筆者が異なることによる不統一である。
山川の『新世界史』は原理主義の語の使用と貫いている。教科書の執筆者が原理主義の語のニュアンスを知らないわけはないので,執筆者の剛毅な価値判断が含まれている。修正しなかった山川出版社の判断も含めて,これはこれで尊重すべき立場であろう。傍注で「宗教的教えをそのまま世俗社会に適用しようとする態度」と補足しており,いかにも手厳しい。一方,同じ傍注で「どの宗教にも多少とも存在する」とも注記していて,原義やイスラーム教に対する偏見への配慮がある。その中でアル=カーイダだけ急進派に分類しているのは謎である。とりわけ急進的という判断なのだろうか。ISが最も過激であるように思われるが……。
東京書籍は「復興運動」で統一している。また,イスラーム復興運動に直接的に分類しているのはイラン=イスラーム革命とターリバーンのみで,アル=カーイダとISは単なるテロ組織という扱いである。イスラーム復興運動に分類する義理さえ無いということかもしれないし,単に紙幅の都合で省略したか,これらがイスラーム復興運動なのは当然と考えて省略しただけかもしれない。なお,傍注でキリスト教原理主義に触れた上で「これにちなんでイスラーム復興運動をイスラーム原理主義とよぶこともある。」と補足している。
帝国書院はイラン=イスラーム革命のみイスラーム復興運動とし,他の3つは過激派という表現である。これはイラン=イスラーム革命の価値判断を避けて中立的な復興運動の語を用い,その他は配慮不要なので過激派としたということで,態度が鮮明である。イラン=イスラーム革命の説明に続く本文で「一方,イスラーム復興運動には平和的で穏健な活動を行うものも少なくなかった」と補足しており,イラン=イスラーム革命が穏健とも過激とも言いにくいということを示唆しているのはテクニカルな処理で面白い。ターリバーンも容赦なく過激派にしているのも好感が持てる。ターリバーンはイラン=イスラーム革命の側かアル=カーイダの側かと言われたら,やはり後者だろうと思われ,他社が日和っている方がわからない。なお,資料集の『タペストリー』ではムスリム同胞団を穏健派,ハマースとヒズボラ(ヒズブッラー)を中間に位置づけて説明している。ヒズボラは過激派でいいような気はする。
実教出版は山川の『詳説世界史』とほぼ同じ態度であり,原理主義については傍注で近年は使われないことを説明している。この傍注の説明は誠実で良い。
非受験用の2冊はあまりにも説明がない。第一教科書に至っては,2020年代の世界史の教科書としてターリバーンもアル=カーイダも載ってないというのは許されるのか。
山川の用語集はイスラーム主義と復興運動を同義語としている点でかなり問題がある。イラン=イスラーム革命とムスリム同胞団を単に主義(復興運動)として価値判断を避けているのはいいとして,過激派と急進派が混在しているのも問題である。全面的にリライトした方が良いのでは。
最後に山川の『詳説世界史研究』も混乱が甚だしい。イラン=イスラーム革命とヒズボラ(ヒズブッラー)は復興運動,ムスリム同胞団はイスラーム主義,アル=カーイダは急進派,ターリバーンは過激派と全てばらばらである。なお,ISについては出版年が2017年であるために言及が無かった。そろそろ改訂してほしい。
一応の集計をとると,イラン=イスラーム革命は「復興運動」,アル=カーイダは「急進派」,ターリバーンは「イスラーム主義」,ISは「過激派」,ムスリム同胞団はそもそも載せていない教科書が多いということになるだろうか。私的にはそれほど異論はないが,やはりターリバーンにやけに甘いのと,過激派と急進派の無意味な混在は気になる。
〔おまけ:歴史総合編〕
話題が近現代史なので,歴史総合の教科書12冊についても調べてみた。歴史総合は世界史探究に比べると内容が薄いため運動名・組織名が記載されていないことが多く,統計的な意味は薄い。その点はご了承いただきたい。

表を見ての雑感をつらつらと書いておく。歴史総合では実教出版が「原理主義」と突っ張っている。アル=カーイダは急進派と過激派で意見が割れている点で世界史探究と同じ。ターリバーンはやはり日和って単にイスラーム主義とする教科書が多い,というところか。
とりわけ現代のイスラーム主義系の組織をどう呼び表すべきかは難しい。一般に通りが良いのは「イスラーム原理主義」だが,元となる英語のファンダメンタリズムはキリスト教を対象とした言葉である上に蔑称気味の用法であるため価値中立的ではないとして近年では忌避される傾向がある。代わって登場したのが「イスラーム復興運動(復興主義)」であるが,人口に膾炙しているとは言いがたい。私自身は特にこだわりがないことに加えて,原理主義の言い換えであると伝わりやすく,かつ不快に思う人がいる可能性に鑑みて,自分が書く文章ではなるべく復興運動を使う。しかし,蔑視すべきというニュアンス含みなら原理主義の語を用いるのは正当であると思うし,他人が使っている分には咎めないというくらいの立場である。
さらに,イスラーム主義の達成手段が穏健的であるか過激であるかで分類されるが,現代のイスラーム主義組織は概ね全て復興運動である。そのまま全てつなげると「イスラーム復興運動過激派(穏健派)」となるが,漢字が7字も続くのは冗長である。このため復興運動の部分を省略する「イスラーム過激派」という呼称が一般的になっている。イスラーム過激派とほぼ同義語で「イスラーム急進派」の語が使われることもある。また,過激派と穏健派という軸はグラデーションであって,イラン=イスラーム革命やハマース等は人により意見が分かれる。これらに対してはあえて分類せず,「復興運動」とだけ呼ぶ逃げ方がある。
以上の呼称を整理すると以下の通り。
・イスラーム主義:イスラーム教の価値観を元に団結を促したり,それに沿った社会の形成を目指したりする思想・運動。あまりにも意味の範囲が広く多様。
・イスラーム原理主義:「ムハンマドに立ち返る」ことをスローガンとした思想・運動。蔑視するニュアンスを含むため現在では使用を忌避されることが多い。
・イスラーム復興運動:原理主義の柔らかな言い方,言い換え。
・イスラーム過激派:イスラーム主義の達成のため手段を選ばない運動・組織。現代では概ね復興運動であり,実質的にイスラーム復興運動過激派の省略形。
・イスラーム急進派:過激派とほぼ同義語。
というように一般社会や研究者のレベルで用語が混乱しているため,当然高校世界史上でも混乱している。これを整理した表を作成し,各教科書の執筆者の立場を観察したところ,面白い調査結果が得られた。調査対象は世界史探究の教科書の全7冊と山川の用語集『詳説世界史研究』の計9冊。「用語なし」とは用語を使わずに(特に分類せずに)記載があるという意味,「―」はその用語が教科書に記載されていないという意味である。例によって表はライブドアブログでは直貼りできないので,別途はてなブログに掲載しておく。文字データが欲しい人はそちらを使ってほしい。

山川の『詳説世界史』は,イスラーム主義の語を推して,穏健派を含む言い方と定義している。イラン革命とターリバーンとムスリム同胞団を並べて,一度は合法的な選挙でエジプトの政権をとったムスリム同胞団を相対的な穏健派と表すことで,幅が広い語であることに説得力を持たせている。アル=カーイダに対しては急進派,ISには過激派の語を用いているが,十分な過激派と思われるターリバーンにはどちらも使っていないのはやや不可解である。二度も政権をとった組織に対する配慮なのだろうか。また,過激派と急進派の使い分けについては説明が無い。おそらく単なるミスか,筆者が異なることによる不統一である。
山川の『新世界史』は原理主義の語の使用と貫いている。教科書の執筆者が原理主義の語のニュアンスを知らないわけはないので,執筆者の剛毅な価値判断が含まれている。修正しなかった山川出版社の判断も含めて,これはこれで尊重すべき立場であろう。傍注で「宗教的教えをそのまま世俗社会に適用しようとする態度」と補足しており,いかにも手厳しい。一方,同じ傍注で「どの宗教にも多少とも存在する」とも注記していて,原義やイスラーム教に対する偏見への配慮がある。その中でアル=カーイダだけ急進派に分類しているのは謎である。とりわけ急進的という判断なのだろうか。ISが最も過激であるように思われるが……。
東京書籍は「復興運動」で統一している。また,イスラーム復興運動に直接的に分類しているのはイラン=イスラーム革命とターリバーンのみで,アル=カーイダとISは単なるテロ組織という扱いである。イスラーム復興運動に分類する義理さえ無いということかもしれないし,単に紙幅の都合で省略したか,これらがイスラーム復興運動なのは当然と考えて省略しただけかもしれない。なお,傍注でキリスト教原理主義に触れた上で「これにちなんでイスラーム復興運動をイスラーム原理主義とよぶこともある。」と補足している。
帝国書院はイラン=イスラーム革命のみイスラーム復興運動とし,他の3つは過激派という表現である。これはイラン=イスラーム革命の価値判断を避けて中立的な復興運動の語を用い,その他は配慮不要なので過激派としたということで,態度が鮮明である。イラン=イスラーム革命の説明に続く本文で「一方,イスラーム復興運動には平和的で穏健な活動を行うものも少なくなかった」と補足しており,イラン=イスラーム革命が穏健とも過激とも言いにくいということを示唆しているのはテクニカルな処理で面白い。ターリバーンも容赦なく過激派にしているのも好感が持てる。ターリバーンはイラン=イスラーム革命の側かアル=カーイダの側かと言われたら,やはり後者だろうと思われ,他社が日和っている方がわからない。なお,資料集の『タペストリー』ではムスリム同胞団を穏健派,ハマースとヒズボラ(ヒズブッラー)を中間に位置づけて説明している。ヒズボラは過激派でいいような気はする。
実教出版は山川の『詳説世界史』とほぼ同じ態度であり,原理主義については傍注で近年は使われないことを説明している。この傍注の説明は誠実で良い。
非受験用の2冊はあまりにも説明がない。第一教科書に至っては,2020年代の世界史の教科書としてターリバーンもアル=カーイダも載ってないというのは許されるのか。
山川の用語集はイスラーム主義と復興運動を同義語としている点でかなり問題がある。イラン=イスラーム革命とムスリム同胞団を単に主義(復興運動)として価値判断を避けているのはいいとして,過激派と急進派が混在しているのも問題である。全面的にリライトした方が良いのでは。
最後に山川の『詳説世界史研究』も混乱が甚だしい。イラン=イスラーム革命とヒズボラ(ヒズブッラー)は復興運動,ムスリム同胞団はイスラーム主義,アル=カーイダは急進派,ターリバーンは過激派と全てばらばらである。なお,ISについては出版年が2017年であるために言及が無かった。そろそろ改訂してほしい。
一応の集計をとると,イラン=イスラーム革命は「復興運動」,アル=カーイダは「急進派」,ターリバーンは「イスラーム主義」,ISは「過激派」,ムスリム同胞団はそもそも載せていない教科書が多いということになるだろうか。私的にはそれほど異論はないが,やはりターリバーンにやけに甘いのと,過激派と急進派の無意味な混在は気になる。
〔おまけ:歴史総合編〕
話題が近現代史なので,歴史総合の教科書12冊についても調べてみた。歴史総合は世界史探究に比べると内容が薄いため運動名・組織名が記載されていないことが多く,統計的な意味は薄い。その点はご了承いただきたい。

表を見ての雑感をつらつらと書いておく。歴史総合では実教出版が「原理主義」と突っ張っている。アル=カーイダは急進派と過激派で意見が割れている点で世界史探究と同じ。ターリバーンはやはり日和って単にイスラーム主義とする教科書が多い,というところか。
Posted by dg_law at 18:00│Comments(0)