2025年10月12日

2025年8月に行った展覧会・美術館/博物館(仁科神明宮など)

 根津美術館の唐絵展。宋元・明と中世日本の水墨画の所蔵品が展示されていた。その辺りは当然ながら東博が強く割と見慣れたものが多いが,一点だけ牧谿の「漁村夕照図」はここでしか見れないものであり,ほぼそれを見に行った形である。没骨で岩がちな漁村と湿度が高く重そうな空気の描写が素晴らしかった。他は東京の美術館の意地で関東の水墨画が多かったが,雪村をはじめとして,画家のことが大体何もわかってない(正確な生没年も画業も身分さえも)のがいかにも中世の関東。記録が残ってなさすぎる。
 今まで意外と夏の根津美術館に来た回数が少なく,真夏の庭は少し新鮮だった。そして自分のブログで振り返ってみると根津美術館に来訪したのは約4年ぶりのことだったらしい。それほど懐かしさは感じなかったものの,こんなに外国人観光客の多い美術館だったっけ? という違和感は覚えた。私が行っていない間にその方面への宣伝を増やしたのかもしれない。確かに青山にいきなり和風の庭園が現れるのは強い印象を与えるので良さそうである。


 近美の戦争画展。「戦争画」とは何か,どこまでの範囲かに言及してから始まる誠実な構成。その上で言えば,割と常設展で鑑賞できることが多い戦争記録画よりも,それ以外の展示の豊富さの方がありがたく,面白かった。認知戦にも言及があり,その代表例で鉄道に置き去りにされる赤ちゃんの有名な写真が出ていたのも意義深い。戦争記録画では大和絵風の香港陥落を描いた作品があり,キャプションでそう指摘されていた通り,戦争の美化という点では大和絵が最大限効果を発揮していたことに一番衝撃を受けた。その他,戦争記録画はバリエーションがかなりあって,なるほど「総力戦」である。
 本展覧会は,このためにかえって話題になっていた通り,あまり宣伝されず,図録も作られないという珍しい展覧会であった。美術館は表立っては予算不足と主張していたが,実際にはやはりセンシティブな話題である点の方が大きいだろうし,その理由を自分からは挙げづらかろう。しかし,戦後80年目として間違いなく意義のある展覧会であった。この内容で図録がないのはかなり残念なので,後からでもよいから,何かしら成果をまとめた書籍を制作してほしい。なお,クチコミで評判が広がっているため,かなり混雑していて,集客面は全く問題なさそうであった。
 常設展では登山に注目した小企画展が開催されていて,『山と溪谷』の創刊号(1930年刊行,80年復刻版)や,吉田博が描いた美ヶ原(推定)があったりして,これも面白かった。




 大町市の誇る国宝,仁科神明宮。世にも珍しい神明造で,途中(寛永13年:1636年)を最後に式年遷宮を完全な建て替えから部分補修に切り替えたため,本殿は日本最古の神明造の建築物となった。加えて永和4年(1376年)から20年に一度の式年遷宮の棟札が全て残っているという豊富な一次史料が国宝指定の決め手となった。この棟札は宝物収蔵庫に厳重に保管されているのだが,希望すれば中に入って鑑賞することができる。あまり知られていないのか,「宝物収蔵庫の中を見せてください」と職員の方にお願いすると,いかにも久々だという様子で鍵を開けにいっていた。
 宝物収蔵庫の中には20年おきの元号の入った棟札が並んでおり,先に挙げた寛永の他,応永・永享・明応・天文・元和・明暦……と見知った元号が並ぶ。中身の文章も読んでいくと戦国時代だと仁科の当主が戦争中で式典に参加できないことが書かれていたり,江戸時代に入ってからは棟札が豪華になって漢文がしっかりしたものになったりと読みがいがある。明治時代に入ると神仏分離・廃仏毀釈の影響や混乱があって二度ほど式年遷宮が遅れており,ここでしっかり20年周期ではなくなっている。やはり明治政府許せない。そのため直近の式年遷宮は令和元年(2019年)に実施されているが,令和元年の補修工の際にもきっちりと式年遷宮の形式が取られて棟札が制作され,漢文調で文科省の助成を報告しているのが最高に面白い。皆もっと棟札を見にいった方がいい。