2025年10月29日
2025年10月前半に行った展覧会(石川県立博物館,絵金)
白山登山の旅行で寄った石川県立博物館。建物は赤レンガ造りで,旧制第四高校の校舎をリノベーションしたもの。こういう県の歴史を語る県庁所在地にある博物館は大体において現地の戦国大名や江戸初期の藩主の称揚が中心になっていることが多いが,この博物館は前田利家・利長・利常・綱紀の扱いが驚くほど薄かった。この傾向は金沢城の展示でも同様で,これが青葉城なら伊達政宗を褒め称えていたところ,城としての特徴の説明に終始していた。そういう役割は石川県立博物館に併設の加賀本多博物館に固めてあるのかもしれないが,今回は訪問しなかった。そうでもなければ,金沢市民は意外と前田家に愛着がないということかもしれない(前田利長については高岡市の方が愛着を持っているかもしれない)。戦国時代について言えば,どちらかというと加賀一向一揆の扱いの方が大きく,ここだけ見ると前田家よりも一向一揆の方に思い入れがありそうに見えた。歴史よりも宗教の方が現役だからということだろうか。戦国時代以外では,平安時代の約400年間は記録があまり残っていないためにほぼカットされていた。よくあることではあるが,能登・加賀でもそうだったか。
行った時の企画展は九谷焼の歴史。陶磁器の輸入で財政が傾くものだから輸入代替化を目指したのが19世紀初頭,京都から青木木米を呼んで技術導入を図り,保護主義的な非関税障壁を用いた重商主義政策を取って藩内産業を育成しようとするも,なかなか上手くいかない。やっと何人かの天才が出てきて伊万里焼に見紛う金襴手が生産できるようになり,やっと投資が回収できそうになってきた頃に明治維新を迎え,加賀藩自体がなくなってしまった。しかし,九谷焼は明治時代に重要な輸出品に成長する。こうして見ると九谷焼の歴史は,幕末まで50・60年しかない時代に産業を生もうとするととこうなるという点で新鮮な歴史であり,短い中に苦難が多くて濃い。また,統一的な方針も無いまま現場任せだったので作品の幅が広く,珠洲焼にしか見えないものまであったのは面白かった。面白かったが珠洲焼と混ざっているようでは均質な商品の出荷を目指す産業としてあまり良くないわけで,クリエイティブな分野を育成するときは政治が口出ししても上手くいかないとは言うものの,キャッチアップ型の産業である場合はそうでもなく,ちゃんと口を出さないとダメそうという学びがある。
サントリー美術館の絵金展。絵金は「絵師金蔵」の略で,幕末から明治初期にかけての土佐で活躍した絵師である。作品の大半は芝居絵が多い。芝居絵とは歌舞伎や浄瑠璃の作品の一場面を二つ折りの屏風に描いた土佐特有の形式の美術作品であり,絵金は土佐で活動したからこそ芝居絵を描き続けたのだろう。歌舞伎らしい大ぶりの身振りと過激な色彩を特徴であり,兄弟弟子に河鍋暁斎がいるのも納得である。特に赤色の鮮やかさが絵の魅力であり,その魅力を活かすべく血飛沫がとぶ場面が多く,そうでなくとも目立つべき登場人物が赤色の着物を着ている。高知県では夏に絵金の作品を飾る祭りが開かれており,その再現展示にかなり力が入っていた。なお,この再現展示エリアに限って写真撮影OKであった。
展示の大半が芝居絵であったので,作品のキャプションには全作品とも元の芝居のあらすじと場面説明が書かれていたのだが,絵金の赤色が映えやすい作品選択のせいで,仇討ち物と悲劇が多かった。自分が歌舞伎と浄瑠璃に詳しくないこともあり,似たようなあらすじが多くて混同し,かなり頭の疲れる展覧会ではあった。芝居の登場人物が皆すぐ勘違いで切腹する。もちろん作品のキャプションは限られた紙幅の中でがんばって関係図も使って説明してくれているのだが,そもそも芝居のあらすじがかなり複雑なので,あれは限界がある。諦めて展示作品数を絞り,キャプションの面積を増やしても良かったのかもしれない。
ところで,この展覧会の感想ツイートをつぶやいたところ,普段は10ファボくらいつくところ,本ツイートは2ファボにとどまっている。絵金が私の周囲では全然知られていない可能性が高い。かく言う私も割と最近(多分直近5年くらい)知った画家ではあり,日本美術史の概説書でもあまり登場しないと思われ,知名度が一段下がるのは仕方がないところだろう。
行った時の企画展は九谷焼の歴史。陶磁器の輸入で財政が傾くものだから輸入代替化を目指したのが19世紀初頭,京都から青木木米を呼んで技術導入を図り,保護主義的な非関税障壁を用いた重商主義政策を取って藩内産業を育成しようとするも,なかなか上手くいかない。やっと何人かの天才が出てきて伊万里焼に見紛う金襴手が生産できるようになり,やっと投資が回収できそうになってきた頃に明治維新を迎え,加賀藩自体がなくなってしまった。しかし,九谷焼は明治時代に重要な輸出品に成長する。こうして見ると九谷焼の歴史は,幕末まで50・60年しかない時代に産業を生もうとするととこうなるという点で新鮮な歴史であり,短い中に苦難が多くて濃い。また,統一的な方針も無いまま現場任せだったので作品の幅が広く,珠洲焼にしか見えないものまであったのは面白かった。面白かったが珠洲焼と混ざっているようでは均質な商品の出荷を目指す産業としてあまり良くないわけで,クリエイティブな分野を育成するときは政治が口出ししても上手くいかないとは言うものの,キャッチアップ型の産業である場合はそうでもなく,ちゃんと口を出さないとダメそうという学びがある。
石川県立博物館。こちらの常設展でも前田家の展示は薄めで、むしろ一向一揆を誇っていた印象。 pic.twitter.com/HOrAfsNpBE
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 14, 2025
サントリー美術館の絵金展。絵金は「絵師金蔵」の略で,幕末から明治初期にかけての土佐で活躍した絵師である。作品の大半は芝居絵が多い。芝居絵とは歌舞伎や浄瑠璃の作品の一場面を二つ折りの屏風に描いた土佐特有の形式の美術作品であり,絵金は土佐で活動したからこそ芝居絵を描き続けたのだろう。歌舞伎らしい大ぶりの身振りと過激な色彩を特徴であり,兄弟弟子に河鍋暁斎がいるのも納得である。特に赤色の鮮やかさが絵の魅力であり,その魅力を活かすべく血飛沫がとぶ場面が多く,そうでなくとも目立つべき登場人物が赤色の着物を着ている。高知県では夏に絵金の作品を飾る祭りが開かれており,その再現展示にかなり力が入っていた。なお,この再現展示エリアに限って写真撮影OKであった。
展示の大半が芝居絵であったので,作品のキャプションには全作品とも元の芝居のあらすじと場面説明が書かれていたのだが,絵金の赤色が映えやすい作品選択のせいで,仇討ち物と悲劇が多かった。自分が歌舞伎と浄瑠璃に詳しくないこともあり,似たようなあらすじが多くて混同し,かなり頭の疲れる展覧会ではあった。芝居の登場人物が皆すぐ勘違いで切腹する。もちろん作品のキャプションは限られた紙幅の中でがんばって関係図も使って説明してくれているのだが,そもそも芝居のあらすじがかなり複雑なので,あれは限界がある。諦めて展示作品数を絞り,キャプションの面積を増やしても良かったのかもしれない。
ところで,この展覧会の感想ツイートをつぶやいたところ,普段は10ファボくらいつくところ,本ツイートは2ファボにとどまっている。絵金が私の周囲では全然知られていない可能性が高い。かく言う私も割と最近(多分直近5年くらい)知った画家ではあり,日本美術史の概説書でもあまり登場しないと思われ,知名度が一段下がるのは仕方がないところだろう。
特に赤色の鮮やかさが絵の魅力であり、血飛沫がとぶ場面が多く、そうでなくとも目立つべき登場人物が赤色の着物を着ている。高知県では夏に絵金の作品を飾る祭りが開かれており、その再現展示にかなり力が入っていた。 pic.twitter.com/jHj5YSSze3
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 17, 2025
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)