2025年12月27日
他にも「晩年」「晩稲」等があるか
・謎デザイン…でも歴史を知ると納得な、"面影ビル"がおもしろい(デイリーポータルZ)
→ 記事中に言及がある通り,腰巻ビルの拡張概念と言えそう。あるいは腰巻ビルが面影ビルの一種で,面影ビルの方が概念として広いか。3ページ目にあるような部分的な意匠が受け継がれているものは,個人的には別ジャンルじゃないかなと思う。好きか嫌いかで言えばこれも好きだが。
→ 腰巻ビルが嫌いな人に,腰巻ビルではない面影ビルの好悪を聞いてみたい。 私自身は腰巻ビルが嫌いではない,というよりも割と好きなので面影ビルも許せてしまう。ただし,腰巻ビルか面影ビルかどちらかで保存するなら,腰巻ビルを推したい。それっぽく残すくらいなら古いデザインと新しいデザインは切り離してほしい。しかし腰巻が無理で全面的に新しいデザインなるなら,面影が残っていると嬉しい。
・「はやい」という言葉は「速い」「早い」と意味に応じて漢字の書き分けができるが、「おそい」はslowとlateの違いを漢字で書き分けができないのはなぜか知りたい。(レファレンス協同データベース)
→ なるほど,本来のlateの方の漢字は「晩い」だったが,「遅い」に統合されてしまったと。「早晩」「晩春」といった熟語には残っているから言われてみると納得である。となるとなぜ統合されたのかが気になるが,このレファレンス協同データベースですら示されていないということは相当調べにくい・わからない理由なのだろうか。
→ 「早い」「速い」に比べると「遅い」一本でさして困らない感覚も確かにあって,なんとなく統合されたのかなという納得もあり。ブコメで挙がっていたが「遅延」や「遅刻」「遅参」といった,明らかにlateの意味合いで遅いが使われている熟語があるから,日本人は意外と昔から「遅」と「晩」をごちゃごちゃにして使っていたのかもしれない。
→ 他にももっと統合できたり,なぜ統合されたのかわからないものがあったりしそう。もっと気になったら挙げられている書籍を読めばよいのだろうが,ちょっとそこまでの気力がない程度の興味ではあり。
・彭澎「中国の科挙とは何だったのか? 本当にメリトクラシー(実力主義)に基づいた選別・統治手段だったのだろうか?」(経済学101)
→ 各種データは面白い。ただし,その上で言えば清朝で満洲人が科挙によらず任官されたのは当然であって,これを省くとやはり大多数は科挙官僚だったという逆の結論が導かれるのではないか。明や宋のデータも調べないと「中華王朝で科挙官僚は主流ではなかった」という結論は出せまい。とはいえ,私自身もどこかで北宋ですら意外と世襲(恩蔭)が多かったという論文を読んだことがあるので,調べる価値は十分にあるだろう。
→ 科挙が儒教道徳を内面化させるための施策であったとするのもそうだろう。中国では長く儒学教養こそが,現代の我々でいうところの「実力」とみなされてきた。だからこそ儒学教養を実力とは認めなかった当初の元は,儒教自体は尊重しつつも官僚登用にはほとんど考慮しなかった(後に中国の統治においては必要な実力と認めて科挙を再開させている)。何が統治において必要な実力と見なされるかは時代や地域によって全く異なるものだし,実力を測る試験はエリート層の心性に確実に影響を及ぼす。科挙はその心性の方に目的があったとするなら,世界史上の特異な制度と言えそうだ。
→ 記事中に言及がある通り,腰巻ビルの拡張概念と言えそう。あるいは腰巻ビルが面影ビルの一種で,面影ビルの方が概念として広いか。3ページ目にあるような部分的な意匠が受け継がれているものは,個人的には別ジャンルじゃないかなと思う。好きか嫌いかで言えばこれも好きだが。
→ 腰巻ビルが嫌いな人に,腰巻ビルではない面影ビルの好悪を聞いてみたい。 私自身は腰巻ビルが嫌いではない,というよりも割と好きなので面影ビルも許せてしまう。ただし,腰巻ビルか面影ビルかどちらかで保存するなら,腰巻ビルを推したい。それっぽく残すくらいなら古いデザインと新しいデザインは切り離してほしい。しかし腰巻が無理で全面的に新しいデザインなるなら,面影が残っていると嬉しい。
・「はやい」という言葉は「速い」「早い」と意味に応じて漢字の書き分けができるが、「おそい」はslowとlateの違いを漢字で書き分けができないのはなぜか知りたい。(レファレンス協同データベース)
→ なるほど,本来のlateの方の漢字は「晩い」だったが,「遅い」に統合されてしまったと。「早晩」「晩春」といった熟語には残っているから言われてみると納得である。となるとなぜ統合されたのかが気になるが,このレファレンス協同データベースですら示されていないということは相当調べにくい・わからない理由なのだろうか。
→ 「早い」「速い」に比べると「遅い」一本でさして困らない感覚も確かにあって,なんとなく統合されたのかなという納得もあり。ブコメで挙がっていたが「遅延」や「遅刻」「遅参」といった,明らかにlateの意味合いで遅いが使われている熟語があるから,日本人は意外と昔から「遅」と「晩」をごちゃごちゃにして使っていたのかもしれない。
→ 他にももっと統合できたり,なぜ統合されたのかわからないものがあったりしそう。もっと気になったら挙げられている書籍を読めばよいのだろうが,ちょっとそこまでの気力がない程度の興味ではあり。
・彭澎「中国の科挙とは何だったのか? 本当にメリトクラシー(実力主義)に基づいた選別・統治手段だったのだろうか?」(経済学101)
→ 各種データは面白い。ただし,その上で言えば清朝で満洲人が科挙によらず任官されたのは当然であって,これを省くとやはり大多数は科挙官僚だったという逆の結論が導かれるのではないか。明や宋のデータも調べないと「中華王朝で科挙官僚は主流ではなかった」という結論は出せまい。とはいえ,私自身もどこかで北宋ですら意外と世襲(恩蔭)が多かったという論文を読んだことがあるので,調べる価値は十分にあるだろう。
→ 科挙が儒教道徳を内面化させるための施策であったとするのもそうだろう。中国では長く儒学教養こそが,現代の我々でいうところの「実力」とみなされてきた。だからこそ儒学教養を実力とは認めなかった当初の元は,儒教自体は尊重しつつも官僚登用にはほとんど考慮しなかった(後に中国の統治においては必要な実力と認めて科挙を再開させている)。何が統治において必要な実力と見なされるかは時代や地域によって全く異なるものだし,実力を測る試験はエリート層の心性に確実に影響を及ぼす。科挙はその心性の方に目的があったとするなら,世界史上の特異な制度と言えそうだ。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)