2026年04月13日

2026年3-4月に行った美術館・博物館(たたかう仏像,新版画,下村観山)

 静嘉堂文庫美術館のたたかう仏像展。明王や天部,神像に絞った展示はけっこう珍しい。仏画は日本だけでなく,中国や高麗のものもあったのが良かった。仏像は中国のものが多く,神将の鎧は唐代に定まったので後世もそれがベースになっているというのは言われてみるとなるほど。唐三彩の鎧の神将像が面白かった。
 十二神将の神像も立派なものが展示されていた。その中ではなぜか午年だけ杖をついており,理由はキャプションで説明されていたが,習合元の一つに足が悪いやつがいたためとあって面白かった。よりによって午年なのに足が悪いとは。今年が午年だからということで,午年に特徴がある十二神将を展示のメインの一つに据えたのは企画者のセンスがすばらしい。これを展示したくて「たたかう仏像」を設定したまであるのではないか。十二神将は元は十二支とは全く関係なかったのに習合させられたわけだが,十二と数がそろっていたら習合したくなるのが人類の性なのかもしれない。これは完全に余談だが,私の高校時代に友人たちの間で「十二神将もシスタープリンセスも同じ12人」という発想からシスプリ十二神将習合説(通称シスター十二神将)が生まれ,なぜか高校内でそこそこ流行ってしまったことは永久に語り継いでいきたい(意外にも今までブログ内で書いたことがなかったようだ)。



 三菱一号館美術館の新版画展。新版画は大量にアメリカに流れているが,今回の展示はスミソニアン博物館群の一つである国立アジア美術館からの里帰り品である。「小林清親から川瀬巴水まで」の副題の通り,明治・大正時代の版画が紹介されている。主題の「トワイライト」は新版画が浮世絵の黄昏として生まれたことと,新版画が得意とした情景描写にマジックアワーのグラデーションがあったことをかけている。これは命名が非常に上手く感心した。
 小林清親は最後の浮世絵師とも称される人物で,逆に言えば新版画の走りとも言える。というよりも今回見た感じで言えば線の繊細さや明治の東京の情景を切り取った画題がすでに新版画である。そこから古美術商であった渡邊庄三郎がプロデュースして新版画が成長していくことになるが,意外にも四苦八苦の連続であったようだ。やはり写真や新技術への対抗は難しく,だからこそ新版画が日本美術史の王道として扱われてこなかったというんもあるだろう。小林清親の後に出てくるのは高橋松亭,伊東深水,イギリスからわざわざ新版画を学びに来たチャールズ・ウィリアム・バートレット等。
 そうして新版画の歴史の最後に出てくるのが川瀬巴水と吉田博である。こうして流れで見ると確かに川瀬巴水は正統進化で,吉田博は異端だなと思う。吉田博の版画はどこか浮世絵っぽさがなく,本来完全分業であるはずの浮世絵とは一線を画して摺りや彫りにもこだわって口出しをしているし,画題もすぐ自然風景になってしまう。もちろん,私個人の好みで言えば同じ登山をする人間でもあるから圧倒的に吉田博なのだが。本展は吉田博作品の展示が少ないが,それはやむなしであった。ひるがえって川瀬巴水も改めて観察すると非常に良く,これが繊細な線と鮮やかなグラデーションで魅了する新版画の完成形と言えるのだろう。スティーブ・ジョブズが惚れ込んだ版画家としてもっと知名度があってよい。
 あとはこれまで企画展の展示スペースしかなかった三菱一号館美術館に,わずかではあるが常設展示の展示室が増えていたので喜ばしかった。展示物はアール・ヌーヴォーやジャポニスムの陶磁器であった。




近美の下村観山展。修業過程からの画業を追う。10代の頃から上手くて早熟,30歳の頃に2年ほどイギリスに留学しており,西洋の水彩画を学ぶ。この時期の模写や留学関連の史料も展示されていて面白い。 そうして狩野派や大和絵といった日本の美術をベースに西洋の水彩画を重ねて様式が完成していく。全盛期は金地に木立を描かせると右に出る者がおらず,名作の宝庫である。改めて見るに琳派っぽさが強いものの,金地に遠近法を持ち込むために様々な工夫があるのだろうと感じた。この点は唯一無二である。
 一方で菩薩の顔をモナリザで描くという割とトンチキなこともしている。東大の駒場博物館所蔵の作品も展示されていて,戦前はこれで歴史教育をしていたそうだ。そういう発注もあったのかと少し驚いた。観山は自身も絵画コレクターで,貸出依頼の手紙も展示されていた。留学関連の史料も含めて,こういう美術史学上の史料を展示してくれると嬉しい。
 常設展で気になったものを書き残しておく。毎回名画だなと思いつつ,なぜか画家の名前が覚えられない松林桂月の「春宵花影図」。真似する方法がキャプションに書かれているものの,実際に真似ると左手がつる高村光太郎の「手」。描き表装という一種のだまし絵で描かれたお雛様,鏑木清方の「弥生の節句」。